■当時から現在までの症状とその推移
私の当時の状況についてお伝えする前に、まずはうつ病における治療の流れについて簡単に説明します。
うつ病は一般的に大きく症状が出る急性期を経て、徐々に回復に向かう病気です。
(下図参照)
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下記URL
(引用元:https://utsu.ne.jp/treatment/approach/)
参照
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治療としては下記のような流れになりますが、私を含め多くの方は、発症してからしばらくはうつ病の自覚や精神科で相談するという選択肢がそもそも存在しないため、図中にある「うつ症状があらわれる」から「治療期」に入るまでの期間が長くなりがちです。
当時の私もその選択肢がなかった1人です。ありがたいことに大西が私の異変に気付き、通院を強くすすめてくれたため、比較的早期に受診することができました。
私の場合は、時系列で症状や精神状態が大きく異なるため、症状が酷かった「治療前」と「治療開始直後の急性期前半」、「治療中の急性期後半」、「回復期」の4つに分けて書きたいと思います。
時系列は下記です。( )の中には当時の状況を記載しています。
1.2019年11月~2020年1月 治療前 (トラブル中、症状の自覚なし)
2.2020年01月~2020年2月 治療開始直後の急性期前半(退任決定、診療を勧められる)
3.2020年02月~2020年5月 治療中の急性期後半(退任後、治療開始)
4.2020年6月〜現在 回復期(療養やデイケア・リハビリを兼ねた仕事)
4つの状態についてそれぞれご説明をします。なお、当時の手記を元に記載しているため、一部表記が分かりにくい点があるかもしれません。
何卒ご了承ください。
・1.治療前
○時期
2019.11~2020.1
○当時の状況
業務と並行し、社内トラブルを解決しようと一人で奔走していた時期。
大西が私と会社の異変に気付いてくれて、日本橋の大通りで彼との電話中に号泣したのもこの時期でした。
①食欲・体重の激減
私を知っている人は驚くかもしれませんが、食べることが好きだった私が、トラブルが始まってから全く食べれなくなりました。
一日一食、インスタントのお味噌汁だけで過ごす、みたいな日が何日も続きました。
創業後右肩上がりだった体重は、ピーク時の88kgから最終的に20キロ近く減少しました。
今思い返すとセルフネグレクトなどの自傷行為に近かったかもしません。
私の場合、中程度のストレスだと過食でメンタル側をリカバーし、
疾患発症レベルの過剰ストレスだと絶食になるのかもと感じました。
②睡眠障害
投資委員会や海外でのピッチなど、大一番でもしっかり睡眠は取れていましたが、この時期は起きている時、就寝時関わらず、常に頭の中で「何が悪かったのか、どうしたらいいのか」をエンドレスに考えてしまい、朝まで寝れないことが続きました。
③思考障害
人と会っている時、話している時だけはギリギリ体裁は保っていられたのですが、それ以外の時間は意識によらず、何をしていても「トラブルについての思考が止まらない状態」でした。
これによって、ストレスケアの観点から大切にしていた1人の時間が地獄に変わりました。
ある一定以上は悩んでも仕方がない事象というものはあるかと思います。
そのうちの一つであるとは理解しながら、思考の切り替えが自分の意思ではできない状態でした。
正直なところ、この症状が上記の①②よりも辛かったです。
専門医の先生に後日お伺いしたところ、うつ状態が酷い時は「ヒマな時間をヒマだと感じることができない」ということを教えて頂き、とても腹落ちしたことを覚えています。
○今振り返っての気づきやコメント
これらの心身症状がある状態、かつ疾患のある程度の知識を持っていても、当時は全くうつ症状の自覚はおろか、異常な精神状態であるという認識はありませんでした。
そういう意味では「自身の思考ロジック、判断基準や視野などにも大きく影響していたんだな」と今になって改めて感じています。
・2.治療開始直後の急性期前半
○時期
2020年01月~2020年2月
○当時の状況
トラブル終盤、大西を始め、残留メンバーやVCの皆さんが状況を知り、前面で対応してくれた時期。
○当時の症状
④希死念慮(死にたいと願う精神状態)
この辺りから希死念慮という、死にたいと思う気持ちが常につきまとうようになりました。
しかし、当時心配してくれた周りには「死ねないし、死なない」と言っていました。
ただ実際に死者が出れば、倫理上事業継続が難しい領域であることや、大切な人たちが悲しむことを考えると、どこまで行っても死ねなかったとは思います。
死にたい気持ちを因数分解すると、厳密には意識がある時間を無くしたいのだと思います。
事業家としては命の次に大切な時間を、この時期は「早く今日(意識がある時間)が終われば良い」とぼんやりベッドの上、動かなくなった身体で思いながら過ごしていた記憶があります。
⑤身体症状
とにかく身体が動かず、ベッドから起き上がれませんでした。特にお風呂が重労働でした。また、動けないゆえに頭の中では思考がグルグル巡り続けるという悪循環に苛まれました。
⑥感情の暴走
感情の制御が効かず、感情の振れ幅が以前と比べて大きくなりました。
急に涙が止まらなくなったり、悲しい気持ちになってその場から動けなくなったり、感情に伴う異常行動が多く表出したのはこの時期です。
また、自責、他責の切り分けができず全てを自身で対応し始めたのもこの頃です。
代表である以上、多くが自責であることは間違いありません。
ただ状況から見てどうしようもないものまでこの時は全て自分が何とかしなければばいけない、相談してはいけない=報告・連絡・相談否定症状=というマインドが強く頭を占めていました。
○今振り返っての気づきやコメント
心身の状態が今から考えると明らかに異常であるにも関わらず、自身には疾患発症の自覚はこの時もありませんでした。
その後、周りに通院を勧められてから初めてうつ状態を発症している可能性に思い至りました。
「心身喪失した状態での大きな決断は避けた方が良い」とよく精神医療においては言われていますが、これは間違いなくYESだと感じています。
不幸中の幸いですが、当時会社では大がかりな決断などを行う時期ではなかったのが救いだったと感じています。
トラブル時の決断はひどいものでしたが、現メンバーのおかげで最悪の事態は回避できました。
・3.治療中の急性期後半
○時期
2020年02月~2020年5月
○当時の状況
退任を決めた後に受診し、適応障害によるうつ状態と診断されました。
うつ病の簡易検査を行なったところ、57点満点の検査で健常人が0点~16点の範囲に収まるところ、私は46点でした。
聞かれている問いが、不思議なくらい当時の私にはしっくりきました。
この時、いくつかの薬を処方して頂き、治療を開始しました。
○症状
①~⑥の症状はなくならないものの、食欲と睡眠は退任後、徐々に回復しました。
他も症状そのものが無くなるわけではないですが、それらの頻度や重さは少しずつ落ちてきました。
致命的な症状や周りの状況が落ち着いたためかは分かりませんが、他にも症状があることに気付きました。
⑦トラウマ・フラッシュバック
当時のトラブルの現場や彼らと食べた物などと関連して、近づけない場所や食べられない物が出てきました。
なお、身体症状に現れるほど酷い状況ではないので、厳密にはPTSDやトラウマ・フラッシュバックの定義には当てはまりません。
また、きっかけの有無に関わらず、定期的に当時の状況を思い出して悶々とすることが見られました。
随分頻度は減りましたが、1年近く過ぎた今もあるような状況です。
⑧言語能力など、各能力の低下
トラブルが落ち着いて自身の状況に目を向ける余裕が出来たからか、自身の能力低下に気付きました。
これまではほとんどありえなかった一日に三回も予定調整の日程をミスしたり、同じ内容を何度も確認したり、明らかに以前と異なる自分に気付きました。
また事務処理能力や記憶力などが大幅に低下していました。
中でも最も気になっているのが言語能力の低下です。
元々良くしゃべる性分なので、周囲はあまり変わりないと言ってくれるのですが、表現したい内容とぴったり一致する言葉がすぐに出てこないもどかしさがあります。
イメージで言えば歯車がうまく噛まずに止まってしまう感じでしょうか。
会話は即レスを心がけているため、一致する言葉が探せず、以前が100%とすると60~80%の合致率くらいで会話している感じがあります。
⑨不安障害
治療開始後、最も苦しんだ症状です。
通常、既読スルーや、簡素なレス、予定のリスケなどは全く気にしないのですが、当時はこれらの言動に触れた際、誰もが離れていくんじゃないかという激しい不安に襲われました。
いつもの何気ないレスポンスや態度、話し方を異常なほどネガティブに捉えてしまう精神状態に陥りました。
初めて恋人ができた人が、パートナーを失いたくないあまり取り乱したり、束縛してしまうような状態に近い印象を受けました。この症状が表出している時は取り乱したり、ロジックが破綻していて、自身でも目を覆いたくなるような被害者意識が前面に出ていた記憶があります。
この症状は5年間走り続けた結果を全て失ったと思い込んでいたことによる自信喪失が根底にあると感じています。
その後、さまざまな人が寄り添ってくれたため、レコードや能力に対して人が付いてきてくれたわけではないと気づけました。
おかげさまで、現在この症状の表出はほぼありません。
⑩その他の変化や体験について
療養に専念し始めたこの時期、以前と比べていくつかの変化を経験しました。他の症状と比べると大した内容ではないですが、個人的に印象的な体験を2つほど記載しておきます。
①一つ目の経験は、神社などでの願掛けが全くできなくなったことです。
今までどんなに辛い事などがあっても、自身はある程度満たされていたため、大切な人のことをお願いするのが常でした。
ただこの時期は、自分のことを含めて願掛けは全くできませんでした。
私は支援を行っていた経験上、「自分の面倒を見れるようになってから他人を助けるべき。そうでないと沈んでしまう」というスタンスを持っていました。まさに「その通りになったなぁ」とこの時は感じました。
➁二つ目は、ストレングスファインダーなどの適正テストを行なった際にひどく苦しんだことです。
時間もあるし、改めて自身を振り返ろうと挑戦しましたが、今回の出来事や疾患によって、以前あった強みが、もはや強みではないのだと改めて認識する作業になってしまったのが良くなかったと思います。
当時は能力、実績、生きがい全てを失ったような印象が強かったためにそう感じていたようです。
○今振り返っての気づきやコメント
5年近くRESVOに全力投球した後だったので、退任後もしばらくはその実感がなく、心が休まらない、でもふわふわしているような、あまり生きている実感のない精神状態の日が続きました。
今考えるとこの時期に開始した投薬の影響もあったのかもしれません。
今回の一連のトラブルの振り返りをすることはもちろん、「この後自分の人生はどうなってしまうんだろう」というを不安すら考える余力、気力もなく、まずは何も考えずに意識的に休み、日々を生活することを意識していました。
頻度が少ないとはいえ、この時期も引き続き油断するといろいろと考えてしまうことがあったからです。
・4. 回復期
○時期
2020年6月〜現在
○状況
治療開始から最近まで、通院、投薬、リワーク・デイケアや福祉側の取り組みであるリカバリーカレッジ、いくつか頂いている仕事や継続的に気にしてくれていたコミュニティのお声がけなど、さまざまなところのお世話になって少しずつ症状の回復に向かいました。
現在も頻度は減りましたが通院を続けています。
○回復の傾向について
基本的に非連続な回復ではなく、症状は日によって起伏が激しいため、小さい回復と悪化を繰り返して、それでも少しずつ全体として上向きになっていくようなイメージでした。
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図は、下記のURL
(引用元:http://www.utuban.net/self/05/08.html)
参照
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具体的には5月の後半くらいから徐々に昔のアクティブな思考ロジック、性格が戻り、症状の表出頻度が減少し始めました。
現在は症状そのものはだいぶ落ち着き、寛解に向かっていると感じていますが、現状で回復したものと、後遺症のように、一定の回復はあるものの、完全には戻らなかったものもあるのでそれらを紹介します。
・回復したと感じるもの
①食欲、②不眠、③思考障害、⑤身体症状、⑥感情の暴走、⑨不安障害については完全に回復しました。
特に不安障害については、性格や思考ロジックに直接影響を及ぼすほどに強烈な症状だったため、これが改善したことが「回復期」に入ったのだろうと感じる一番のきっかけになりました。
・回復していないと感じるもの
④希死念慮、⑦トラウマ・フラッシュバックについてはだいぶ頻度も少なく、症状自体も軽微にはなったものの、完全になくなったわけではありません。
特に場所や場面におけるトラウマ想起は、試すことはできませんが恐らく今も続いていると考えています。
⑧言語を含む能力の低下ですが、回復したとはいえ、各能力でおおよそ発症前の30~60%くらいの値になっている印象があります。
これらの後遺症については一定までは回復していますが、今後はここからは100%に戻っていくのか、それとも戻らないのかはまだ分かりません。
日々じっくり観察したいと思います。