1時間に1回くらい白色透明の痰が出る。呼吸器疾患は老化現象とともにウイルスの力が勝り、慢性気管支炎化したのではないだろうか。
38才頃までの僕は唯物論的世界観に支配されていただろう。神が死んだ現代世界において、倫理は社会的に恵まれたものたちのためのものでしかなかった。彼らの私有財産、地位、権力を守るためのものでしかなかった。それ故現代世界に横行する挫折者たちの無差別殺人も理解できる。「この先生きていてもいいことはない。それなら社会を抹殺しよう」というのが彼らの意志だろう。僕が彼らと違うのは絶望という感覚とは無縁だったからだろう。ランボーの「もとより希望があるものか、願いのすじがあるものか」(永遠)という句を思い出す。僕はそのときそのときの欲望に生きていた。人類とか自然とかの過去現在未来を夢見ていたが、自分自身を振り返らなかった。それゆえ僕には自分を殺すという発想も社会を破壊するという発想もなかった。叩きのめすという衝動に駆られることはあったが、実行に移したのは1,2回だけだった。後悔と哀れみの混じった不愉快の思いしかなかった。弱いものいじめの嫌いな僕には小林一茶に共感するところが多かったのである。
僕は唯物論的に「物理的エネルギーは常に調和・平安を求めているものである。自殺や殺人はもとより喧嘩もその物理法則に反するのである。」と考えていた。古代の唯物論者ともいわれるエピクロスのような自然主義の快楽主義者であった。
共産主義者としての僕は私有財産が諸悪の根源、人間疎外の始まりだと思っていたので、私有財産制度を支える結婚制度にも反対だった。自由恋愛主義者で、子供は社会で育てるという考え方だった。しかし共産主義社会の可能性は信じていなかった。
愛国者としての僕はスイス的国民皆兵制度を思っていた。私有財産制度反対の愛国者とは全体主義者だ。自然主義・快楽主義者と共産主義・全体主義者は矛盾する。共産主義と愛国主義も矛盾するだろう。
もう一つ僕には神秘主義者的な面もあった。幼少期の超自然への恐怖やあこがれの延長である。SFのような科学的神秘主義にあこがれていた。占いや占星術にこったことがある。ビギナーズラックで当たる確率が高かったこともある。多重人格のせいか、多様な人間の心が直感的にわかるような気持ちがしていた。タクシードライバーとして危険な客を乗せたことも何度かあったが、それでうまく対処できたように思う。
金縛りに遭ってから僕は占い師でもやろうかと思い立った。その手の本を探しているとき催眠術の本に出会った。守部昭夫の「催眠術入門」であった。
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