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番外編…八月の天才バカボン‼︎

2015-08-20 | 諸行無常…let it be


僕ら、街に暮らす、小さな善人としては、原発事故の放射能 しかり、大気汚染しかり、そんな中で、毎日呼吸してることを思うと…知らぬが仏m(_ _)m

…ですね(^^;;

八月が、行きます。
早稲田通りを、誰も乗らないバスが、陽炎の向こうからやってきます。

…今年の夏もこうして、もうすぐ、終わろうとしています。




天津の大爆発事故について、次第に、いろいろまた、明らかにされ始めました。
毎日、その記事が取り沙汰されていますが、実に恐ろしい内容ばかりです。

でも、実は、こんな出来事や事実は、過去に、世界中で起きてきたことなんでしょうね。

そう、きっと‼︎

そして、これからも、国の事情から、起きてしまうし、どうせまた、国の事情で、隠蔽するのだろうと思うと、ただただゾッとするばかりです。



桜島が、大爆発しそうな様子。
そんな緊急事態の最中でも、国は、わざわざ川内原発を選び、再稼働を始めたのでした。

しかも、それが、電力需要目的ではないことを知り、南九州人としては、怒りを通り越し、この国に呆れるばかりです。

先ほどのニュースによると…

 九州電力は21日、11日に再稼働させた川内(せんだい)原発1号機(鹿児島県薩摩川内市)の復水ポンプ付近でトラブルがあり、21日に予定していた出力上昇を延期すると発表した。25日には原子炉の熱をフル出力する「定格熱出力一定運転」を予定していたが、遅れる見通し…

さすがに、九電も国も、こりゃヤバいと
思い、体裁を作ろうためのものでしょう。


鹿児島出身者に聞けば、川内あたりは、それしか生きる術がないのだと、言いました。

だから、仕方ないと…

お金と言う麻薬は、死ぬことの恐れを超えた生きるための快感なのですね。

死ぬことよりも魅力的な、生きるための快感とは…⁇

それが、極楽ですね。

僕とて、もしも、その極楽を知ってしまったら、もう後戻りは出来ないのでしょう。

もしも、川内原発が事故を起こせば、南九州も、2011年の例外ではなくなるわけです。

宮崎県出身者としては、とても、悲しい気持ちになりましたが…それも、生きるために仕方ない?






8月最後の日曜日は、戦争法案反対の、大規模デモが、全国で行われるようです。

今回ばかりは、ものの通りを、あまりにも、逸脱し過ぎている国の代表者に、危機感を抱いて、自然発生的な、一般参加者が、かなり多くいるようです。

子を持つお父さんお母さん、孫のいるおじいちゃん、おばあちゃん…までが、デモに参加してるようです。

わたくし、只今、坐骨神経痛m(_ _)真っ只中m(_ _)m

おまけに…無力で非力な国民でござんす‼︎
が…、今回ばかりは何としても、ぜひとも参加したく思ってはおるのです…(^^;;


…それでも、社会に意思表示する国民は、国民全体からすると、ほんのわずかです。

デモ参加者を、全国合計しても、百数十万人でしかないでしょう。

国民全体の1パーセントでしかないのです。

日本人は、事を荒立てるとか、事を起こすことを、躊躇させてしまう、民族の思考性があるように思います。

今回は異常事態かもしれません。

民間のサラリーマンも公務員も学生も、子を持つお父さんお母さんも、孫のいるおじいちゃん、おばあちゃんも、お茶の間では熱く議論はしても、その勢いで、玄関をでることには、
そのほとんどの人が躊躇してしまうのが、普通の日本人の光景です。

だから、今回は、異常事態なのです。




日本人とは、まぁまぁまぁ~を大切にする、元々が、平和主義者なのです。

それは、日本人が良い人だからではなく、それが、島国で生きるには、最良の方法なのです。

白黒つけることをせず、微妙な歩み寄りを得意とする、ある意味では、今の世界に誇れる、模範的な平和主義者なのです。

日本語の豊富さを見れば、それが、はっきりわかります。


アラブの人々も、本来がみんな平和主義者です。
相手が手を出さない限りは、決して自分から手を出すことをしない民族性があるそうです。

みんな、砂漠という環境では、互いの距離感を大切に守りましょう…互いに共存するために助け合いましょう。
それが、暗黙の絶対ルールなのでしょう。

それは、島国や砂漠でも同じなのです。

共存するための、大切な生活の知恵なのです。



ところが、それを守り、ジッと耐えねばならなくなった、近代の歴史があります。

そんな民族性の人々が、耐えることにも限界がきて、どうしようもなく追い詰められてしまうと、最後の選択として、本能的に死を美化するようになるのでは、ないでしょうか。

それが、特攻隊や自爆テロを導き出すのではないのでしょうか。

僕には、、そんな気がしてなりません。

それを、命ずる側も、根っこにその思想がなければ、発想として、決して、思い浮かばないはずです。

そして、彼等は、どうなのでしょうか。

キリスト教社会や、白人社会では、そんな選択や発想は、はたして、どんなものなのでしょうか。



最近の日本人の、狼狽えようは、平和な戦後が、70年も経過したことで、大人も子供も、社会を考える思考性が、すっかり劣化していたことの現れだと思います。

それを、この度、安倍晋三さんが、見事に、一石を投じてくれたのだと思います。

そのお陰で、国民が、社会について、真剣に考える人が、以前よりは多くなったと思います。

もしかしたら、それが、安倍晋三さんの、最も貢献度の高いことかもしれめせん。


僕は、投票率は今のままが正常だと思っています。

今の選挙制度が、間違ってるだけです。

もしも、投票率が80%、90%なんて世の中になったら、それはそれは恐ろしいことで、国民が狂気化することです。






こんな時代を象徴するかのような、出来事があったことを、思い出しました。


あの、映画 永遠の0、が大ヒット上映されていた時のことです。

今じゃ、すっかりアンポンタン作家として、有名になった、あの政府御用聞き作家が原作の、映画 永遠の0、とやらについては、今では、僕が語るまでもなく、あちこちで、作家の人格が暴露されたことで、同じレベルで、映画もさんざんに酷評されています。


ところが、この映画が、大ヒット公開当時に、僕はとても情けない経験をさせられました(^^;;


この映画を観て、感動した30代の働き盛りの、外資エリートを装う立派な大人君に、彼のこの映画の感動話に、僕の全く無関心な様子に、"あんたは右翼だ"と、決めつけられてしまいました。


そして僕は、彼に⁇⁇な気持ちから、どう彼に、何をどう答えればよいのか、すっかり困りはててしまいました(^^;;


彼はこの映画の、どこの、何に、どう感動したのだろう⁇

恐らく、この映画の思惑にソックリはまった人の典型タイプです。

しかし、本人だけは、自分をリベラルな人だと、疑わない、救いようのないタイプです。


君と僕のどっちが右なの⁇

と、あまりの本末転した彼の言動に、ただ驚いたのでした…。


あんた、外資を気取るエリート君じゃなかったの⁇

頭が良いことになってるはずじゃないの⁇

なんで、左右の区別もつかないの⁇

これも、世代のギャップ⁇

そんなはずはない。

二十代の、社会に鋭い眼力を持つ、とても優秀な、高卒のインテリ若者を、僕は、たくさん知っている。



僕は当時、この永遠の0とやらが、どんなに話題になっていようと、見るまでもなく、見たい気持ちもおきませんでした。

例えば、スピルバーグの映画に見て取れるように、この手の陳腐な戦争プロパガンダ映画は、見る前から、意図なり、目論見なり、どんな撮り方をしてるのかが、ガラス張りに想像ついてしまうから、見る気がしないのです。

この手の手法は、問いかけではなく、美化することに、目的を置いてるわけです。

今では、そっくりそのまま、それ以上に、映画に詳しい人達が、より詳しく、より専門的に、多くの人が、この映画を批評しています。

僕がどうこうではなくて、それは、日頃、映画や音楽や読書の好きな人ならば、誰でも見抜けることです。

その上で、本人が、この映画を観てみたいか否かの会話となるわけです。

つまり、日頃、観たい映画を、たくさん観て、良い音楽を、たくさん聴いて、本をたくさん読んでる(^ν^)と、自然と、社会の空間や、作家や製作者の空気を掴める訓練になるようです。


だから、僕が、思想的に、右とか左とかではなく、そんな映画に、僕が、ただ興味がない、それだけなんです。





先日、お客さんから、こんな話を聞かされました。

ある知人に、私が原発反対デモに参加したと言うと、あなた、左翼思想なのと言われ、どう答えたら良いのか、困惑しましたそうです。

そりゃ、、困りますよね。(^^;;

まだまだ、グローバル日本、そんなもんです。

今どきは、年齢や職業や世代とは、全く無関係に、根本的な社会無知な大人がたくさんいることの、そんな日本を、僕は何よりも、とても心配します。