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時代に問うとすれば

2009-02-11 | 時代の光景U+203CU+FE0E
テレビ離れが著しいらしい。

ネットの普及で、情報が多種多様となり、日本のマスメディアの劣化もまた指摘されることが多い。

垂れ流しや押し付けの受け入れ、その関係でしかなかったのだから、当然と言えば当然だ。


実際お客さんからも、そんな話をよく耳にする。

自分とて、仕事柄もありテレビ離れして幾久しい。
だからと言って困った事など一度もない。

確かに国力と報道の許容量は等しい関係にはある。

国家を地域や職場やご近所付き合い等、生活環境に置き換えれば分かりやすい。

言わずが無難な真実もたくさんある。

国家レベル、社会レベル、地域レベルじゃ程度が違うとしても、所詮元は人間が作り出す構造である。

しかし、少なくとも自分の中では、環境が許す許容の中で、どれだけ真実を見つけられるか否かで、生き方の哲学には役に立ちそうな気もする。

日本のマスメディアの問題は、伝える記事の一つのセンテンス自体は嘘じゃないが、記事のテーマに対して、起こった事例だけを繋ぎ合わせ、それを報道とするから、真実はいつもすり替えられ、いつまで立っても本当が見えてこない。

やがて、真実はうやむやなままに次のテーマに鞍替えをする。

これが、日本のメディアが陳腐だと言われる理由だろう。

本当の被害者が誰なのか、その見極めはこの国では難しい。

他の国もそんなものなのだろうか。

先日テレビで、タイタニックをやっていて、ケイトのおっぱいを堪能した。


寝転がって観てたから、船は最初から傾いてもいた。

そのお陰か、ひらめいた。

これぞ人生そのものの姿ではないのかと。
いつの時代も、僕らは何やら得体の知れない大きなうねりに翻弄されながら、その中で生きていく。

それが、人間社会の真実でありもする。

時代を大海原とするならば、国家は観光船である。

国によって、船の大小はあれ、所詮はみな丸腰の観光船だ。

その観光船には上下の乗組員と上下の乗客がいる。

その観光船が遊覧中に予期せぬハプニングが起きる。

すると、まず第一ラウンドで運命は二分される。

後は運と気力である。

何を軸として生きるのか、それが個人の哲学なのではないだろうか。