あの日、店に入った途端に、揺れ始めました。
揺れが治らないので、入り口から階段を見上げると
、ギシギシと、不気味な大きな軋みに、初めて、ヤバイと、階段を駆け上がり外にでました。
あれから、6年。
三十数年来の友人の名を、昨年11月に、被災者名簿に見つけました。
合掌
あの日、あの年、いつまで経っても、何もかもが、錯綜する中、それ以上に、安否を確かめる術もなく、どこかで元気してるのだろうと、友からの連絡待ちのつもりが、気がつけば、5年も経過してました。
相馬市新地町は、海岸沿いの小さな町。
都会の夢に、一区切りをつけ、両親の残した土地を継いで、農業を始めた矢先のことでした。
豪快な人でした。
東北人ならではの、軽く一升飲み干す大虎で、大柄な体型に、優しい目をつけたような、ちょうどクマのプーさんみたいな人でした。
そんな人が、たかが地震ごときに…
たかが津波ごときに…
でも、そうじゃなかった。
生きてりゃ今頃は、国や東電から、たんまり口止め料をせしめて、毎日、大好きな酒を、好きなだけ、たらふく飲んで、好き放題な人生を、やってたに違いない。
ところが、そうじゃなかった。
お人好しの、クマのプーさんは、自分だけ助ければいいものを、近所の、身体の不自由な爺さん婆さんまでも、背負って、高台を、目指したようだ。
運命には、格差も、勝ち組も、負け組も存在しない。
ただ、空があるだけ。
人は、死ぬまで生きる。
それだけが、真実。
友よ、僕は死ぬまでここにいる。
そして、いつか、また会えるだろう。
そこから見える、僕はさぞかし、滑稽なことだろう。
笑い転げてくださいな!
(╹◡╹)