先ほどのニュースによると、台湾では、昨夜、M6.5の地震があつたとか…
詳しくはわからないのですが…
最近では、台湾からのお客さんも増えて、その後親しくなり、リピーターの台湾からの旅行者もいます。
近所には、日本語学校の職員として、長く日本に暮らす、仲良しのチンさんがいます。
だから、台湾からの事故や事件や災害のニュースでは、真っ先に彼らを思い出すことで、会ったこともないのに、彼等の家族や友人のことまで、心配してしまいます。
…
人と人の繋がりとは、そんなものだと思います。
きっかけは、なんであろうと、異国に親しい友人ができると言うのは、そう言うことです。
末端の心の繋がりが、人類の結界となり、平和の聖域を広げるのです。
僕の第二の人生として、生まれ故郷の高千穂で、旅行者相手のゲストハウスをやりたいと、日ごと、夢が膨らんでいます。
僕に出来そうな聖域とは、いったん何だろう。
その何だろうを、やってみたいのです。
いつだったか、若い頃に旅したゲストハウスが、なぜか今頃になって、度々、夢にでてくるのです。
たまたま泊まった、何でもないゲストハウスなのですが、僕の人生に多大なる影響を、きっと及ぼしていたのだと思います。
あれは、初めてのマレーシア鉄道の旅でした。
バンコク発だったから、恐らく、インドネシアか、マレーシアのどちらかだと思います。
途中下車を間違って、何もない駅で降りてしまいました。
後悔しながら、次の列車が来るのを、ずっと待っていたら、そのまま日が暮れてしまいました。
心細くなり、一つだけHotelと灯りのついた建物を見つけ、仕方なしに泊まることにしました。
飾り気もない、安いだけが取り柄のような、ゲストハウスでした。
ところが、スタッフも客も、それはそれは、みんな親切で、暖かくて、涙が出るくらいに、生涯忘れることのない、至福の宿となりました。
今思えば、あれは、みんな、僕の神様だったのかもしれません。
旅行者は僕と、白人のアメリカ人だけで、他は、たまたま仕事や何かの用事でこの町にやってきた人々でした。
どうやら、日本で言う、ビジネスHotel
的な用途の宿だったようです。
飾り気のない食堂で、身振り手振りの、片言英語で、みんなで夜遅くまで、何でもない話をしたんです。
周りに何もない静かな場所にあるから、僕等の笑い声は、恐らく、遠くまで届いたのではないでしょうか。
近くの露店で売ってそうな、安いクッキーやら、自家製の餅みたいなのを、宿の主人や客が、出しては広げ、さあどうぞと、おもてなししてくれました。
日本で食べたなら、どうってことはなかったでしょう。
それが、みんなの愛が溢れているから、とてもとても美味しかった。
ただ、それしか記憶にないんです。
食なんて、そんなものです。
その後、日本で、どんなに高級な食に触れようと、あの夜の贅沢には、到底およびません。
素晴らしい出会いでした。
これが、旅なのだと思いました。
お陰で、翌日から帰国するまで、絶好調の旅が続きました。
今の僕の夢は、あの幻の夜を、再現することです。
今思えば、神様が、僕に、教えてくれた、竜宮城の意味、だったのかもしれません。
なぜなら、今頃になって、やたらと、あの夜を思いだすからです。
もしかしたら、僕は玉手箱を、帰国後に、開けていたのかもしれません。
なぜなら、ハッと気がつくと、僕は、2015年にいるのでした。
あの20代から、ワープして、50代になっていたのです(^^;;
もしかしたら、浦島太郎とは、そう言う、人生の例えなのかもしれませんね。
ある日、とうに忘れていたはずの記憶が、ふと蘇ることがあります。
そう言う時とは、必ず、何かの自分に、気がついた時だからです。
…つづく