皆様ごきげんよう。途中まで書いた日記が今あっさり消えて、虚脱状態の黒猫でございますよ。何コレ、今日書こうとしてる関係者の呪い?でも書くよ!!(笑)
借りていたDVDの返却期限が間近に迫っていたので、今までかけて観ました、『ゲド 戦いのはじまり』。
そう、タイトルから察せられるとおり、アーシュラ・K・ル=グウィンさんの『ゲド戦記』の実写映画化作品です。
・・・ええと。
・・・これは酷い。でもジブリ版よりマシ。(どんだけジブリ版の評価低いの)
ジブリ版の『ゲド戦記』の原作を無視しまくった挙句に台無しにしてしまった酷さは記憶に新しいですが、ジブリによる映像化にあたり、ル=グウィンさんは過去の映像化作品が酷い出来だったからということで渋っていた、という話がありました。ま、宮崎駿が監督をやるのなら、ということでジブリに許可が下りたわけですが、蓋を開けてみれば吾朗だった、というわけで。ル=グウィンさんはきっとCHANELかと思ったらCHANNELだったぐらいの失望感を味わったことでしょう。(※CHANNEL・・・黒猫が実際香港で目撃した偽ブランド)
ま、そんなこんなで、ル=グウィンさんがジブリ以前にそんなにも失望した作品ってどんなんだろう、という、軽い好奇心で借りてみたのです。
が。
本編開始後2分でいきなり主人公が普通に「ゲド」と呼ばれます。
そんなにも軽々しく真の名を呼んでいいのか!?
これはある意味ジブリ版よりも度肝を抜かれました。ゲド戦記において真の名は本当に重い意味を持つもので、知っているのは名付け親と自分、明かしていいのは本当に大切に思う人(伴侶など)くらいなものなのです。それを冒頭でいきなり・・・。何だこれ何だこれ、と思ったら、どうやらこの作品では「ゲド」が通り名で、原作における通り名「ハイタカ」が真の名ということになっているようです。なんで?その意図するところがさっぱりわかりません。この世界のものはすべて通り名と真の名を持っているんですが、ゲド以外は原作通りの通り名・真の名、というのもよく意味がわかりません。
特に第一作『影との戦い』は、名前が本当に重要なファクターとなるので、この設定変更でもう半ばダメだこりゃ、と思ったんですが、その後も出るわ出るわ、設定変更の嵐。
どうやら第一作『影との戦い』と第二作『こわれた腕輪』をごたまぜにした話になっているようで、第二作にならないと出てこないはずのテナーが普通に出てきます。しかも喰らわれし者(一世代にひとりの特別な巫女)ではなく、普通の巫女見習い扱い。そしてやけに明るいアチュアンの墓所。こんなのアチュアンじゃない・・・!
原作でははっきり描写されることはあまりなかったカルカドの王がやたら前面に出てきてゲドを追いかけ回し、アチュアンの墓所でゲドとのガチ勝負となるも、何故か腕力対決だったり、ゲドの親友カラスノエンドウが何故かアチュアンまでついてきていたり、もうなんかあたしツッコミ切れないと思うくらいの変更点がありました。
そしてCG等の特殊効果が妙にショボい・・・この技術だと相当昔の作品なのかと思ったら、2004年の作品だそうで。え??何?予算なかったの??
あと配役も微妙でした。ゲドが少年じゃない・・・やだよヒゲ生えたゲド。1巻では少年のはずでしょうに。大巫女・サー役のイザベラ・ロッセリーニはとても凛としてうつくしかったですが、原作のサーはもっと冷徹な人だしなあ・・・。結構よかったと思えたのは名づけの長クレムカムレクぐらいなものです。出番ほんのちょっとだけど(笑)。
途中から「原作と比べるからいけないのね。これはたまたま登場人物の名前がゲド戦記と被ってるだけのよくあるファンタジーよ」と自分に言い聞かせて観ました。そうすればまあわりと観られたかな。
でもここまで原作を曲げられてしまうと、好き勝手やりたいならオリジナルでやれよ、ゲド戦記を汚すなよ、と思ってしまいました。でもジブリ版よりはマシ。アレはストーリーとして破綻してたからね!
そんなこんなで172分もかけてとりあえず原作で言う1・2巻分を終え、「ゲドとテナーの物語はまだまだ続く。が、それはまた別の機会に・・・」とかいうナレーションが入って終わるんですが、続けなくていいよと思ってしまいました。続き出てるのかな?でももうノーサンクスですが。
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