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長尾賢氏による論稿「中国と本気で戦うインド 日本はどれだけ理解しているか」はWedge Online Premiumにてご購入することができます。
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長尾 賢 (ながお・さとる)
米ハドソン研究所 研究員
学習院大学大学院にて博士号(政治学)取得。米戦略国際問題研究所(CSIS)客員研究員などを経て2017年から現職。日本戦略研究フォーラム上席研究員、スリランカ国家安全保障研究所上級研究員、未来工学研究所特別研究員なども兼任。著書に『検証 インドの軍事戦略』(ミネルヴァ書房)
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米国とロシアの関係が悪化する中、インドをめぐって1つのミサイルの取引が問題視された。
インドがロシアからS-400地対空ミサイルを購入したことである。
米国は、トルコがS-400地対空ミサイルを購入した際には制裁を課しており、インドに対しても制裁を課すのではないか、それが米国とインドの関係に大きく影響するのではないか、と危惧された。
そして、2021年12月には最初のS-400地対空ミサイルがインドに到着し、22年2月にはインドのパンジャブ州で最初のS-400地対空ミサイルの部隊が創設される予定だ。
実際には、米国はまだインドに制裁を課していない。
しかし、制裁を課すのではないかという危惧はかなり以前から議論されていた。
ここで疑問がわくのは、インドと米国が中国対策で協力するようになる中、なぜインドは、米国から制裁をかけられるかもしれない状態でも、S-400地対空ミサイルの購入を強行したのか、である。
そこで本稿では、このミサイルが、インドにとってどのような位置づけの武器なのか、そして、それが日本にとってどのような示唆を与えるのか、検証する。
〇インド軍の武器の60%はソ連・ロシア製
なぜインドがS-400 地対空ミサイルの取引を強行したのか。
最初に思い当たるのは、インドにとってロシアからの武器供給が重要だから、ロシアとの関係が痛まないように配慮した、というものである。
たしかにインド軍の武器の60%が旧ソ連およびロシア製の武器で占められている。
武器は高度で精密なのに乱暴に扱うものだから、常に整備・修理して使うものだ。
弾薬も消費する。
そうすると、修理部品や弾薬を供給してくれるロシアの重要性は、インドにとって大きい。
ただ、インドの武器輸入に関して近年の傾向を見てみると、ロシアの重要性は低下している。
図
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下記URL
参照
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は、スウェーデンのシンクタンク、ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)のデータベースを用いて、インドが1950年から2020年にかけて輸入した武器における、供給国のシェアを、ソ連およびロシアについては赤色、米英仏イスラエルの4か国に関しては青色にし、それ以外の国は灰色にして比較したものである。
こうしてみると、1961年まではインドの武器購入額のほぼ100%を青色の国々が供給していたのに対し、それ以降は、ソ連やロシアが圧倒的なシェアを占めてきたことがわかる。
しかし、過去10年くらいを見ると、ソ連やロシアが占めるシェアが急速に落ち、米英仏イスラエル各国からの武器輸入額がロシアを上回るようになっていることがわかる。
だから、依然として武器供給国としてのロシアの存在は、現在でも一定程度重要であるものの、将来を見据えると、ロシアよりも米国やその同盟国との関係の方が、インドにとってより重要になっていく傾向にある。
だからS-400地対空ミサイルの購入に際し、インドがロシアに一定の配慮を示した側面はあるだろうが、それだけで説明できるほど、強い要因とはいえないだろう。
では、インドは、なぜS-400地対空ミサイル購入を強行したのだろうか。
〇パキスタン対策に必要
インドがS-400地対空ミサイル購入を強行した背景には、外国(この場合は米国)の圧力に屈したようにみせるわけにはいかない、といった主権国家としての威信に関わる問題があるものと思われる。
ただ、それだけではない。そもそもS-400地対空ミサイルが、インドにとって魅力的だったからである。
どれほど魅力的だったのか。
インドがS-400地対空ミサイルの部隊を創設した位置から、その意図が読み取れる。
インドがS-400地対空ミサイルをパンジャブ州に配備しようとしていることは、パキスタン対策に必要だったことを意味しているからだ。
パキスタン対策にとってどの程度有用なのだろうか。
パキスタンは、1971年の第3次印パ戦争でインドに敗れて以後、インドに対抗するためにいくつかの戦略を考えた。
その
①一つは核兵器を保有することであり、
➁もう一つは、テロリストを支援してインドの国力を削ぐ、「千の傷戦略(どのような大きな国も、テロによって小さな傷をたくさんつければ力を削がれる、という戦略)」であった。
インドは対応を迫られたのである。
実際、2001年12月、パキスタンが訓練したテロリストがインド国会を襲撃すると、インドは対応を迫られた。
インドは70万人の軍を戦闘配置につけ、パキスタン攻撃の体制をとったのである。
しかし、実際にパキスタン攻撃の体制をとってみたところ、当時のインド戦略であった「スンダルジー・ドクトリン」には問題が多いことが露呈してしまった。
その作戦は、大規模な戦車部隊でパキスタンを南北真っ二つにし、全土を占領するものであった。
しかし、パキスタンが核兵器を保有している状況下で、実施できるとは思えなかった。
さらに、そのような大規模な攻撃を実施する体制になるには3週間もかかった。
だから、パキスタン側の防衛も強化されてしまい、30万人も配置についてしまった。
その上、戦闘配置に3週間もかかると、国際社会が、インドに対して、パキスタン攻撃をしないよう、強い外交的圧力をかけてきた。
結果、インドは「スンダルジー・ドクトリン」では、パキスタンが支援するテロ攻撃に対応するには、不十分であることが分かったのである。
〇限定的な攻撃を加える新作戦
そこで、インドは新しい戦略を考え始めた。方法は4つ。
パキスタン国内にある①テロリストの訓練キャンプだけを特殊部隊で襲撃する方法(16年実施)、➁空爆する方法(19年実施)、➂海上封鎖してパキスタンに反省を促す方法、そして、④戦車部隊でより限定的な攻撃をかける方法であった。
この最後の④戦車部隊で、より限定的な攻撃をかける方法は「コールド・スタート・ドクトリン」と呼ばれた。これがS-400地対空ミサイルと関係してくるのである。
この「コールド・スタート・ドクトリン」
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(注)「スンダルジー・ドクトリン」のスンダルジーは、この考え方を確立した当時の陸軍参謀長の名前。「コールド・スタート・ドクトリン」の「コールド・スタート」とは、冷えたミサイルを暖機運転なしに発射できる技術を指す。つまり、テロ事件が発生してから即応することを指しているものとみられる。
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では、あらかじめ戦車部隊を国境近くに配置しておく。
そして、パキスタンが支援するテロ攻撃が起きた場合、即攻撃に着手する。
攻撃は限定的で、パキスタンのテロの拠点などを対象とし、そこで攻撃をやめる。
パキスタンは核兵器を使うほどではない程度なので、核戦争にはならない。国際社会がインドを止めに入るとしても、そのような外交的な動きには、だいたい1週間程度の準備期間が必要な傾向がある。
また、国連常任理事国には、インドに味方する国もおり(冷戦時代はソ連、今は米国やフランスなど)、インドに攻撃をやめさせようとする決議がでそうになれば、それらの国々が拒否権を使うことができる。
1週間から2週間くらいであれば、そういった国々がインドのために拒否権を使い続けてくれるだろう(その後は我慢できなくなり、インドに早く決着をつけるよう要求してくる)。
そう考えるとだいたい2~3週間くらいあれば、パキスタンに対して、テロ支援の反省を促すような攻撃が可能だ。
だから、「コールド・スタート・ドクトリン」は現実味があるように思われたのである。
〇小型の戦術核でインドに対抗
ところが、パキスタンは、この「コールド・スタート・ドクトリン」に素早く反応してきた。
インドが、パキスタンが核兵器の使用を考えないような限定的な攻撃をしてくるなら、それに対応した、限定的な核兵器を保有すればいい、ということになった。
具体的には、侵入してくるインド軍に対して使う、威力の低い小型の核兵器(戦術核)である。
より小型の弾道ミサイルや巡航ミサイルを開発し、それに、その威力の低い核弾頭を搭載して、パキスタン国内に侵入したインド軍に向けて使うのである。
これはインドの「コールド・スタート・ドクトリン」にとっては、深刻な脅威であった。
パキスタンの核兵器の使用を思いとどまらせるには、もしパキスタンが核兵器を使ったら、インドも核兵器を使うぞ、という脅しが必要である。
ところが、パキスタン国内に侵入したインド軍に対して、威力の低い核兵器が落とされた場合、パキスタンがパキスタン国内に核兵器を落としたことになるから、インドの核兵器はどこに報復したらいいだろうか。
「一発殴られたら一発だけ返す」程度の比例的な対応を考えると、インドには報復する場所がないのである。
〇だからインドはS-400が欲しくなった
つまり、「コールド・スタート・ドクトリン」を実効性あるものにするとしたら、パキスタンの核弾頭を搭載した弾道ミサイルないし巡航ミサイルを、ミサイル防衛システムで迎撃しなければならないのである。
そこで、インドはS-400地対空ミサイルが欲しくなったのである。
インドには弾道ミサイルを迎撃するミサイル防衛システムはあるが、巡航ミサイルを迎撃するミサイル防衛システムはない。
S-400地対空ミサイルは、巡航ミサイルの迎撃に優れる。
射程も長いから、パンジャブ州に配備すれば、インドの戦車部隊がパキスタン領内に侵入したときでも、その上空を守ることができるのである。
米国製のミサイルではだめか。
米国製のミサイルでは、例えば高高度防衛ミサイル(THAAD)や地対空誘導弾パトリオット(PAC-3)、イージスアショアのようなミサイルがあるが、射程が短かったり、必要な場所に移動できなかったり、高価であったり、する。そのため、インドのニーズに合わない。S-400地対空ミサイルは、適切な選択で、インドはパキスタン対策として、とても欲しかったのである。
〇実は中国が握る主導権
ただ、このようなインドの思惑は、今は、有用だとしても、近い将来、崩されてしまうかもしれない。
それは、中国がS-400地対空ミサイルを突破できる極超音速ミサイル、例えばDF-17ミサイルをパキスタンに提供する可能性があるからだ。
実は中国は過去、パキスタンのミサイル開発を継続的に支援してきた。
表
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下記URL
参照
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はパキスタンが保有・開発中のミサイルの一覧である。これをみると、ガズナビ、ナスル、シャヒーンといったミサイルは、中国が開発を支援しているミサイルとみられている。
中国はパキスタンのミサイル開発に深く関与しているのだ。
そのため、インドのS-400地対空ミサイル対策についても、中国が関与する可能性が高い。
中国は自国でS-400地対空ミサイルを保有しており、突破する方法についても熟知しているものとみられる。
具体的には、中国が現在保有するDF-17極超音速ミサイルをパキスタンに提供する可能性があることが指摘されている(Sakshi Tiwari, “China Could Equip Pakistan With Hypersonic DF-17 Missiles To Neutralize India’s ‘Game-Changing’ S-400 Defense System – Experts”, The EurAsia Times, January 27, 2022)。
〇日本にとっての示唆 中国が日本向けにミサイル配備を減らす?
印パ間のミサイル競争は、一見すると日本と直接つながっていないように見える。
しかし、実際には大いに関係がある。
もし、インドが十分な数のミサイルを中国向けに配備していると、中国もインド向けにミサイルを配備する。
その場合、中国は日本向けに配備しているミサイルの数を減らす可能性があるからだ。
しかし、もし中国がパキスタンにミサイル技術を提供し、パキスタンが中国のDF-17のようなミサイルを配備した場合、インドは、パキスタン向けにより多くのミサイルを配備し、中国向けに配備したミサイルの数を減らすかもしれない。
インドが中国向けに配備したミサイルの数を減らすと、中国もインド向けに配備したミサイルの数を減らす。
そして、中国のミサイル戦力に余裕が出て、中国はその余裕が出た分を、日本向けに配備する可能性が出てくるのである。
つまり、パキスタンのミサイルが増えると、中国が日本攻撃のために使えるミサイルが増える可能性が出てくるというわけである。
実際には、もっと複雑な計算が必要なのであるが、印パのミサイル戦力のバランスが日中のミサイル戦力のバランスに影響を与えることは間違いないところであろう。
だから、日本としては、印パのミサイル戦力のバランスは、インドが少し優位になるくらいがいい。
今、日米の間でも、インド太平洋に何発のミサイルが必要か、といった議論が活発になっている。
新たに米国の中距離弾道ミサイルを、インド太平洋地域に、配備することも計画されている。
そうした議論に、印中間のミサイル戦力バランスは影響を与えるから、つまり、印パ間のミサイル戦力のバランスも、一定の影響力を与えるのである。
注目である。