ごん太ジイジの旅日記

リタイヤしたのを機に何か記憶に残るものにしたいと思い、ここに忘備録として愛犬ゴン太目線で旅の記録を残すことにしました。

フリー乗車券で会津若松の街を探索(福島県)

2015年06月16日 | 旅行
【12日目】5月21日(木)

天候 晴れ

今日は、車を昨夜泊まったビジネスホテルに駐車(¥300)したまま、バスの一日乗車券(¥500)を買って、会津若松の街を観光することにした。
この乗車券は、「あかべえ」と「ハイカラさん」のバスが利用できる。
あかべえは、赤いマイクロバスでハイカラさんは、エンジン部分が犬の鼻のようになったボンネットバスであった。時計回りと、反時計周りで運行しているようだ。

親父たちは、早速あかべえに乗り込み、最初に白虎隊自刃の場所に足を運ぶため、飯盛山下でバスを降りた。

(あかべえ)

飯盛山の自刃の場所に向かう途中、桜の木の下を通った際、「まいまい蛾」の幼虫がぶらさっがっていた。今年は、「まいまい蛾」が異常繁殖しているらしい。触れると大変なことになる。母ちゃんは、既に何処かで「まいまい蛾」にやられていたらしく、首のあたりが十数箇所赤く腫れて痒いといっている。
桜の木の下を用心しながら、その場所へと向かった。そこは、お墓や慰霊碑が建った場所で、そんなに広い場所ではなかった。
慰霊碑に手を合わせ、鶴ヶ城方面に目を向けると、鶴ヶ城方面が一望できる場所であった。

(飯盛山入口:右手に有料のエスカレータがある)

(自刃の場所からみた鶴ヶ城方面)

飯盛山を後にして、今度は会津の家老西郷頼母が住んで居たといわれる会津武家屋敷へ。
入館料(¥720/人)を払って中へ。
ところどころに人形を配して当時の様子を復元している作りになっていた。

(武家屋敷入口)

(武家屋敷)

(玄関)
途中、西郷四朗が山嵐の技をかけている銅像があったが、その方は、姿三四郎のモデルになったと言われている。

(西郷 四朗の銅像)

その後、ハイカラさんに乗りたかったが、あかべえが来たので、それに乗り七日町でバスを降りた。ここは、大正浪漫調の町作りに取り組んでいる街だった。

(七日町駅)
リーフレットを手に町を探索することにした。
会津は漆器が有名らしく会津塗を求めて漆器店へ入り、取っ手付お椀をお婆ちゃんのお土産に購入した。
その漆器店を出て、野口英世青春通りに出た。そこを右折し、しばらく歩くと野口英世青春館があった。野口英世は有名な人なので親父も母ちゃんもよく知っている。幼いころ、手に火傷を負ったが、それを直すため、この地で手術を行ったようだ。このことが、医師を目指すきっかけとなったらしい。今回、予定にない場所との出会いに喜んでいた。

(旧会陽医院)

(案内板)

(野口英世青春館)

バスの時間を見ると右回りも左回りも時間待ちとなるため、野口英世青春通りを駅に向かって歩いてホテルに向かうことにした。
お昼は、喜多方で喜多方ラーメンを食べる予定だったが、小さなパン屋があったので、親父はカレーパンと母ちゃんはウグイスパンを購入して小腹を満たした。

会津若松を後にして、喜多方ラーメンを食べに向かった。
喜多方ラーメンを最初に始めた店があるということを漆器店の店員から聞いていたので、そこへ行くことにした。
そこのお店の喜多方ラーメンを食したが、期待した程ではなかったようだ。親父が現役の頃、東京出張で行った有楽町ガード下の喜多方ラーメンが美味しく感じたと言っている。ラーメンは、人それぞれ好みがあるため、万人が美味しいとは言えないのかもしれない。

その後、宿泊予定地である山形のビジネスホテルへ向かって車を走らせた。

明日は、立石寺(山寺)から銀山温泉へと向かう