数年前、終戦記念日特集の街頭インタビューで、戦争体験されたお爺さんが、日本は、いずれまた、戦争をするだろう。
お爺さんは、皺くちゃの顔で、あっけらかんとした口調で言うのを、僕は、爺さんの、ただのボヤキと、軽く、聞き流ししてたことを、思い出しました。
それは、先日帰省して、ケアハウスにいる父と、久しぶりに、たくさん話をしながら、その中で、戦時中の話題にもなったからでした。
父は、戦時中は、航空隊で、台湾の高雄にいたそうです。
高雄は、食料も豊富で、待遇も良かったそうです。
ただ一度だけ、英国グラマン機の奇襲があった時に受けた、父の太ももには、弾の貫通した跡があります。
そして、たまたま、塹壕を移動した直後に、元の塹壕に、爆弾が落ちたそうです。
恐ろしい経験は、それくらいだったと話してくれたことがあります。
終戦を群馬の太田基地で迎え、何日もかけて宮崎まで、帰還したそうです。
乗り換えだったのか、時間待ちだったのか、途中広島で降りると、原子爆弾で、物の見事に破壊され尽くした、遠くまで見渡せる、真っ平らになった、広島の街を、ただ覚えていると、話をしてくれたことがあります。
戦争は、絶対にダメだ。
どんなことがあつても、戦争だけは、やってはいけない。
それが、父の口癖でした。
しかし、戦争の、その悲惨さや、その有様や、戦争責任を、語ることは、決してありませんでした。
父の幼馴染や同級生の多くが、戦死をしました。
だからなのかもしれません。
あの戦争では、配属部隊と行き先で、生死が、事実上決まる、そんな戦争だったようです。
父が、ポツリと言いました。
俺やお前が生きてる内には、どうかわからないけど、いずれ、日本は、戦争するだろう。
季節の変わり目を、空気で感じるように、戦争体験者は、戦争の空気を、肌で感じるのでしょうか。