1861年には母国アメリカでもニューヨーク~サンフランシスコの大陸横断電線にサミュエルの方式が使われ、本人の望み通り、「電信の発明者」の地位は揺るぎないものとなりました。
娘がプエルト・リコの農場主(ただしデンマーク人)と結婚したため、サミュエルも同地との縁ができ、プエルト・リコでも自分方式の電線を引いています。
彼はプエルト・リコのことがよほど気に入っていたようで、テストメッセージのテンションが尋常じゃありません。
例によってテキトーな訳と共にどうぞ。
"Puerto Rico, beautiful jewel!
(美しい宝石、プエルト・リコよ!)
When you are linked with the other jewels of the Antilles in the necklace of the world's telegraph,
(この通信によって他のアンティル諸島の島々と結ばれるのならば、)
yours will not shine less brilliantly in the crown of your Queen!"
(あなたがたの女王の輝きが失われることはないだろう!)
……とりあえず「褒め称えたいのはわかったから、ちょっと落ち着いて……」という感じですね。
微笑ましいですけども。
ヤボを承知でツッコむのであれば、当時プエルト・リコはスペイン領で、アンティル諸島はオランダ領だったので同じ女王を戴いているわけではありませんでした。
多分サミュエルは知らなかったんでしょうね。
これよりずっと昔にオランダがスペイン(のハプスブルク家)の領土だったことはありますが、多分そこまで考えていってないでしょうし、その時代に女王はいませんし。まあいいか。
モールス信号は船舶の一部やアマチュア無線の世界ではまだまだ現役です。
お年寄りの中にはごく稀に「戦時中に習ったのを覚えてるよ」なんて方もいらっしゃいますね。
シンプルなものほどいつどんな状況でも使えますから、当分の間は細々と使われ続ける技術の一つかもしれません。
長月 七紀・記
参考&TOP画像:サミュエル・モールス/wikipedia NTT東日本・通信偉人伝