絵に描いた様な地方都市の公園。古ぼけたベンチにひとり腰かけて物思い。ああ、俺が死んでどれだけの時が流れたか今じゃあ記憶もあいまいだ。原始仏教では49日、49名の神様が迎えに来ても逃げ回ったらアウトで生まれ変わり輪廻アゲインねって教えが有ったが、49日どころじゃあないし~。あ、この公園、俺が生まれ育った街、ここが昔は湿地帯で川、おばあとヨモギ、猫の首釣り死体、(しばらく回想しますがパス)
死んだばかりの頃、妻、子供、友人とか大切な人たちがあちらこちらで呼ぶから、ベリービージーで文字通り飛び回っていたが最近、誰も呼んでくれないから、こうして腰かけて思い出を反芻するのが日課。この先どれだけこうして過ごすのかな?
「は~い、お待たせ~」突然目の前に現れたのは透明人間、もとい、さえない痩せた中年男でくたびれた灰色の安物スーツ。革靴ではなくて履き古したスニーカー、元々白だったはずが茶色いから情けない。丸刈りごま塩頭を搔きつつ「お知らせ遅れて申し訳ありませんでした。私のスケジュール、メチャ混みです。最近死ぬ人多い日本人高齢化のせいかも、あ、ワタクシmodfibme[a[s^bと申して、まあ、簡単に言うと告知係り。やっと、あなたは2回目の死に至りました。おめでとうございます。まあまあ、慌てないで下さい。ご説明いたします。」
なんじゃ?このおっさんは?あの世の既知外?と疑いの目で見ていたら、光の塊で眩しい存在へ変化。
さあ、お前よ、良く聞くがいい、人は肉体を失ったとき初めての死を迎える。それから、お前を記憶している人が一人もいなくなった時、二回目の死を迎える。そして今、お前を記憶する、伴侶、子、孫、全て不在となり、これでジ、エンド。彼らも全て故人となり、まあ、今までのお前と同じように肉親を見守り中ナウ。という事でお前は完全に死に、そして、これから個ではなく集合体の一部として生まれる前に居た場所へ帰ることになる。その過程で大切な人の顔だったり、ふと、おぼろげな記憶が甦るが、お前は彼らの名前も思い出せない。だが不思議と哀しみは無く、むしろ喜びのうちに忘れ去る。そして・・・・
ああ、俺が死んで100年近くも時が過ぎていたとは。
なんとなく説得力がありそうですが、49日の教えと反するのでつじつま合わせで苦労。うぐぐ
よんでくれてありがとうございます