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チェチェンの歴史 ー なぜテロや紛争が続いているのか 尾登 雄平(おとう ゆうへい)

2022-03-30 15:51:38 | 連絡
〇ロシアに抵抗を続けるチェチェン民族
-略ー
1. ロシアの南下とチェチェンの抵抗
1-1. チェチェンとは



チェチェンはコーカサスにある小国で面積は岩手県よりやや大きいくらい。
北部は乾燥地帯で南部は山岳地帯が広がり、全体的に気候は温暖。農業が盛んでワインが名物。また石油とガスが算出されるため、工業化の潜在性もある。
ここに住むチェチェン人とは、北コーカサス語系の言葉を話す人のことを指します。
かつてはアニミズム信仰でしたが、
在はほとんどがイスラム教スンニ派を信仰しています。
チェチェン人がどこからやってきたのか、その出自はまだ不明なところが多いそうです。長い間文字を持たなかったため彼らの歴史は謎が多く、帝政ロシアが南下した16世紀以降のことしか詳しいことは分かっていません。
1-2. ロシアの南下政策
ロシアのコーカサス南下政策は、16世紀のイヴァン雷帝の時代に始まりました。
目的は黒海の進出で、ダゲスタン、オセチアなど現地人の抵抗にあいながらも粘り強く侵攻を続け、19世紀前半に南コーカサス全域がロシアに併合されました。
最初の最大のチェチェンの反乱は、1758年のシェイフ・マンスールの乱
アルドゥイ村の指導者だった彼は、チェチェン部族の多くを糾合しロシアへの大反乱を呼びかけ、スンジャー川中の戦いでロシア旅団を殲滅させる活躍をしますが、後にロシア軍に捕らえられ獄中で死亡してしまいます。
ー略ー 
1-3. ソ連時代のチェチェン
19世紀末からチェチェンで石油の採掘が始まり、石油労働者が多数チェチェンに移り住むようになっていきます。
ロシア革命では、赤軍に敗れた白軍のデニーキン将軍がチェチェンを拠点に反転攻勢しようと企んでおり、それをさせまいとするチェチェン人武装勢力と戦闘が繰り広げられました。
赤軍はチェチェンを支援しており、白軍を追い出した功績が認められ、1921年チェチェンを含む北コーカサス諸国はある程度の自治を持つ「ソビエト山岳共和国」の設立が認められました。
山岳共和国ではロシア人に奪われた土地がチェチェン人に返還され、「イスラムの慣習法」が認められました。
とうとう自分たちの共和国を持てたのも束の間、
スターリンは3年後に共和国を強制解体した上で、住民を強制的にカザフスタンに移住させてしまった。
冬はマイナス40度にもなる過酷な地への強制移住でチェチェン人の半分以上が死に、ようやく戻ってこれたのはフルシチョフによるスターリン批判の後の1956年。
チェチェン人たちがかつて住んでいた家々には既にロシア人が住み着き畑を耕しており、チェチェン人は条件の悪い山岳地や痩せた土地に住まざるをえなかったのです。
1-4. 戦闘山岳民族チェチェン
長年に渡るロシアからの弾圧と抵抗の歴史を経て、チェンチェンの160ほどの部族の結束は鉄のごとく固くなり、我々には理解できないほど強烈な「反ロシア」「憎ロシア」感情を持つようになっていきます。
ロシア人から物を盗んだり、騙したりするのは別に構わない。だが、ロシア人からまきあげたカネの一部は民族のために使わなばならない。
そして一旦戦闘となると男はチェチェンと民族の誇りのために戦わねばならない
彼らの「チェチェン民族」に対する思いは我々の想像を遥かに超えており、ロシアへの抵抗がもはや彼らの伝統にすらなっている。
ロシア人からすればチェチェン人全員、たちの悪い犯罪者集団にしか見えないでしょう。
「チェチェン人=犯罪者」という認識は、次に登場するチェチェンマフィアのイメージでも語られるし、実際にチェチェン紛争に突入したきっかけはチェチェンマフィアの影響が大きかったと言われています。
2. チェチェンマフィアと独立運動
 チェチェンのマフィアがモスクワなどの大都市で広がりだしたのは、旧ソ連末期の1987年ごろ。ゴルバチョフのペレストロイカとグラスノスチの影響は裏世界にも押し寄せてきました。
それまでは一部のマフィアによって闇で行われていた取引が大手を振って出てくるようになり、荒っぽい方法で利益を追求するマフィア同士の抗争が相次ぐようになってきました。
リューベレッツ組やポドシキン組などロシア人同士の抗争も激化する中で横から殴りこんでくる形で割っていったチェチェンマフィアは、その荒っぽさ・苛烈さでカジノやドル交換など闇世界を支配するようになっていき、ロシア人マフィアとの抗争が激化するようになっていきます。
2-1. チェチェン独立宣言
1991年8月、ソ連でクーデーターが発生し混乱する中でチェチェンは独立に向けて準備を進めていきます。
その年の10月に行われた初めてのチェチェンの大統領選挙で当選したのは、独立心の強いジョハル・ドゥダーエフ
ドゥダーエフの家族は過酷なカザフスタン追放から祖国に帰った一家の一つで、彼はチェチェン人で初めてソ連の将軍にのし上がったエリートでした。
ドゥダーエフは大統領に就任すると、11月にチェチェン共和国の主権宣言を出し、チェチェンは悲願の独立を達成。エリツィンは鎮圧しようと急襲部隊を派遣しますがチェチェン側に妨害され、結局ロシア最高議会はこの決定を承認することとなりました。
2−2. マフィアの抗争の激化
ドゥダーエフはチェチェンを石油で潤う「カフカスのクウェート」にすべく、西側諸国との連携を強めようとしました。
まず、当時ソ連で石油の貿易を手がけていたマフィアの頭目マモダーエフを本国に呼び寄せて経済担当副首相に任命。また、チェチェンマフィアのウチエフ兄弟をロンドンに派遣し西側との石油の売買交渉を担当たせました。
当時のチェチェンで石油売買のパイプやノウハウを持っていたのは、ソ連の裏世界で活躍していたマフィアであったわけです。
一方ロシア本国では、ロシアマフィアとチェチェンマフィアとの抗争がますます激化していきました。
チェチェンマフィアは来たるべくロシアとの戦いのために組織を強化し、多数のチェチェンマフィアをロシアの大都市に結集させました。
モスクワの市長ルスコフはチェチェン人集結の知らせを聞き、モスクワからのチェチェン人の追放を指示。ロシア連邦政府もチェチェンに対する財政支出を停止し経済封鎖を強める。そんな中でロシアとチェチェンのマフィア同士、血で血を洗う抗争を繰り広げました。
1994年4月、ロシアで最も影響力のあるマフィア、オタリ・クワントリシビリがチェチェンマフィアに殺害されてしまう。
オタリクはロシアの闇社会に君臨する大物で「ロシアのゴッドファーザー」と呼ばれた男。ロシアンマフィアのチェチェン締め出し作戦に歩調を合わせ、ホテルと空港の株を買い占めチェチェンマフィアの恨みを買ったことが殺害の原因とされています。
オタリクの葬儀には、マフィアだけでなく政官財界人から多数のVIPが列席したそうです。
一方、ロシア側もチェチェン側の排除を進める。
1993年2月にロンドンで石油の売買交渉を担当するウチエフ兄弟が射殺され、1994年12月にはチェチェンマフィアの大親分ニコライ・スレイマノフ、通称ホザ(すずめという名のアダ名)が射殺されてしまった。
ホザはモスクワのチェチェン中古車販売を牛耳っていた大物で、非常に愛国心が強い男。闇取引で儲けた金を携えてチェチェンに頻繁に通い、来るべき独立のために民兵を組織していました。
チェチェン人はホザを「チェチェンのロビン・フッド」と呼び、義賊として大いに尊敬をしていたわけです。
チェチェンマフィアは怒り狂い、過激な報復に打って出、抗争は過激さを増す。
とうとうエリツィン大統領は「ロシア軍を投入してのチェチェンマフィア退治」を宣言。
第一次チェチェン紛争の勃発です。
3. 第一次チェチェン紛争勃発
チェチェンに侵攻したロシア軍は、首都グロズヌイまではほぼ無抵抗で侵入できたため、ロシア軍の誰もがこのキャンペーンはすぐに終わると思っていました。
ところが、突然周囲の高い建物からロケット砲の集中砲火を浴びせられ大炎上。
チェチェン側は正面からの戦闘ではなく、国土深くおびき寄せての山岳ゲリラ戦を展開します。ロシア軍は「核兵器を除くあらゆる兵器を投入」したにも関わらず、はかばかしい戦果は上げられず死傷者ばかり増えていきました。
 1996年4月、ロシア軍はチェチェン大統領ドゥダーエフを誘導ミサイルによって殺害してしまう。第二代大統領には作家のゼレムハ・ヤンダルビエフが就き戦争を継続します。
ロシア軍部は戦争継続を望みますが、ロシア世論は厭戦気分が満ちており、メディアは反戦論が強まっていった。そんな中、ロシア大統領選が6月に迫っていた。エリツィンは公約にチェチェン紛争の和平を掲げて何とか当選しました。
一方チェチェンではマスハドフ参謀長率いるチェチェンゲリラが首都グロズヌイ奪還戦を仕掛け、1500名のゲリラがグロズヌイのロシア軍1万5000に奇襲攻撃をしかけ確固分断・孤立させ退却に追い込む。とうとうロシア軍は首都から撤退せざるを得なくなりました。
もはや戦争は継続できぬと、
エリツィンは退役軍人のレベジを安全保障問題大統領補佐官に任命し、チェチェン和平に乗り出した。
レベジはチェチェンのマスハドフ参謀長やバサーエフ野戦司令官らと会談し「事実上の独立は認めるが、独立交渉は2001年から」というよく玉虫色の仲介案をまとめあげ、ロシアはチェチェンから撤退することとなりました。
結局第一次チェチェン紛争はチェチェン側の勝利に終わりました。
ただし勝利の代償は大きく、一般人も含むと約4万人のチェチェン人が死亡したとされています。
ちなみにこの和平案をまとめあげたレベジは国民の人気は高まりますが、中央政界と軍部からは和平案への批判が強くレベジは左遷されてしまうのでした。
4. 戦間期:イスラム過激派の侵入
4-1. 治安の悪化
第一次チェチェン紛争の傷跡は深く、戦前に稼働していた石油施設は破壊され、ロシア軍が使用した生物化学兵器の影響で大地は汚されて農業もままならず、そもそも成年男子が多数死亡したため働き手が減った。
また紛争時に銃が広く普及し、戦後も人々はそれを手放そうとしなかったため、治安が極度に悪化しました。
男たちはカネを稼ぐために銃を使って外国人を拉致して身代金をせしめるようになっていったのでした。
4-2. 指導者同士の反目とイスラム過激派の台頭
紛争を指揮した指導者同士も反目しあうようになり、それぞれ独自の私兵を抱えてイニシアチブを握ろうと画策しました。 
戦後、第三代大統領になっていたのは参謀長のマスハドフ。
一方、野戦司令官のバサーエフは副首相となりましたが、トップ2人は反目しあい中央政権を離れて独自に私兵を蓄えるようになります。 
バサーエフはウズベキスタンなどの中央アジアからやってきたイスラム復興運動「ワッハービズム」と合流し軍事力を持って「チェチェンのイスラム国家化」を迫るようになりました。
ワッハービズムとはよりイスラム法による支配を望むイスラム過激派の一派で、第一次チェチェン紛争の時にチェチェンに侵入し、当時はさほど大きな影響はなかったものの、戦後に困窮する社会で急速に支持を拡大していきました。
強力な中央政府軍を持たないマスハドフは、イスラム過激派の私兵を背後に持つバサーエフに妥協せざるを得なくなり、とうとう
1999年2月に「イスラム法を取り入れた憲法制定」のための委員会を設置し、近い将来の議会の廃止を宣言するに至りました。
4-3. マフィア同士の抗争・テロの発生
一方で相変わらずロシアの大都市ではチェチェンマフィアとロシアマフィアの抗争が繰り広げられていましたが、チェチェンにイスラム過激派が拡がってからは様相が変わってきており、マフィアを狙うだけでなく一般市民を狙ったテロ行為が多発するようになっていきました。
「堕落した文化」のチェチェンへの侵入を防ぎイスラムの純潔性を守るという大義が加わり、またチェチェンマフィアにも増えたワッハービズムシンパがそれを支援するという構造が誕生。
市民はテロの恐怖に怯え、ロシア政府は「テロ根絶」のために再度のチェチェン侵攻を決定したのでした。
5. 地獄の第二次チェチェン紛争
5-1. プーチンの登場
開戦の口実となったのは、バサーエフのダゲスタン侵攻でした。
元々バサーエフはロシアマフィア経由でロシア中央政府と繋がりがあったため、ロシア側の何らかの密約に応じる形で私兵を率いてダゲスタンに侵攻したと考えられます。
直ちにロシアはダゲスタン解放を名目に介入し攻撃を加えてバサーエフは撤退。
その数日後にロシアの都市で相次いでアパートの爆破事件が発生。
ロシア警察はチェチェンによるテロと断定しますが、ロシア当局による自作自演の可能性も高く、このあたりの経緯は未だにはっきり分かっていません。
ロシア市民がテロの恐怖に怯えている時、間髪をいれずにエリツィン大統領は当時全くの無名だったプーチンを首相代行に据え、さらに首相に就任させた。
就任当初からプーチンは対チェチェン強硬策を進め、ロシア市民の圧倒的な支持を得ました。
プーチンの号令の元、1999年9月23日ロシア軍はチェチェンの首都グロズヌイへの爆撃を開始。第二次チェチェン紛争が始まりました。
5-2. 「静かな戦争」
ロシア軍の侵攻を受けて、これまで反目しあっていたマスハドフとバサーエフも和解し、対ロシア戦闘では共闘。チェチェン独立派は再び結束します。
一方ロシア側は、12月31日にエリツィンが辞任を表明し後継者に首相のプーチンを任命。第二次チェチェン紛争は、大統領の権力委譲をスムーズに行うため、国民のプーチン人気に初期ブーストをかける狙いがあったわけです
さて第二次チェチェン紛争は、これより2009年までの10年間も続きます。
第一次と同じく、
チェチェンは正面からの攻撃を避け、山岳地帯にこもってのゲリラ戦を展開しました。これに対し、全土を掌握するためにロシア軍は徹底的な「掃討作戦」を実施。
これは、テロリストをかくまってると疑われる村を包囲し、住民を尋問により選別。テロリストと疑われる者は収容所送りにされる。無根拠に収容所に送られるケースもあり、家族を取り返すために多額の金品をロシア兵に支払わねばらなず、兵士たちはチェチェンで「懐を肥やして」帰還するわけです。
賄賂がない場合は殺害される場合も多い。さらにはロシア兵による婦女暴行・殺害も相次いで起こっている。
実際にチェチェンで何が起こっているかは、ロシア側の徹底的な情報封鎖もあり表に出てきづらく、
「静かな戦争」ともいわれる第二次チェチェン紛争では全体の死者数も分かっていませんが、その死者数は20万人以上とも言われています。
これに対し、チェチェン側はロシア本国への「テロ」という形で報復を行っています。
2002年に発生し、人質129名が死亡したモスクワ劇場占拠事件は記憶に新しいところです。
第二次チェチェン紛争は2009年に終結宣言が出されたものの、
チェチェン人のテロは未だに続いており、チェチェン人にとってみたら未だに戦争は終わっていないのです。


シリアで化学兵器が「容認」されつつある実態 なぜこんなに泥沼化してしまったのか2018/04/13 池滝 和秀

2022-03-30 09:49:33 | 連絡
ーQ1-
国連安全保障理事会・北朝鮮制裁委員会の専門家パネルは2月、
北朝鮮のミサイルや化学兵器に関連するとみられる技術者グループがシリアを訪問したり、化学兵器開発に転用可能な部材を輸出したりしていたことが判明したとの報告書をまとめている。
それによると、2012年から2017年にかけ、軍事開発に関係するシリア政府関連企業への北朝鮮からの40 件以上の未報告の輸出が確認された。具体的には、
北朝鮮からシリアに輸出が阻止されたコンテナ13 個の中には、化学兵器開発に転用可能な耐酸性タイルやステンレスパイプ、バルブなどが積載されていた。
-A1ー
<1>

北朝鮮のミサイルや化学兵器や関連技術者役務提供は主要外貨獲得手段となっているか
<2>
ロシア軍のウクライナに対する化学兵器攻撃実行部隊は同盟国の北朝鮮の化学兵器や関連技術者が重要な役割を果たすか

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池滝 和秀(いけたき かずひで)Kazuhide Iketaki
ジャーナリスト、中東料理研究家
時事総合研究所客員研究員。1994年時事通信社入社。外信部、エルサレム特派員として第2次インティファーダ(パレスチナ民衆蜂起)やイラク戦争を取材、カイロ特派員として民衆蜂起「アラブの春」で混乱する中東各国を回ったほか、シリア内戦の現場にも入った。外信部デスクを経て退社後、エジプトにアラビア語留学。2015年8月より時事総研客員研究員。ロンドン大学東洋アフリカ研究学院修士課程(中東政治専攻)修了。中東や欧州、アフリカなどに出張、旅行した際に各地で食べ歩く。特に中東料理を専門とし、食事会や料理教室も開いている。
https://toyokeizai.net/list/author/%E6%B1%A0%E6%BB%9D_%E5%92%8C%E7%A7%80
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「シリアで化学兵器が「容認」されつつある実態なぜこんなに泥沼化してしまったのか」2018/04/13 6:00
米国やロシアなどによる介入で複雑化するシリア内戦で、再び化学兵器使用疑惑が浮上した。
非難の矛先はアサド政権に向けられている。長期化する内戦での化学兵器の使用はすでに数十回に上る。その多くがアサド政権による仕業とされるが、
タブーとも言える化学兵器の投下はもはや常態化している。
それはなぜなのか。
ロシアを後ろ盾とする
アサド大統領は、欧米とロシアの対立で国連安保理が機能不全状態なのを見透かしているためだ。
ダマスカス近郊の反体制派支配地域・東グータ地区で事件が起きたのは今月7日。
ほぼ1年前には、
米トランプ政権がアサド政権による化学兵器使用を断定し、シリアに巡航ミサイル「トマホーク」59発を撃ち込んだ。
〇トランプ政権を「挑発」するアサド政権
だが、ロシアやイランの軍事支援を得て反体制派を圧倒する
アサド政権は、その後も攻勢を続行。前回の空爆でもアサド政権優位の内戦の構図は揺るがなかった。
今回の化学兵器使用もアサド政権の仕業とすれば、トランプ政権を挑発した形だ。 
「米国ファースト」の
トランプ大統領は、シリアから米軍を撤収させる方針を示しており、アサド政権の崩壊につながるような大規模な軍事攻撃は考えにくい。
アサド政権はこうした国際社会の対立や、トランプ大統領の外交姿勢を見逃さず、反体制派の戦意を喪失させるのに効果的な化学兵器を多用している可能性がある。
今後の焦点は、さらなる化学兵器使用の抑止につながる、昨年4月以上の大規模な軍事攻撃に米国が踏み切るかどうかだ。
 まず、シリア内戦の構図を振り返っておこう。
2011年の民衆蜂起「アラブの春」に端を発したシリアの反体制運動で、アサド政権が反体制デモを武力弾圧したことで内戦に転じた。
アサド政権は一時的に窮地に陥ったが、イランやロシア、レバノンのイスラム教シーア派武装組織ヒズボラなどの軍事支援を得て、政権の存続を確実にした。
化学兵器使用疑惑が起きた東グータ地区は、首都ダマスカス近郊に残った反体制派最後の主要拠点。政権側の猛攻で唯一抵抗を続けていた反体制派「イスラム軍」も8日、政権側とのシリア北部への撤退合意を余儀なくされた。
 シリア内戦は、米国とロシアによる中東での覇権争いや、イスラム教スンニ派の盟主を自任するサウジアラビアとシーア派の大国イランの宗派間抗争が波及して複雑化した。
シリアと同盟関係にあるイランや、シリアを中東の橋頭堡とする
ロシアがアサド政権を軍事的にテコ入れする一方、サウジやトルコが反体制派を援護した。ところが、ロシアの圧倒的な軍事力でアサド政権の存続が確実となり、
サウジやトルコはアサド政権打倒の目標を取り下げた形となっている。 
一見複雑に見えるシリア内戦だが、周辺国の目下の関心は自国の安全保障への影響だ。
少数民族クルド人の分離独立問題を抱える
トルコは、シリア北部のクルド人武装勢力の影響力が大きくなることを危惧し、1月にシリア北部のクルド人居住地域のアフリン周辺に軍事侵攻した。
アサド政権存続に伴うイランの影響力拡大を警戒する
サウジは、反体制派を通じた軍事圧力という政策を事実上転換。ロシアとの関係強化を通じてシリアでのイランの影響力をそぐ外交工作に軸足を移している。
〇化学兵器使用はもはやレッドラインではない
一方、シリアと国境を接する
イスラエルも、アサド政権崩壊に伴う混乱は望まず、宿敵イランや、交戦状態にあるヒズボラがシリアで軍事的に増強しないようシリアへの空爆を繰り返している。化学兵器使用疑惑後の9日にシリア中部ホムス郊外の軍事基地が空爆され、米国の「報復攻撃」との憶測も流れたが、イランやヒズボラに関連してイスラエル軍がレバノン領空から行ったミサイル攻撃だったことが判明した。 
このように、シリアのアサド政権を崩壊させようと動く国際社会のプレーヤーは存在しない。
国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチは、シリア内戦で塩素ガスを使った攻撃を含めて85回に及ぶ化学兵器の使用があったとしており、大半が
アサド政権によるものとされている。
アサド政権は、結束できない国際社会の足元を見透かし、化学兵器の使用はもはや「レッドライン」(越えてはならない一線)ではないと認識している可能性が高い。 
イスラエル紙ハーレツは分析記事で、米国やイスラエルなどの情報機関は24時間態勢でシリア情勢を監視しており、使用された兵器の種類や、武器庫から運搬する車両の動き、爆弾を投下する戦闘機の飛行パターンを把握していると解説。将来的にアサド大統領が裁判にかけられるなら、(戦争犯罪の)証拠はすでに集められているものの、西側諸国やイスラエルがそれに対して行動を起こさなかったことも明白になるため、証拠は今後数十年にわたって公表されることはないだろうと指摘している。
なぜ、
アサド政権は国際社会の強い非難を受ける化学兵器に頼るのか。
核兵器に比べて開発が容易で製造費用も少ない化学兵器は「貧者の核兵器」と呼ばれる。被害者に多大の苦痛を与えるサリンなどの化学兵器は、反体制派やそれを支える市民の戦意を挫き、効果は絶大だ。
ロシアやイランの軍事支援に依存する
アサド政権にとっては、自前で調達できる効率的な兵器と位置付けられる。
アサド政権は化学兵器使用の疑惑が浮上した後の2013年9月、化学兵器禁止機関(OPCW)に保有化学兵器約1300トンの全量引き渡しに応じている。
だが、その後も
アサド政権が使用したとみられる化学兵器による被害が相次いでおり、サリンなどを隠匿していたか、再び製造能力を獲得した可能性がある。
 


国連安全保障理事会・北朝鮮制裁委員会の専門家パネルは2月、
北朝鮮のミサイルや化学兵器に関連するとみられる技術者グループがシリアを訪問したり、化学兵器開発に転用可能な部材を輸出したりしていたことが判明したとの報告書をまとめている。
それによると、2012年から2017年にかけ、軍事開発に関係するシリア政府関連企業への北朝鮮からの40 件以上の未報告の輸出が確認された。具体的には、
北朝鮮からシリアに輸出が阻止されたコンテナ13 個の中には、化学兵器開発に転用可能な耐酸性タイルやステンレスパイプ、バルブなどが積載されていた。
〇米軍のミサイル駆逐艦が地中海に展開中
このような疑惑が浮上したのを受け、
米国のヘイリー国連大使は「化学兵器や非人道的な辛苦によって自らの意思を押し通そうとする国家、特に非合法なシリアの政権に対し、必要があれば行動する用意があると警告する」と、3月時点でシリアを名指しで非難していた。トランプ大統領も今回の化学兵器使用疑惑後の8日、「代償は高くつく」と警告している。
アサド政権にトランプ大統領はどう対応するのか。米紙ニューヨーク・タイムズは10日、トランプ米政権が昨年4月の武力行使より大規模な軍事攻撃を検討していると報じた。さらなる化学兵器の使用を抑止するために大規模なシリア空爆に踏み切る可能性があるという。米軍のミサイル駆逐艦「ドナルド・クック」が地中海に展開中で、大規模なミサイル攻撃を実施する態勢が整いつつある。
米国が再び対シリア攻撃に踏み切るかどうかは、米政権内の人事も影響しそうだ。大統領補佐官(国家安全保障担当)に、対外強硬派とされるボルトン元国連大使が9日に就任しており、軍事的な選択肢をトランプ大統領に進言した可能性がある。
さらに、史上初の米朝首脳会談を控え、対シリアで強硬な対応を取るなら、北朝鮮に対しても安易な妥協は行わないとのメッセージを送ることになる。もっとも、対シリア攻撃が実施されても、
アサド政権の存続というシリア内戦の構図が変わる可能性は小さいだろう。


ロシアに「降伏するかゲリラ戦で抵抗するか」究極の選択を迫られるウクライナ大統領3月1日小泉悠

2022-03-30 09:01:22 | 連絡
By - NEWS ONLINE 編集部 公開:2022-03-01 更新:2022-03-09 
ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(3月1日放送)に東京大学先端科学技術研究センター専任講師の小泉悠が出演。ウクライナ軍が「ロシアによる首都キエフの占領工作は失敗」との声明を発表したというニュースについて解説した。
 〇ウクライナ軍が「ロシアによる首都キエフの占領工作は失敗」との声明を発表
ウクライナ軍は2月28日、首都キエフの状況について「依然としてウクライナの支配下にあり、ロシア軍の占領工作はすべて失敗した」との声明を発表した。一方でロシアのタス通信は、ロシア国防省が「ウクライナ全土の制空権を掌握した」と訴えている。
 〇「頑張れば頑張るほど、ロシア側の無差別攻撃が激しくなる」というジレンマに直面するウクライナ
飯田)タス通信は国営ですから、ロシアの大本営発表的なところもあると思いますが、全体の情勢をここまでどうご覧になりますか?
小泉)戦争が始まってからもう6日目に入ります。当初の想定では、ロシア軍は圧倒的なので、ウクライナの首都キエフや北部のハリコフなどは、すぐに落ちるだろうと見られていました。
飯田)そうですね。
小泉)しかし、ロシア軍に対してウクライナ軍が善戦していて、まだどちらも落ちていないという状況です。ロシア軍はかなり攻めあぐねている感じです。
飯田)ウクライナ軍の善戦に。
小泉)また、そのためにロシア軍は昨日(2月28日)ぐらいからハリコフに対して、無差別ロケット弾攻撃や無誘導爆弾による無差別爆撃を始めています。これが続くと、シリア(注1)やチェチェン(t注2)でもそうでしたが、大量の民間人の犠牲者が出るわけです。「頑張れば頑張るほど、ロシア側の無差別攻撃が激しくなって行く」というジレンマに直面している状況だと思います。
(注1)シリアで化学兵器が「容認」されつつある実態 なぜこんなに泥沼化してしまったのか2018/04/13 池滝 和秀
https://blog.goo.ne.jp/globalstandard_ieee/e/fa59aac516fd6c33710520353abe2cc2
]
(注2)チェチェンの歴史 ー なぜテロや紛争が続いているのか 尾登 雄平(おとう ゆうへい)


このままでは「降伏するかゲリラ戦で抵抗するか」という究極の二者択一を迫らざるを得ないゼレンスキー大統領
飯田)それに対してウクライナはどうするのかというところですが、ゼレンスキー大統領は「私はここにいるのだ。ここにいて最後まで戦うのだ」というビデオメッセージも残しています。一説にはアメリカなどが避難するよう促したそうですが。
小泉)ゼレンスキーさんは元コメディアンなので、「人からどう見られるか」という戦略がうまい人だと思います。ロシア軍が20キロぐらい先まで迫っているので、普通なら大統領は脱出すると思うのですが、あくまでも首都に踏み止まって戦うと。しかも閣僚がみんなで自撮りをして踏み止まっていることを知らせ、「みんな頑張ろう」と呼び掛けています。
有事のリーダーとしてはうまく振る舞っていると思うものの、軍事力ではロシアの方が圧倒的に優勢ですから、このままだと、どこかで組織的な抵抗ができなくなる壊滅点を迎えてしまうわけです。
飯田)どこかで。
小泉)そのときには、「降伏するかゲリラ戦で抵抗するか」という究極の二者択一を迫らざるを得ない。
飯田)究極の選択を。
小泉)唯一希望があるとすれば、その前に停戦で合意することなのですが、交渉は行われたものの、具体的な見通しは立っていないわけです。いずれにしても、非常に難しい状況にあることは間違いないと思います。
〇交渉がまとまらなければ、ロシアは凄まじい無差別攻撃に出る可能性も
小泉)これまでにロシアとウクライナの間で結ばれた停戦合意は、2014年の第1次ミンスク合意や、2015年の第2次ミンスク合意があるのですが、どちらもウクライナ軍の主力部隊がロシア軍に包囲されたなかで結ばれているのです。



飯田)包囲されたなかで。
小泉)ロシアにしてみれば政治的に有利なこと、つまり相手からすると、普通ならのみたくないような話をのませるときには、同時に圧力を掛ける。
これはロシアに限った話ではないと思いますが、
「我々の条件をのまないと破滅的な結果になりますよ」という形をつくってから交渉するわけですよね。
飯田)そういう状況に追い込んでから。
小泉)今回も同じように、「このままではキエフとハリコフが大変なことになりますよ」というメッセージだと思いますが、現実に停戦交渉がすんなりまとまらないだろうと考えると、これが交渉の材料ではなく、本当に更地にしてしまうような凄まじい無差別攻撃になって行く可能性があると思います。
現実にシリアでもチェチェンでもやったわけです。
そういう意味でも、これを単なる交渉戦術だとは見られないと思います。
〇都市への無差別攻撃が始まれば桁違いの死者が出る
飯田)アメリカ国防総省の高官などの分析では、ロシア軍は戦力の3分の2ぐらいを投入しているという話になっていますが、全力を投入した場合、瞬く間にハリコフが灰燼に帰す可能性もありますか?
小泉)3分の2ぐらいの戦力を投入しているというのは、おそらく地上部隊の話だと思います。これまでロシア軍は地上部隊を前進させて、都市を獲ろうとして来たわけですけれども、ロシア側の準備のまずさやウクライナ側の善戦があって、必ずしもうまく行っていません。
飯田)地上部隊の話。
小泉)一方でミサイル攻撃やロケット砲攻撃は比較的、前線の敵部隊に対して集中しています。一部は都市にも行われていましたが、過去の戦争ほど凄まじい人的損害は出していませんでした。
飯田)いまのところは。
小泉)ところが、「もうダメだ。シリアやチェチェンのように、都市に対しても無差別に攻撃する」とロシアが判断した場合には、桁外れの死者が出ると思います。まずこれが非常に不気味です。
飯田)都市への無差別攻撃が起これば。
 小泉)ここへ来て戦闘爆撃機が都市の上空へ飛んで来るようになっていますので、ロシアがこれまで投入を控えていたような戦力、あるいは使用を控えていたような方法を使い始めているのではないか、という危機感を強めています。
飯田)ハリコフでは多連装弾などが見つかりました。かなり殺傷能力が高く、あまりコントロールが効かないものを使った攻撃が始まるということですか?
小泉)これまでは平原地帯で軍隊と軍隊がぶつかっていたわけですが、軍隊の守りを簡単に突破できそうもないということになると、「無防備な都市を無誘導兵器で無差別に攻撃してやろう」ということになりかねない。現実にそうなりつつあるわけです。
〇国際社会がロシアの侵攻阻止に失敗した時点でウクライナの選択肢は限られてしまった
飯田)そのダメージを、ゼレンスキー大統領を始め、ウクライナ政府はのむのかという話になって来る。
小泉)究極の選択ですよね。ここで「ロシアに降伏します」と言えば、当面、人死には避けられるわけですが、おそらく相当、長期にわたってウクライナはロシアの政治的な強い影響下に置かれる。もっと言ってしまえば、支配下に置かれてしまうだろうと思います。
飯田)支配下に。
小泉)他方、それを避けるためには、ゲリラ戦でこの先も抵抗するか、あるいは都市に立てこもって戦うことになりますが、これは人的被害を伴うわけです。これまでとは比べものにならないような死者が出るでしょうし、戦争は長期にわたると思います。
飯田)長期戦に。
小泉)どちらを選ぶか。正解はないと思います。どちらも受け入れ難いものであることは間違いありません。
そもそも国際社会がロシアの侵攻抑止に失敗してしまった時点で、ウクライナが取れる選択肢はあまりないのです。
飯田)ウクライナが自発的に選ぶ選択肢が。
小泉)すべて丸く収まるという選択肢は、侵攻が始まってしまった時点でありません。最悪の状況のなかで、まだ受け入れられる最悪というようなものを探すしかないのです。そのなかで、民主的に選ばれたゼレンスキー大統領は「あくまでも抵抗だ」と言っているわけです。
飯田)ゼレンスキー大統領は。
小泉)それに賛同するか反対するかについては、私は部外者なので言えません。「それを尊重するしかないですね」というのが、いまの私の考えです。
〇ロシアに対して日本が厳しい経済制裁を科すことは日本の安全保障にとっても大事
飯田)西側諸国としては、力による現状変更を認めるわけにもいかない。
小泉)そうですね。
飯田)ゼレンスキー氏、あるいはウクライナを、西側諸国や日本がどう支援するかという話になると思いますが。
小泉)ロシアとの関係もあり、これまで日本が「ウクライナを支えましょう」という立場を鮮明にすることはなかったと思います。昨日(2月28日)、岸田首相もおっしゃったように、これは明確に国際秩序に挑戦している。つまりロシアは、これまで日本が安定して発展し、平和な国であることができた国際秩序というものを真っ向から壊しに来ているわけです。しかもその国は国連常任理事国で、さらに核兵器を持っているため軍事的に手出しができない。ここで日本として「ロシアの振る舞いはダメですよ」とはっきり言うのは、日本の国益にもなると思います。
飯田)はっきりさせることが。
小泉)また、台湾有事のようなアジアでの有事があった場合に、同じようなことが起こるという可能性もあり、日本にとっては安全保障上の喫緊の課題でもあるわけです。

飯田)台湾有事が起きた場合。
小泉)ですから、ロシアの行動にきちんと代償を払わせることは大事だと思います。今回、日本は厳しい経済制裁をロシアに対して発動しています。厳しい経済制裁を発動すると、ロシアのカントリーリスクは上がるわけです。
実際にBPやシェルなどの石油企業がロシアから撤退し始めています。
すぐにロシアを止めることはできませんが、こういうことを通じてロシアに「このようなことを繰り返しても何にもならない」と突き付けて行くことが重要だと思います。


(>_<) 3/30(水)春分後9日、天気=気圧変化等=痛、気圧低下は未明から続く、体調変化に警戒

2022-03-30 08:35:26 | 連絡
●1~7時台のアプリ「zutool」アンケートは、天気痛=気圧等変化痛
【少し痛い~痛い~かなり痛い】の回答の方が84%、
【普通】の回答」の方が16%。
●3/30(水)の東京:雲の多い天気が続くでしょう。お昼頃は晴れ間の出る時間もありそうです。
気圧は低下が長い時間続き、大きく下がる時間もありますので、体調の変化にお気を付けください。
最高気温は18℃の予想で、春の暖かさが戻ります。
(出典)
令和 4年(2022) 暦要項、二十四節気および雑節のサイト
https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/yoko/2022/rekiyou222.html
今日、明日、明後日の天気、気温、気圧及び頭痛の予想サイト
https://zutool.jp/
●今日6時台大田区予想気圧(1気圧との差分、重さ換算)132.1kg/㎡ 
〇今日6時台大田区実測気圧(1気圧との差分、重さ換算)221.9kg/㎡
◆1気圧との差分の重さ換算誤差=
100%×(予想気圧ー実測気圧)/実測気圧=-40.5%
(注1.1)、(注1.2)
(注1.1)気圧予想精度向上を図る「モノのインターネットとセンサーネットワーク」開発・商用化に必要なヒト・モノ・カネ体制整備=公助(自由民主主義、議員内閣制行政府による、安全な周囲環境下の安心=普通選挙権有権者家族が幸せな暮らしを送る=生活実現に必須の支援)の施策加速か
https://blog.goo.ne.jp/globalstandard_ieee/e/a01027cb0b60c8d7a45cf64fef7d69e9

(注1.2)日系(愛媛県)一世米国人「真鍋淑郎さん」が 大気・海洋大循環結合モデル&シミュレーションで2021年ノーベル物理学賞授与、欧州は先導制定規約二酸化炭素排出権ビジネス収入拡大=欧州のGDP増大に寄与か=>日本の二酸化炭素排出権輸入費用拡大とGDP[=消費+投資+政府支出+(輸出ー輸入)]減少に影響か
https://blog.goo.ne.jp/globalstandard_ieee/e/8b5ba458d2fc0163e5182915756ee833

(>_<) 気象病=天気痛=症状 季節変わり目 群発性頭痛 著名人、週間予想のサイトVer22-01-08
https://blog.goo.ne.jp/globalstandard_ieee/e/b4a15d0bbaf469fcc545ea16ae68624f
(>_<) 天気痛治療、「ひだまりハウス」町亞聖、うつ病・認知症専門医、 天気痛、リラクゼーション体操のサイト
https://blog.goo.ne.jp/globalstandard_ieee/e/aa9df40c8dc604b45450b897d1876508

(>_<)花粉症 天気痛 漢方、3月24日木曜日、今日の早起きドクター、韋晴明先生④
https://blog.goo.ne.jp/globalstandard_ieee/e/79ae357141e06548960a0dd603f032b0

(^。^) 天気痛や介護の予防、元気=免疫力=アップ 「 おおた健康講座」「ダンス」「ぽかぽか竹ツボ体操」「大田区六地蔵尊巡り」のサイトVer22-01-08
https://blog.goo.ne.jp/globalstandard_ieee/e/02d5e81b061c4e41ed4f16accb9f2e22