土曜の昼は暇なのです。爺の回想にお付き合いください。
小学1年生ぐらい・・実家の母の白黒のアルバムに残る己の姿、坊ちゃん頭白い開襟シャツに半ズボン、背中には風呂敷のマントでスーパーマンのつもりか戦闘ポーズで得意げではあるが、一目見て(大人になってね)、これ、どこかで見た事がある、ああ、そうだよ最近のフィリッピンの田舎町の貧しい子共そのままですね、白黒なのに日焼けした顔が黒黒で日本の子共には見えないがな~。
小学5年生 我が家ではこの歳になると見識を広めると称して、母親同伴で本土へ(船で鹿児島から陸路で日光あたりまで)団体旅行に行くのですが、奈良でガイドの後を一列になって移動していたら、向かい側から来た別の団体(東北方面か?)のガイドが大きな声で「はい、今皆様の向かいから来るのは沖縄人で~す」と言った。彼らはクスクス笑いながら、こちらとすれ違う。わしらが日本語を理解していないと、日本人ではないと扱われたのには悲しかったね。
高校1年 病気と嘘を付き一人鹿児島へ。復帰前なので国際線でした。霧島温泉で入浴中「君、毛深いけどアイヌ、それとも沖縄か?」と聞かれ沖縄ですと答えたら笑われた。
高校2年 大阪富田林の姉が留守で泊まるところと金が無かったので、一番安全な警察署に泊めてもらった。お巡りさんから事情聴取され、最後に本籍地を聞かれ沖縄ですと言ったら日本語上手やねと言われ苦笑い。ロビーの椅子で寝たので外回りから帰ってくる警察官の皆様全員必ず「この子、どうしたんや?」と聞くので窓口のお巡りさんはうんざりしつつ答え、私はうるさくて眠れない。
20歳頃 毎年東京に行き、行けば新宿ションべン横丁の「朝起ち」(後に火事で全焼、移転)で昼間から酒飲み。年に一回は会う大将、最後には「あなた、本当に日本人か?」と聞いてくる。その千葉県民は、なめろ~とホヤと牛の脳みそ刺身(現在では飲食不可)を教えてくれた。
20代後半 ひとりロス。白人のほとんどいないサウスなんたらの安アパートで後輩(照喜納君)の帰りを待ちながらシェリー酒。昼でも危ないから外出するなと言われたが、酒が切れたので恐る恐る割れたガラス瓶が散乱する歩道を忍者のように移動して酒屋を見つけ、酒ゲットして帰宅して酒宴再開していたら、ピンポーンとチャイムが鳴り、ビビりつつ確認すれば、おばさん2名。安全ネ、それに退屈だからとドアを開けると・・・機関銃のようにスペイン語かラテン系かの理解不能な言葉で話し始めるので30秒固まって聞いたのち、「あの~私は日本人です。あなたの言葉は知った事ではありません」と英語で答える。そしたら、わしを指さしながら英語で、「うぎゃはは~お前、日本人?笑えるね~どうみてもスパニッシュじゃん、教会においでって勧誘だったけど・・・、御免、御免、にしても、YOU~日本人か~」と二人で大笑いして去っていく。
同じくハワイ ワイキキなどのメジャーなビーチではない、地元民が行く「波が高くて危ないビーチ」で溺れそうになったりして、ハワイ在住の沖縄移民3世の大城ウォーリーさん(40歳ぐらい純粋な日本人でも、どう見ても現地民)と遊んでいたら、日本人の観光客男女3名が日本語で「すみませ~ん」と話しかけたので日本語喋れないふりしてウォーリーさんに振る。片言英語&片言日本語のやり取りを聞いていると、市内まで車に乗せてくれないかとの話だったのでOKねとなり、ピックアップトラックの荷台に彼らを乗せ発車。まあ、これは、どうでもよろしい、彼らは日本語で「あ~良かったね~現地民がいて、見た目は怖いけど、ふん、貧乏そうだけど~土人ね、ぎゃはは~」とか旅の解放感からか失礼な事を言いたい放題。頭にきたので、彼らの帰り際「あのね、僕達日本人ですよ、皆さんの会話筒抜けですよ、気を付けて話さないとトラブルの元になりますあなた死にます私悲しいね」と注意したら、顔に、嘘~この人日本人・・・信じられないと書いてあったので大笑いの現地民2名。
新婚旅行 つくば万博のフイリッピンレストランで、わし、同居人、その妹で飯食ってたら、遠くの方から満面の笑みでフイリッピンおぢちゃんが話しかけながらやって来る。慌てて「日本人です」と英語で言ったら、ダマすんじゃあね~よ~顔で去っていく。同居人と妹「あんたの顔がプイリッピンだからさ~」と醜い争い。この時にも夫婦で行った「朝起」で帰り際、今度はおばちゃんが「あんたたち、本当は日本人じゃあないでしょ」とトドメの一発。
長いお付き合いありがとうございました。後半はどうなるか知りません。
よんでくれてありがとうございます。ぺこり。