民平的幸せ体感記3【40代編】

かつて世界一周一人旅をした「みんぺ~」のユルくてどうでもいいブログ。ちょっとハッピーな気持ちになれるとかなれないとか。

児童養護施設職員とオリンピック

2021年07月25日 | 児童養護施設の仕事
賛否両論ある中、オリンピックが始まった。

施設の子たちは思っていたより関心あるみたい。

リビングのテレビでオリンピック中継が流れているコトも多い。

今朝は仮面ライダーセイバーの代わりにオリンピック中継が流れてて、小学生達が怒ってたけど(笑)

とある就学前の女の子が言った。

ねぇ、顔が黒い人がいるよ!

開会式の入場シーンを見て、とある高校生が言った。

どんだけ国あるんだよっ

期間中、観たこともない競技を目にすることもあるだろう。

オリンピックが日本で開催される。

子ども達にとって、それはやっぱり意義あるコトなんだなぁと思う。
先ほど、卓球の水谷伊藤ペアが大激闘の末、勝利した。想像を絶する緊張感からの開放だったんだろう。伊藤選手は勝利の瞬間、涙を流した。

それを観てもらい泣きする、夜勤あけのボク(笑)

一生懸命な人ってキラキラしてる。

そんなアスリート達から、子ども達と一緒に色んな刺激とエネルギーをもらいたいと思う。

児童養護施設職員にとって、一年で一番疲れる夏休みはまだ始まったばかり(^。^;)頑張ろっと。

児童養護施設は不幸の象徴?

2021年04月28日 | 児童養護施設の仕事
多くの方にとって「児童養護施設」という存在に触れる機会は少ないだろう。

学区に施設があれば別だけど。

ボク自身が子どもの頃、隣の学区に児童養護施設があった。

何となく存在は知っていたけど、どんな子がいてどんな生活をしているのかは知らなかった。

まさに無知無関心そのもの。

普通はそんな感じで大人になっていくんだろう。

大人になってから歳を重ねていくんだろう。

「知らない」って、不安や怖さに繋がる。

「かわいそう」って、偽善的な同情に繋がる。

まぁ「無関心」よりは良いのかもしれないけれど。

昨日、とあるドラマを観ていたら、「児童養護施設」が出てきた。

これは珍しいコトではない。

むしろ「またか」って感じ。
気にしてみるとドラマには頻繁に「児童養護養護施設」が登場する。登場人物がかつて児童養護施設で育っていた…。犯人たちの絆はかつて施設で生活していた時に…。 

ヤバい凶悪犯が実は小さな頃、親に虐待され、施設に…。

とりあえず児童養護施設で生活していたコトにしておけば、何だか分からないけど視聴者は納得し、感動するからオススメ!

脚本家の教科書かなんかにそう書かれているのでは?

そう疑いたくなる位、本当によく登場する。

ちょっと待ったーーー(>_<)

児童養護施設に勤める一人として声を大にして言いたい。

安易に不幸の象徴として使わないで

そりゃ一般家庭で育っている子ども達よりは様々な制約もあり、苦労もしている。

でも、その生活を辛く捉えている子もいれば、前向きに受け入れている子だっている。

「家に帰りたい」と思う子がいれば、「救われた」「やり直せる」と思う子もいる。

生活している子ども同士、仲良くて絆を感じている子もいれば、そうでない子もいる。

就職する子もいれば、進学する子もいる。

親との関係が良くなる子もいれば、距離を取るコトで互いが幸せな家族もある。

施設を出てから、結婚して子育てしている子もいれば、なかなか彼女彼氏が出来ない子もいる。

気軽に施設に遊びに来てくれる子もいれば音信不通になってしまう子もいる。

そりゃ悪いコトしちゃう子も中にはいるけどさ。

でもだから不幸な訳じゃないし、幸せになれる様にボク達は全力を尽くす。

要するに、子ども一人ひとり違うんだから一面的に描かないで~ってコト。

児童養護施設で生活している子たちもドラマは見る。

どんな気持ちになるんだろ。

嬉しくはないよなー。

とりあえず「児童養護施設=不幸」では決してない。

かと言って、ドラマチックで感動的な美談がありまくる場所でもない。

色々な事情で親と離れた子どもが、人生の一時期、生活する一人ひとりの「お家」なのである。

それ以上でもそれ以下でもない。

とは言え、普通に生活してたら児童養護施設のコトを知る機会もそこで生活する子どもに出会う機会も少ないだろう。

地域のニーズに応える施設作りはしていきたいけど、いつでも誰でもどうぞ~って訳にもいかない。という訳で、本日も休日使って、聖火トーチと共に、オレンジリボン活動を応援して下さっている企業さんを回って対話の機会を設けてきた。社員の皆さんにトーチを見せつつ、ボクの取り組んでいる活動について説明した。こういうコトの積み重ねがきっと、いつかどこかで誰かを支える力になる。きっと。久々に食べるマックフライポテトの美味さに感心しながら、そんなコトを思ったり、思わなかったり(^-^)不健康で健康で、健全で不健全で、ちゃんとしてたりしてなかったり、ボクもまた多面的だ。

でも人ってそんなもんだよね?

という訳で、どこかで児童養護施設で生活している子や、施設を出た子に出会ったら、色々フィルター通さずにその子の幸せ願って支えてあげて下さいねー。

彼らがステキな大人たちに出会えますように!

児童養護施設職員、胃袋を掴む

2021年04月20日 | 児童養護施設の仕事
23時過ぎ、翌日の弁当の下準備をしていると、Aくんがやってきた。

お腹すいたー。

なんかない?

もうこんな時間だし無理だよー。

明日起きたら朝御飯食べなー。

そんな対応がたぶん正解なんだろうけど、Aくんのこれまでの色々やボクとの関係性もあり…

仕方ないな~と余った食材を使ってチャーハンを作ってあげた。美味い!

ごちそうさま!

ありがとう!

そんな嬉しくなるようなリアクションは皆無だったけど、Aくんは、ムシャムシャとあっという間に食べ終えた。

食べ終えた皿は言われなくても下げていった。

お!

いつもは出しっぱなしなのに。

そんな姿が答えだと前向きに捉えてみる。

日々、大小のクエスチョンに対する解答作業をしている感じ。

何が正解なのか、てか、正解が正しいのか…よく分からない。

マニュアルがあるようでない仕事なのである。

迷った時は、目の前の子のずっと先を見てみる。

見えないけれど、見ようと試みる。

中学生の頃のボクなんてメチャクチャな食生活だったのに、それなりに心身健康な大人になった。

だからたぶん大丈夫。

まぁ甘々な自己評価だけど(笑)

ひとまず胃袋を掴むコトが大切だってのは恋人だけでなく、子どもに対しても同じだろう。

ましてや色々満たされずに、沢山我慢して育ってきた子たちだ。

お腹一杯になると、なんか心まで満たされた気になる。

だからまぁいっか。

例え不正解でも「まぁいっか」「大丈夫」って言ってあげられる。

そんな余裕を大切にしたい。沢山食べて身も心も大きく育ちますように。

児童養護施設職員とある日の光景

2021年04月18日 | 児童養護施設の仕事
児童養護施設には、色んなある日がやってくる。

ある日の昼前、起きてきた中学生Aくんに「おはよー」と声をかけたら蚊の鳴くような声で反応あり。

ある日の昼食後、「片付けお願い」とつぶやいて、使った食器全て置きっぱなしでAくんは部屋に戻っていった。

ある日の夕食後、嫌いなおかずを「残すから」と一言言って残した。

ある日、遅刻していったAくんの部屋に、1ページだけ答え丸写ししてある宿題のワークブックが置き忘れていた。

ある日の光景である。

普通のハードルを設置していたら、普通の物差しで見たら、とても褒められない姿かもしれない。

でもボクはそんな彼の姿を前にした時、大声で叫びたい位に嬉しく感じた。

ワクワクが溢れ出た。

え?

なんで?

挨拶しても反応なく目も合わさない、食べ終えた食器は全てそのまま、何も言わず嫌いなおかずを残す、宿題なんて全くやらない。

沢山の褒められない行動に対して、感情的にならずぐっと堪え、長い目で見守ろうと自分に言い聞かせる。

でも伝えるべきコトは、その時のベターな方法で伝えてみる。

伝えられず、伝わらず反省する。

無視されて、おいおーい!と内心で思う。

暴言で返され、他のやり方があったのでは?と自問自答する。

沢山のそんな上手くいかないある日を重ねてきたからこそ、沸き上がる感情がある。

ある日、突然目の前にステキな光景が現れ、ワクワクが溢れてくる。

この仕事、おもしれぇー!って思う。

「当たり前」や「正論」が通じないコトが多い仕事だ。

沢山の我慢と許容が必要な仕事だ。

でも、なんでもないある日の光景に叫びたくなる程の喜びを感じられる仕事だ。

20年続けたからこそ見えてくる光景もある。そんな光景の素晴らしさをどう後輩達に伝えていくか。

難しい課題があるからこそ面白い。

そんな前向きさをどう後輩達と共有していくか。

児童養護施設職員になって21年目だからこその日々を楽しもうと思う。出会う光景に感動する気持ちを大切にしようと思う。ワクワクした時の気持ちをやりがいに変換していこうと思う。

21年目、目の前には課題が沢山だ。

楽しもうと思う。

児童養護施設職員は「先生」ではない?

2021年04月12日 | 児童養護施設の仕事
前回の内容と少しかぶるのだけど、児童養護施設職員って「先生」とは違う。

今でもごく自然に「○○先生」と呼びあっている施設も少なくない。

けれど、うちの職場は、少なくともボクが就職した20年前にはそうじゃなくなっていた。

○○さん、○○ちゃん、その他周りが不快に思わない愛称で呼ばれている。

ちなみにボクは○ぺーちゃんだ(笑)

教育学部で学んできたボクは、当初、気がつくと「先生」になっていた。

行動、口調、思考…その全てが。

色々が上手くいかなかった。

あれ?先生じゃない道を選んだはずなのに何やってるんだろ。

児童養護施設は家庭的役割である。

学校ではない。

子ども達にとっての「家」なのである。

一日学校で頑張ってきて帰宅したら、また「先生」がいるって疲れちゃうよなーと思った。

「学校」感や「先生」感を出さないようにしよう。

子どもが間違って「先生」って呼んだら「先生じゃないよー」って返すコトに。

まぁ深く考えず「先生」呼びって便利で楽なんだけど(笑)

施設職員って親代わりですよねー

お父さんみたいですよねー

そんな風に外部の方に言われるコトが多い。

そうなんだけど、そうでもないというか…。

確かに子ども達にとってそんな存在になろうと思った頃もある。

でもそれも違うと気付いた。

親との関係性は一人ひとり違う。

施設職員がどんな存在かは子ども達が自由に思うことで、こちらが意識する必要はない。

結果的に、お父さんみたいな存在って思ってくれたら、それはそれで嬉しいし、頑張ろうって思うけど。

子どもと施設職員の関係性も一人ひとり違う。

ボクは「先生」感を出さない職員だ。

子どもにとって頼れる施設職員○ぺーちゃんになろう。

そんな風に思えてからは肩に力が入らなくなり、ユルく、でも臨機応変に、自分なりのプロ意識を持って子ども達と向き合えるようになった。

あと数ヶ月で45歳になる。

今更変えれないので、この先もボクは「○ぺーちゃん」と呼ばれるんだろう。

きっと60歳になっても(笑)

そんなユルい施設職員人生、悪くない。こうなったら最強の施設職員○ぺーちゃんを目指そうと思う。親しき仲にも礼儀あり、そんなメリハリも大切にしながらね。あ、全ての児童養護施設や職員がこんな風ではないので…悪しからず(^-^;)