団塊Gの気ままな野菜作りと写真日誌

のほほんとした田舎暮らしの毎日。家庭菜園よりは少し規模の大きな野菜栽培やデジカメphoto等々・・・。

退院しました。

2020-04-05 | 病気

24日入院、25日オペ、4月1日退院。此処までの経緯を備忘録としてメモしておこう。

ブロ友さん、星友さんなど皆さんから励ましの言葉をいただき感謝しかありません。有難うございました。

■去年12月初め夫婦でインフルエンザの予防注射を受けに内科に行った際、妻が最近咳が続いているんですと言ってくれた。←この一言が決め手だっ
  た。 実は一人で行っていたら検査をお願いすることもなかった筈だから。勿論何の症状も無し。実は後でわかったのだが咳は「肺気 
  腫」が原因だった。煙指数は30年×15本で400を越えていた。
  念の為やっておきましょうという事で家の近くの大学病院のCT検査の予約を取ってもらう。
 
■1週間後、検査を受け結果は1週間後と聞き、何の心配もせず帰ってくる。
 
■5日後の朝、氏神の清掃当番だったので行こうと玄関に行った所、内科からの封筒が目に入ってきた。何だ!嫌な気持ちで開いた所「肺がん疑いあり、
  至急精密検査」の 文字が飛びこんできた。この時の衝撃と言ったら、ただ茫然・・・。毎年の市民検診では異常の指摘はなかったのに。実はレン
 トゲン検査では分からないことも多いらしい。
  
■その日のご飯はもう喉を通らなかった。まさかの連絡でもうこの世の終わりのような落ち込んだ気持ちになってしまった。
 
■翌朝、内科に行ってCT画像を見せてもらい、その足で大学病院へ行き呼吸器内科で受診。先生は画像をみて、ガンじゃない場合もあるから1月後に再
 度
検査しましょう、と。この言葉を聞き少し落ち着き、帰り際ステージはと聞くと1とのことで多少ホッとして帰宅。大きさは3センチ弱
 だった。
 
■そして1ケ月後、2度目のCT検査を受け、消えていることを期待したのだが・・・。結果変わらず。直ぐ次の検査の予約を取ることになっ
  た。
 
■1月29日から31日まで入院し気管支鏡検査だ。やりたくない検査だが仕方ない。という訳で入院し2日目に検査。1週間後、結果を聞き
  に行くも患部が末端で組織が取れなかったようだと言われガッカリ。
 
■次の検査は2/17PET-CT2/21MRIがあり、その間にも採血や呼吸器機能検査など検査の連続。
 
■PETとMRI検査結果は転移は見られないという診断で一安心はしたが、ここで別の病気が見つかってしまった(後述)
  まるで病気を探しに行っている気がした。
 
■PETとMRI検査を聞きに行った時、画像を見て少し小さくなっているかもと言われすぐその場で再度CT検査を実施。期待して昼ご飯を食
  べ終え午後の診察を受けた所やっぱり変わっていないとのこと。
  呼吸器内科の先生の診断は恐らく悪性でしょう、ということでその後、呼吸器外科に変わり外科部長の教授より撮った画像や手術方法
  ど詳細説明を受ける。よく考えてからともいわれたけれどどの道ダメならばとその場でオペ日3/25と決定。
  右肺は3つに分かれており、患部のある右の上部を切除することになった。部分切除だと細胞が残ってしまう危険性もあるらしい。
  これは肺全体の18%になり、終わった後息苦しさがあるのだろうかと心配したが普通の状態ならばそれ程気になることはない。
 
当初はただただ茫然の日々だったがこの頃には病気を受け入るようになってきた。それでもWEBで色々な情報を検索しまくっていた。よく2人に1人はガンになると言われているが、男は高齢者になると罹患率が6割を越えるらしいので仕方ないかも等と自分を言い聞かせたり・・・。
この大きさだと自覚症状は無いらしく、ほんの20年位前までは自覚症状があり病院にきてももう手術できない症例が多かったようで医療機器の進歩に感謝だ、
 
■検査の途中で分かってしまった病気のことについて
  PET検査と喉のエコー検査で分かったのが慢性甲状腺炎(橋本病)。←治療はまだこれから。
  そしてMRI検査&24時間尿検査、採血による2回の内分泌負荷試験で判明したのが下垂体前葉機能低下症(国指定難病)。1年位前から
  起きた
身体が怠い時があり、市販のサプリメントを飲んでいたが余り効かなかった。脳内の下垂体という場所が機能低下し副腎皮質ホ
  ルモンが出ていないらしい。オペ前に適正値にしないと危険もあるからとその日からステロイド剤の内服開始。
 
■そして3/24入院、翌日手術というスケジュールだ。入院し執刀教授との面談、承諾書など書類にサイン。
  手術はダビンチというロボット支援による方法で1センチ位を4つと3センチの穴を1ケ所開けて行うとのこと。(保険適用は2018年〜と後で知った)
 
■眠れない夜を過ごし、朝9時から手術室に向かう。入ると何か凄い器械が目に入ってきた。BGMでJ-POPが流れていたが緊張を解すためだろう。
   脊椎に麻酔注射を打ち麻酔薬を入れるチューブを入れ、直ぐ全身麻酔。覚えているのはここ迄。目が覚めると終わっていた。4時間位かかったようだ、
  ICUに入り一晩過ごしたのだが痛みもあり全く眠ることはできず本当に長い夜だった。翌朝病室に戻るが血圧が70台と低くフラフラ状態。
 
■翌日には尿道のパイプと更にその翌日、胸のドレーンが外れる予定が1日遅れで取れた。この頃には痛みもだいぶ具合が良くなってきたが鎮痛剤は必要
 
■結局退院まで9日かかったが看護師さんも優しい人ばかり、病院食も美味しくちょっと驚いた。お世話になりました。
  今の時期なのでカミュの「ペスト」でもと思ったが頁数があるので沢木耕太郎の単行本2冊とwifiがあるのでノートPCを持ち込んでおいた。
 
■戻ってみると医療崩壊の話しが出ている状態で、酷くなれぱ他の病気の治療もできなくなっていく恐れもあるけれど、政府の対応は相変わらず遅くもう怒りしかない。布マスク2枚に至っては冗談でしょうと。
 
この後、通院が始まる。初期とはいえ調べてみるとやはり抗がん剤が治療が必要とあるので心配だがどうなるだろう。
 
10Fの病棟からスマフォで名古屋市内方面夜景を撮ってみた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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