民平的幸せ体感記3【40代編】

かつて世界一周一人旅をした「みんぺ~」のユルくてどうでもいいブログ。ちょっとハッピーな気持ちになれるとかなれないとか。

児童養護施設職員の日常

2020年08月19日 | 児童養護施設の仕事
「8時半に起こせ」

夜勤あけの朝、そんなメッセージが書かれた紙がA君の部屋の扉に貼られていた。

人に頼む時のメッセージとしてはかなり不適切である(笑)

親しき中にも礼儀あり。

家族間であってもそんな頼み方はあり得ない。

うん、そりゃそうだ。

正論であり、そんな頼み方であれば応じないってのも一つかもしれない。

しかし、様々な事情により施設にやってきたAくんは大人に頼れず、甘えられないコだった。

大人なんて信じられない。

大人なんて敵だ。

特にボクに対して何かをお願いするコトに、かなりの抵抗感を示してきた。

父親と適切な関係を築いてこれなかったコによくある姿である。

いや、年頃の男子が父親に素直になれないなんてむしろ自然な関係なのかも。

自分だって親父に素直に甘えられる様になったのは大人になってからだ。

だから偉そうなコトは言えない。

そんなボクも、今や2児の父であり、施設職員としては20年目のベテランだ。

40代半ばのボクは施設の子たちにとって父ちゃん的立場でもある。

ダメなコトはダメだと言わないとだし、時には壁にならないといけない。

だからこそ、子どもによっては素直に頼ったり甘えられる様になるまでに時間がかかる場合もある。

そんなボクに、不適切な表現であるとしても、お願い出来るようになったコトは認めてあげたいと思う。

毎日、昼まで寝て不登校だったコが、ゲームのためとはいえ、朝起きようとする姿勢も認めてあげないと。

おはよー!

8時半だよー!

うるせぇー!!!

…^_^;

結果的には、起こしても起きなかったAくん^_^;

まぁ想定内だし、そんなもんだ。
そのうちに「起こせ」が「起こして」になる日が来る。

根拠はないけどきっと。

根拠がなくても、とりあえず、待ってみて、我慢してみて、頼まれてみて、空振りに終わって…

そんな繰り返しの先に、大人を少しずつ信じて、頼れるようになってくれると良い。

大人を頼る。

信じてなんて言わないから、まずは頼ってみるコトから。

児童養護施設職員ってそんな仕事です。

児童養護施設職員と感情労働

2020年07月14日 | 児童養護施設の仕事
児童養護施設での仕事はいわゆる「感情労働」である。
感情労働とは言え、いつも笑顔でいたり穏やかにいたりするだけが正しいとも限らない仕事だ。

その辺、一般的なサービス業とは少し違う。

子育てが仕事なので、時には厳しく叱らないといけない場面、厳しい現実に向き合わせないといけない場面、そして笑顔ではとてもやってらんない時だってある。

でもプロである以上、ネガティブな感情は極力ぶつけない様にしているし、もちろん暴力で解決するコトはない。

大きな声も出さない。

穏やかに、諭す様に、でも真剣に。

言うのは楽だが実際はなかなか難しく、胃が痛くなるコトも少なくない。

特にボクは支援チームのリーダーなので最後の壁として見守り、時には立ちふさがらないといけない。

先日こんなコトがあった。

夜ふかししていた中学生のAくんが「明日6時半に起こして」と頼んできた。

翌朝、頼まれた時間に起こすと「うるせー!」と怒り出す。

その後、15分毎に声を掛けるが起きない。

このままだと遅刻してしまう時間になり、その旨を伝えると「6時半に起こせって言っただろ!」と怒り出す。

いやいや、ちゃんと起こしたコト、うるせーと言われたコトを伝えると「きちんと起こさないと意味がないだろ!」とまた怒り出す。

なんて理不尽なっ(^o^;

でも、こんなコトは日常的だ。

怒りをぶつけたくなるけれど、グッとこらえて距離を取る様にしている。

そして、不登校がちだったAくんが最近朝から登校出来ているコト、不適切ではあるけれど甘えてきているコト、その後は切り替えて登校準備を始めたコトを評価する方に意識をシフトした。

せっかく作った朝ごはんを食べなくても、色々やりっぱなしでも小言を言わない。

「いってらっしゃい!」

どんなコトがあっても送り出す時は、気持ち良く声をかけるコトを大切にしている。

後から蒸し返してグチグチ言ったりは絶対にしない。

様々な事情や背景で自己中心的な言動や行動になっているコトを理解しているからだ。

もちろん正しい言動、行動ではないのでタイミングを見計らって修正は図っていかないといけない。

大人も子どもも素直に聞けるタイミングってのがきっとある。

この仕事は修行か?

たまにそんな風に思うコトもある^_^;

でも、お金貰いながら修行出来てるならまぁいっかと思ってみたり。

その日の夜、以前、ボクが担当していたBくんの親から連絡があった。

突然の連絡に悪い予感がしたけど、内容は予想外に良かった。

Aくんと同じく朝起きるコトが苦手だったそのコが、毎朝自分で起きて、自分で登校出来ている、と。

この当たり前のコトにどれだけのエネルギーを注いだものか…

久々に思い出して何とも言えない感情が湧き上がってきた。

施設にいた頃は、なかなか響かず行動が改善しなかったBくん。

そんな彼の「今の姿」、その変化の裏にきっとある頑張りに涙が出そうな位に嬉しく感じた。

そして近況報告と共に感謝の気持ちを伝えてくれた親の言葉がまた心底嬉しく感じた。

こういうコトがあると、やっぱりこの仕事はやりがいあるし、目の前のコにエネルギー注がないとなーと思う。

児童養護施設職員はブログで紹介出来ない様なしんどいエピソードも多い。

超感情労働である。

でも時々超やりがいを感じて頑張れちゃう特殊な仕事だ。
何年も前から構想を練ってようやく形になった新しい建物での生活はまだ始まったばかり。
これからも大小色々あるだろうけど、子どもも職員もハッピーな「家」にしていきたいと思う。

児童養護施設職員と「家」作り

2020年07月08日 | 児童養護施設の仕事
昨夜はこの地域最初のお祭りの日。

夜店は出ないけど、数十分間、夜空に咲いた花火。

新しく出来た建物の二階が特定席に。

設計段階では想定していなかっただけに、また新たな魅力発見といった感じ。

日中、この窓からは南アルプスがよく見える。

そんな花火を今年度末の自立を控えた高校生のAくんと眺めた。

来年はどこで観てるのかなーって呟きながら。

翌朝、園長さんに許可をもらい、Aくんと共に取り壊し中の旧園舎を見学した。

ボクとほぼ同い年の建物。

一時代が終わりを迎えている。

約20年、ボクはこの場所で働いた。

数週間前まで色んな声に溢れていた生活場所は、もはや廃墟と化していた。
24時間365日、交代で子ども達と過ごしたその場所。

窓越しの新しい園舎が映った水溜まりが、涙みたいに見えてくる。

昨日花火を一緒に観たAくんは、何も言わず寂しそうに変わり果てた「家」の中を眺めていた。

Aくんにとってこの場所は、人生のほとんど過ごした、まさに「家」。

寂しい。

二人は無言だった。

お互い何か口にしたら涙が溢れてくるって分かっていたんだと思う。

お世話になりました。

ありがとう。

一礼してから、ボクたちは新しい「家」に戻った。

児童養護施設は様々な事情で集まった子ども達と人生を共にする「家」である。

来たくて来たコなんてほとんどいない。

時には憎しみや怒りの矛先となる。

そんな場所を少しずつ彼らの「居場所」に、そして「家」に。

言葉で言うのは簡単だけど、その過程には膨大の時間とエネルギーを要する。

20年間、そんなコトを実感しながら、でも諦めずに地道な日々を重ねてきた。

まさに継続は力なり。

そして、新たな「家」作りは既に始まっている。
頑張ろっと。
些細なコトに喜びとやりがいを感じながら。

ボクは児童養護施設で働いています。

児童養護施設職員の幸せ体感記

2020年06月21日 | 児童養護施設の仕事
数年前から現場責任者として取り組んできた新しい施設作り。

様々な法や制度による縛りの中、そして、施設内でも決して応援や協力だけじゃない時期もあった。

それでもへこたれず一歩一歩前に進んできた。

いや、時にへこたれながら。

新しいコトをするってのは様々な風を浴びるものなんだと身を持って学んだ。

だからなんだ?

そんな強い気持ちで無理やり自分を奮い立たせたコトも。

ボクは、子どもも職員も生活しやすくハッピーな施設作りに心と身体のエネルギーを費やしてきた。

時には泣きたい位に悔しかったり、無力感を味わった時も。

先日、新しい建物が完成した。

休みや勤務時間も関係なく取り組んできた引っ越し期間を経て、今夜初めての夜を迎えている。

古いし、暑いし、寒いし、トラブルが絶えない作りだった施設で長年生活してきた。

お世辞にも快適だとは言えなかったけど、それでもそんな環境の中で全力を尽くしてきた日々はボクにとって財産である。
沢山笑って、沢山泣いた。

職員とも子どもともぶつかったコトがある。

出る杭は打たれるし、壁になると沢山のエネルギーを浴びる。

心身共にダメージをくらう日、心身共に元気になる日、平凡で普通の日、本当に色んな日を重ねてきた。

気がつけばあっという間に過ぎた、でも濃くてアツかった19年間。

頑張りがなかなか形にならない仕事ではある。

ふぅ。

新しい建物での初めての夜は後輩たちに託してきた。

勤務時間をだいぶ過ぎて退勤した後、リビングから漏れる光と声を聞き、何だか説明出来ない嬉しさがこみ上げてくる。

安堵感?

達成感?

これからの不安?

それとも期待?

支援チームのリーダーとしては、この最高の建物をどう活かすか、これからの日々が勝負だってのは確か。

プレッシャーがないと言えば嘘になる。

何だか分からない、叫びたい衝動にかられながら自転車をこいだ。

うぉー!!!

暗い中、遠くに我が家の灯りが見えた。

とても安心する瞬間である。
帰宅したら、玄関で娘と息子が迎えてくれた。

いつもありがとー!

そうか、今日は父の日だった^_^;

ありがとう。

疲れたけれど、公私ともに幸せな一日だった。

お疲れさま、自分。

頑張ろう、自分。

楽しもう、自分。

児童養護施設職員とカツ丼

2020年05月05日 | 児童養護施設の仕事
児童養護施設で働き始めてから、今年度で20年目になる。

沢山の子どもに出会い、別れてきた。

繋がっている子もいれば、連絡が途絶えてしまった子もいる。

完璧な支援はしてこれなかったけど、その都度、心と身体を一生懸命に駆使してきたつもりだ。

出会った一人ひとりの幸せを願ってきた。

そんなボクの20年の中で出会った一人がAくん。

彼とは担当として濃厚な時を過ごした。

今や「子」とは言えない歳の彼とは、年に一度会うか会わないか、そんな関係で今も細く長く関係が続いている。

たまに会うと溜まった話をたっぷりしてくれる。

それくらいでも良いと思う。

今日、彼の所に行ってきた。

コロナにより様々な立場の人が様々な影響を受けて、程度は違えどしんどい状況にいる。

飲食店で働く彼もそんな一人。

彼が作ったカツ丼が今夜の夕食だった。
美味っ。

正直、どんな味であれ、美味しく味わおうとはしていたかもしれない。

そんな期待を軽く裏切られた。

もちろん良い意味で。

なんていうかお世辞抜きに美味かった。

絶対に気持ちは入ってしまっただろう。

でもそれを差し引いても美味しいと思えたカツ丼。

彼の作った料理を食べる機会なんてこれまでなかった。

施設を出てから決して順風満帆な人生ではなかったAくん。

苦労話は何度も聞いてきた。

そんな色々な苦労が凝縮した味わいなのかも。

カツ丼を食らいながら、ゴクゴクっと流し込んだビールがまた無性に美味かった。

コロナで失ったものやこれから失うかもしれないもの、我慢を強いられているもの…

不安要素を挙げたらきりがない。

でもこんな状況だから気付けたコト、出会えるコトもあるだろう。

このカツ丼もそんな一つなのかもしれない。

これからも幸せへのアンテナは張り続けていきたいと思う。

思うだけでなく行動しようと思う。

ごちそうさま。

とても美味しかったよ。