最近、腰のための整形外科と、鼻のための耳鼻咽喉科と、通院掛け持ちのため、早起きしています。
(^.^)‼︎
…
駅のKioskを通りかかかると、今日の紙面を、大きく、女性芸能人の訃報のニュースがありました。
今日のワイドショーでは、この有名人の人生について、全ての時間を割いて特集することでしょう。
ファンの方からすると、あまりにもまだ…と惜しまれるのも当然でしょうが、芸能人が、最後まで、芸能人を、全うされた人生なのだから、それは、素晴らしい人生だったと、僕は、思います。
毎度ながら残念なのは、必ずどっかのメディアの、あまりに的外れなタイトルを見つけてしまい、そのアンポンタンさに、絶句してしまうことです。
…
そして、小さな余白に、数百万とも言われるシリア難民についての記事が、チラッと覗いていました。
言わずもがなここは日本です。
社会性としては、海の遥か彼方の100万人の命の行方よりも、1人の有名日本人の人生が、優先されるわけです。
…
最近のシリア難民のニュースは、僕が子供の頃の、ボートピープルと呼ばれた、ベトナムやカンボジアの難民のニュースと、どうしても重ねて見てしまいます。
いつの時代のどんな戦争でも、戦場にいる無力な人々は、故郷を捨て、国境を越え、戦火を逃れ、不確かな安息地を求めて、命の旅にでることを余儀なくされるわけです。
戦場では、負の連鎖が果てしなく続きます。
弱者は、さらに弱者を篩にかけ、最後に無抵抗の女性や子供が、負の全てを背負わされるのです。
悲しみと不安とは、こんな表情を言うのでしょうか。
祈り続ける老母の深い皺を、とても上手に、カメラマンは捉えていました。
…
この世には、100万通りの、命の情景があります。
2009年、忌野清志郎は、命の門出と、命の由来について、僕にその基準を教えてくれました。
彼もまた、この国では、今なお、超有名人です。
そして、それが、そのまま、2011年の震災から原発事故への、僕の、命の情景へと、繋がりました。
命の情景!
それは、風景でも、景色でも、光景でもありません。
僕は無宗教で、ノンポリだから、むしろ、アナーキストに近いのかもしれません。
そんな僕でさえ、日本人の平均健康寿命を、身近に意識する年齢に近づいてきたせいか(^^;;、日常会話の中で、諸行無常を口にするようになりました。
…
1人の有名人の命と、無名な100万人の命を、天秤にかけたとしたなら、天秤はどんな傾きをするのでしょう。
愚問ですがね。(^^;;
答えが透けて見える、野暮な禅問答など、世の中には、腐る程転がっていると言うことです。
情景は、情景として、これからも普遍なのでしょうか。