民平的幸せ体感記3【40代編】

かつて世界一周一人旅をした「みんぺ~」のユルくてどうでもいいブログ。ちょっとハッピーな気持ちになれるとかなれないとか。

つゆ焼きそば@弘前パークホテル

2018年09月30日 | グルメ
先日の帰省で一泊だけしたホテルの朝食バイキングにあった一品。青森県民は、ソース焼きそばに、そばつゆをぶっかけて食べる。ウソだ。
青森県内でも一部の地域のB級グルメ的な食べ方である。
別にすごく美味くも不味くもない。

まぁこんな感じになるだろうね…的な一品だけど、珍しい食べ方なので紹介してみた。

ちなみに、地元にいるとなかなか泊まる機会のないパークホテル、色々が充実してて値段の割に良いホテルでした。

一階にある紀伊国屋も健在で安心しました。

幸せな旅立ち

2018年09月28日 | 日記
親父のコトは尊敬していた。

仕事である障害児教育のコトや人生について、息子なりに理解しているつもりだった。

沢山話も聞いてきたし、聞きたいコトは聞いてきたつもりだった。

沢山の人に慕われ、支えられているとも思っていた。

しかし、誤算だった。

甘かった。

弔問に来た多くの教え子、同僚、友人の方々が、涙と共に口にする親父の姿。

それは、ボクの認識を遥かに越えていた。

ボクが思っていた以上に、親父は、偉大な研究者であり、教育者であり、実践者であり、そして何より大きな父親だった。

息子としては穏やかな印象しかなかったけれど、世の中の矛盾や社会的弱者のためにはアツく、妥協を許さない、そんな面もあったコトを知った。

大分県出身の親父は、生まれ故郷でもなんでもない青森県という地を愛し、その地で人生のほとんどを生き、多くの人に愛された。

最後の挨拶をするため、老若男女、何百人もの方が来て下さった。

直接来られない方は、様々な形で想いを届けて下さった。

本当にありがたい。

親父との思い出を、泣きながら語って下さる方。

ボクは泣きながら聞いた。

優しい笑顔と共に、ボクたち家族に労いの言葉を送って下さる方。

ボクは泣きながら感謝した。

そんな親父のために集まった方たちは、とにかく母にも優しかった。

気丈に振る舞いつつも、時々流す母の涙を見ると、その都度、ボクも泣いた。

すごく複雑な涙が流れた。

親父のためにお別れ会実行委員として企画して下さった方。

号泣しながら親父に弔辞を述べて下さった方。

本当に多くの方が、最期の時を共に過ごして下さった。

笑顔と涙で見送って下さった。

親父はなんて幸せ者なんだろうか。

誠実に生きるとこんな風に惜しまれながら旅立てるのか、と羨ましくも思う。
両親の意向あり、無宗教な自由葬であり、呼び名もお別れ会だった。お線香もお経もなければ位牌もない。でも代わりに沢山の花を送られ、歌声やギター演奏が鳴り響いた。位牌の代わりには、一度目の大病後、身体が不自由で意識朦朧な状態で必死に書いた母への感謝のラブレターが飾られていた。カッコ良すぎだよ、親父。

孫としては一番最早く親父に出会い、一番長く親父と過ごしたボクの娘そらネェ。沢山の涙と共に想いを手紙に託して、じいじに捧げた。

涙で読めなくなったそらネェに代わり途中からボクが読んだんだけど、ボクまで声が詰まり始めるというコントみたいな展開を何とか乗り切った。

そらネェの手紙の中にもあったけど、悲しい涙の中に嬉しい涙も混ざった、そんなステキで幸せなお別れ会だった。

親父を愛して下さった多くの方に感謝申し上げます。

本当にありがとうございました。

お別れ会翌日、ボクは母を少しでも助けたい一心で、昼食も取らずに、香典などをパソコンに打ち込む作業をしていた。

帰りは、青森空港4時半発なので、ギリギリ間に合うまでやろう。

母に負担をかけないため、空港行きのバスで帰ろう。

そんなボクを、天国の親父は必死に呼んでいたのかもしれない。

おーい!みんぺー!

このままじゃ礼服忘れどころじゃないトラブルが発生するぞ。

どうにもならなくなるぞ。

みんぺー!気付け!!!

ダメだ。

聞こえない。

しかし、そんな想いが伝わったのか、パソコンに向かっているボクに、嫁さんが出発時間を確認してきた。

一応確認したら…衝撃の事実発覚。

青森空港4時半出発ではなく、名古屋空港4時半着だった(゜o゜;

なんと一時間半後には飛行機が離陸してしまう!!!

ウソでしょ(笑)

そこからの慌てっぷりと言ったら…

もう笑うしかない。

結局、忙しい母に空港まで送ってもらうコトに。

作業が中途半端になってしまったこと、母にゆっくり寄り添ってあげられなかったこと、弟にそんな母のフォローを任せて、また長野県に戻ること。

今までとは少し違う想いに包まれ、よく分からない涙が流れた。

ごめんなさい。

かなり強引な行動だったけど、亡くなる前日、生きてる親父に30分だけ会えた。

お別れ会に向けて、長男なりに一族をまとめた。

母のフォローはした。

なるべく母の隣に立つようにした。

お酒が入った席では、明るく楽しく振る舞った。

今の自分に出来るコトはしたつもり。

色んな方に前向きな言葉を頂き、気持ちは前向きだ。

親父は心の中にずっといる。

たぶん、そうやって多くの人は「大切な人の死」という悲しみを乗り越えていくんだろう。

でもやっぱり悲しい。

次からは親父のいない青森県に帰省するコトになる。

存在としてはもういない。

この現実を思うと涙が流れてくる。

寂しいものは寂しいし、悲しいものは悲しい。

本当の意味で親父の死を受け入れるには、もう少し時間が必要なのかもしれない。

流れる涙は流しておこう。

焦らず丁寧に生きたいと思う。

平成最後の年、70歳まで立派にカッコ良く生き抜いた最高の父だった。
愛する妻、おっちょこちょいな長男をはじめとした四兄弟、その家族たち、その他、沢山の愛すべき人に見送られ、親父は天国に旅立った。

好きで好きで堪らなかったお母さんは四兄弟で支えるから大丈夫。
お父さん、ありがとう。

親父からのプレゼント!?

2018年09月25日 | 日記
今回は別に焦っていなかったし、落とし物をしたり、時間に遅れたり、予約の日付を間違っていたり、というミスはなかった。

天気も空港がある名古屋は雨で、かなり揺れたけど、ネタにする程でもなかった。

基本的に、学習能力が多少はあるので、同じ過ちはしない(ように気をつけている)。

葬式なのに、礼服を忘れる。

こんな新たな失敗パターンがあるとは…

出発前夜、クリーニングしたばかりの礼服を、確かに用意した。

スーツ専用バッグにすぐ入れれば良かったんだけど、アイロンをかけた別のシャツ二枚を入れて、そこで満足してしまったのである。
親父と涙の対面を果たした後、荷物整理してくれていた嫁さんが気付いた。
あれ?

礼服は?

入ってないけど。

…あ、あ、あ!!!

…入れてないかも。

…でもまぁ仕方ない。

こういう時は驚くほど焦らない(ようにしている)ボク。

ひとまずフェイスブックに投稿してみた。

「貸しますよー」的なコメントを期待したけど、そう都合良くは来ない。

↑みんぺー、甘い、甘すぎる。

まぁ実際に使用するのは2日後だし、何とかなるだろうと、考えるのを止めてみた。

ないものはないし、焦ったって仕方ない。

ここは故郷だ、実家だ。

支えてくれる人が沢山いるのが故郷であり、何でもあって何とかなるのが実家である。

↑みんぺー、甘い、甘すぎる。

ん?

…ボクはふと思った。

親父の礼服が…ある!?

しかし、痩せ型の親父の礼服を、中肉中背のボクが着られる訳がない。
そもそもそんなコトってあり得る?

母に相談して、出してきてもらうと奇跡のジャストフィット。

そんな訳で、「父の葬式に息子が父の礼服を着て参列」という、シュールなんだかハートフルなんだか良く分からない状況になる。

参列される方、サイズ感がややおかしい礼服姿のボクを、どうかそういう目で見ないであげて下さい(笑)

でも、このブログの一番のファンだった親父はきっと笑ってくれると思う。

みんぺーまたかー(笑)…って。

よくブログを読んだ直後に心配の電話やメールもしてくれた。

親父、最後の最後までありがとね。
ブログネタと礼服、親父からのプレゼントとして、受け取りたいと思う。また、明日。

焼き醤油ラーメンスペシャル@ラーメン味楽利尻島

2018年09月25日 | グルメ
先日の横浜旅行の際、引率責任者の権限?で立ち寄った新横浜ラーメン博物館。

悲しいコトがあっても腹は減る。

プライベートで行った訳ではなく、しかも中高生と一緒なので、いかに食べたい一杯を食べられるかが勝負だった。

中高生達なので当然ガッツリこってりな感じな一杯を食べたがる。

何とか説得し、一番食べたかった利尻昆布を使った一杯に誘導成功。この店が人気ナンバーワンだ。

北海道まで食べに行けば交通費だけで何万円もかかるんだぞ。
40分並び、苦労の末たどり着いた一杯。

40分なんて、利尻島に行くと思えば楽なもんだ。

店内には巨大な昆布のオブジェあり。
言われないと昆布だと分からないエイリアンな感じがステキだ。
外観はこんな感じで、人造的な風情ある風景。
テーマパークみたいなもんなので、観光地っぽさとか、風情がないとかは、この際どうでも良い。

良いから早く美味い一杯を食べさせてくれー!

行列に並ぶコトで期待が高まったし、冷静な感想ではないのかもしれないけれど、とりあえず圧倒的な昆布出汁の旨さに圧倒された。

これぞ、う、ま、み!!!美味しいーーー!

かなり満足な一杯でした。

ホントはもう一軒ハシゴしたかったけど、待つのは苦手な子たちだったので、この一杯でおしまい。

でも食べたい一杯が食べられたから良かった良かった。

ごちそうさまでした。

親父とボクの30分間

2018年09月21日 | 日記
昏睡状態からは少し回復し、全くの無意識ではない親父と会ってきた。

会話にはならなかったけど、しっかり命に向き合い、手のひらで親父の温もりを感じてきた。

母は奇跡だと喜んでくれた。

良かった。

「生きている」というより「生かされている」

沢山の管が繋がり苦しそうな親父を見て、命について考えさせられた。

もはや親父には選択するコトも決定するコトも出来ない。

それでもやっぱり親父は生きている。

脈を打ち、必死に呼吸していた。

母は、もう少し元気な頃から親父をずっと介護してきた。

キレイごとでは済ませられない現実がそこにあった。

だからボクは長男として、母のどんな決断にも同意しようと決めている。

きっと親父も分かってくれるはず。

ふと弱い姿を見せてくれる母のそばにいて支えてあげられないコト。

辛いけれど、これも自分で選んだ現実だ。

長男として、何が出来るんだろう、すべきなんだろうって自問自答してきた。

生きるって難しい。

そんなボクは、中学生の頃から「お父さん」と呼べなくなった。

津軽弁の事情だったり、反抗期だったり、まぁ色々で。

30年近く「オヤジ」と呼んできたので、別に直すつもりはないし、今更「お父さん」とは呼べない。

それがボクと親父の関係なのである。

でも、沢山遊んでもらってた少年時代のボクは、たぶん何のためらいもなく「お父さん」と呼んでいたんだろう。

躊躇なく「お父さん」と言う弟を見て、ボクも30年ぶりくらいに「お父さん」って呼んでみた。

お父さん、ありがとう。

また会いにくるから。

4時半に家を出て、バス、電車、新幹線、飛行機に、一日中乗ったり降りたり、走ったり。

帰宅はギリギリ日付が変わる頃になる見通し。

親父と一緒にいられたのは、たったの30分くらい。

我ながらとんでもないトンボ返りを実行したもんだ。

でも、ボクの人生において、すごく意味のある、意義深い30分間だったと思う。
会いに行って良かった。

また会いにくるから。