久しぶりに訪問した麻酔博物館(神戸市)で、新しい展示パネルにパルスオキシメータの「発明者は日本人、青柳卓雄」の文字が躍っていた。
パネルには、パルスオキシメータの生みの親たちの功績が凝縮されていた。
パルスオキシメータ
は、血中酸素飽和度と脈拍数をモニタリングするための装置である。
研究開発から45年が経過し、今や医療分野で欠かせない存在になっている。
医療機器としてのパルスオキシメータの開発の歴史をたどると、日本で生まれた後に米国を経て、日本で再び花開くという数奇な運命のような実像が浮かび上がる。
パネルには開発の歴史や多種多様なパルスオキシメータが紹介されていた。
特に目を引くのは、国際的な開発競争、特に日本と米国の「戦い」の様子が一瞬にして分かるように工夫されていることだ。
一言で言えば、発想・試作は日本、商品開発は米国、そして実用化・汎用化は日本という「国際的な競合製品」の構図になっている。
パネルでは、その源流となる「発明」にスポットライトが当てられ、「誰が何を考えて開発したのか」という当時の様子が再現されている。
日本光電の青柳卓雄氏の特許申請と、当時のミノルタカメラ(現コニカミノルタ)山西昭夫氏の特許申請が3週間程度の差だったというストーリーが存在する。
〇日本では「使いものにならない」と烙印
しかし発明当時、まだ電子備品類の精度がままならない頃の日本では「使いものにならない」と烙印(らくいん)を押されたような扱いになっていた。
ところが、その後、麻酔領域や新生児領域での有用性を確認したカリフォルニア大学サンフランシスコ校(University of California、San Francisco)名誉教授のジョン・セベリングハウス氏がその情報を発信。
米国の2社が製品化を目指した。
「発明者は日本人」というコメントも同時発信されたことで、青柳氏が「パルスオキシメータの父」として知られるようになった。
パネルには、世界はパルスオキシメータの輝かしい発明により「青柳卓雄の恩恵を受けている」というセベリングハウス教授のコメントが掲載されている。このコメントの意味は深い。日本や欧米でパルスオキシメータの生産量が急増し、医療のあらゆる現場で利用されていることを指しているからだ。
米国で開発された重症患者向け主体のパルスオキシメータは、現在も活躍している。
ただし初期の高性能・高機能機種の活躍の場は、クリティカルケア領域に限られる。
「世界に恩恵」はこの製品を含んでいるものの、日本市場だけで年間20万台以上出荷される小型実用機が、あらゆる領域で活躍する主役になっているのは間違いないだろう。小型軽量化や簡易化は汎用・普遍化につながり、日本メーカの独壇場というべき状態になっている。
パルスオキシメータという機種が前代未聞の「医療への貢献」を実現しているのは、創始者たちに帰するといえる。
第2のパルスオキシメータが再び日本から生まれることを願っている。
その際は、日本がいち早く有用性を認めたいものだ。
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00546/00005/?P=2