【16日目】5月25日(月)
天候 晴れ
八甲田山の麓の旅館を出発する前に車の走行距離を見ると3,576kmを指している。
今日は、迷った末に決めた津軽半島北端の龍飛岬へと向かう。青森市内を通っていたら、ワ・ラッセという看板が目に飛び込んだ。ワ・ラッセってなに?調べると佞武多(ねぶた)を展示している施設のようだ。母ちゃんは、佞武多が見たいが青森では通過する道路の関係で見れないと思っていたらしく、弘前に寄ったときに見ようと思っていたようだ。
親父は、カーナビをセットしてナビに従う。ナビは、道路に点在するワ・ラッセの案内板を無視して進んで行き、広い空地が到着地点だった。親父は、このナビ当てにならないなぁ、しようがないから、案内板を見つけたところまで戻るか・・と言いながら車を走らせた。
案内板に従って、ようやくワ・ラッセにたどり着いたが、今度は駐車場の入口がわからない。ワ・ラッセの反対側にある駐車場のおじさんに聞いて何とか駐車することができた.
ワ・ラッセは、青森市文化交流施設 ねぶたの家で「ねぶたミュージアム」の事だった。
2階のチケット売り場で入場料(¥600/人)を払って2階から中へ入った。(1階に大きなねぶたを展示しているため、2階の説明コーナーから1階へと誘導しているようだ)
最初は、ねぶたの起源を紹介した「ねぶたグラフティー」、次が、ねぶた師を紹介した「名人コーナー」ねぶたの展示と映像で紹介する「ねぶたホール」「15のねぶた面」などを展示していた。
母ちゃんは、展示物を見たり、踊りの時に女性が被る編み笠を被って写真に収まったり、とても嬉しそうだった。
(ねぶたグラフティー)
(ねぶたホール1)
(ねぶたホール2)
(右側が15のねぶた面)
ワ・ラッセを後にして、津軽半島の北端龍飛岬へと向かう。
龍飛岬では、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の歌が流れる仕組みがしてあり、ボタンを押すと歌が流れる。
風が少し強かったので寒く感じたが、海の方に下りていく道を少し下ってみると上と違い風を全く感じないのには驚いた。
(龍飛岬の標)
(少し降りたところから津軽海峡を望む)
龍飛岬には、もう一つ観光名所として青函トンネルの記念館がすぐ近くにあったが、岬で時間をかけ過ぎたため、校内見学用のケーブルカーの発車時間に間に合わず断念することになった。(時刻表で見ると30分間隔の運行となっていたが、閑散期は1時間間隔とのことで、次の行程に影響が出ることから断念)
(青函トンネル記念館)
竜飛岬はこれまで旅行してきた東日本の折り返し地点となる。
親父は、ここから、また新たな出発が始まると心に決めて、気を引き締めて旅することを誓った。
龍飛岬を後にして、太宰修記念館「斜陽館」へと向かう。
ここは、太宰治の生家だったところで、米蔵にいたるまでヒバを使用した豪邸であった。昭和25年から旅館「斜陽館」として多くのファンが訪れていたようだが、平成8年に旧金本町が買い取り、46年の歴史に幕を閉じた場所であった。
斜陽館3の写真は、2階和室にある襖だが、この1枚に斜陽という文字が書かれている。幼いころから見てきたこの文字から、太宰治の小説「斜陽」が生まれたのではないかと説明された。
(斜陽館1)
(斜陽館2)
(斜陽館3)
斜陽館の見学が終わったところで、そこを出ようとしたとき津軽三味線の生演奏をしていると聞いた。生演奏が聞ける機会はこれからもう無いかもしれないので、親父たちは行くことに決めた。
今日、最後の演奏が既に始まっているという。急いでその場所に向かおうと斜陽館を後にしたが、親父たちが思っていた場所ではなかった。時間もかなり経っていたので終わってしまうのではないかと焦った。
斜陽館に引き返して場所を聞き、急いで演奏会場に向かった。そこは、斜陽館の真向いで100m位離れた駐車場の右奥にあった。
途中から入場(¥900/人)したため、生演奏は最後の1曲しか聞くことができなかったが、ビデオで津軽三味線の歴史に触れることができた。
(津軽三味線の生演奏)
秋田のビジネスホテルに向かう途中、弘前に寄った。弘前ねぶたを展示している場所は、弘前城の近くにあったが、すでに時間外で閉館していた。お城にも寄りたかったが、ホテル到着の時間が遅くなるため、仕方なくホテルへと向かった。
明日は、男鹿半島から角館へと向かう。
天候 晴れ
八甲田山の麓の旅館を出発する前に車の走行距離を見ると3,576kmを指している。
今日は、迷った末に決めた津軽半島北端の龍飛岬へと向かう。青森市内を通っていたら、ワ・ラッセという看板が目に飛び込んだ。ワ・ラッセってなに?調べると佞武多(ねぶた)を展示している施設のようだ。母ちゃんは、佞武多が見たいが青森では通過する道路の関係で見れないと思っていたらしく、弘前に寄ったときに見ようと思っていたようだ。
親父は、カーナビをセットしてナビに従う。ナビは、道路に点在するワ・ラッセの案内板を無視して進んで行き、広い空地が到着地点だった。親父は、このナビ当てにならないなぁ、しようがないから、案内板を見つけたところまで戻るか・・と言いながら車を走らせた。
案内板に従って、ようやくワ・ラッセにたどり着いたが、今度は駐車場の入口がわからない。ワ・ラッセの反対側にある駐車場のおじさんに聞いて何とか駐車することができた.
ワ・ラッセは、青森市文化交流施設 ねぶたの家で「ねぶたミュージアム」の事だった。
2階のチケット売り場で入場料(¥600/人)を払って2階から中へ入った。(1階に大きなねぶたを展示しているため、2階の説明コーナーから1階へと誘導しているようだ)
最初は、ねぶたの起源を紹介した「ねぶたグラフティー」、次が、ねぶた師を紹介した「名人コーナー」ねぶたの展示と映像で紹介する「ねぶたホール」「15のねぶた面」などを展示していた。
母ちゃんは、展示物を見たり、踊りの時に女性が被る編み笠を被って写真に収まったり、とても嬉しそうだった。
(ねぶたグラフティー)
(ねぶたホール1)
(ねぶたホール2)
(右側が15のねぶた面)
ワ・ラッセを後にして、津軽半島の北端龍飛岬へと向かう。
龍飛岬では、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の歌が流れる仕組みがしてあり、ボタンを押すと歌が流れる。
風が少し強かったので寒く感じたが、海の方に下りていく道を少し下ってみると上と違い風を全く感じないのには驚いた。
(龍飛岬の標)
(少し降りたところから津軽海峡を望む)
龍飛岬には、もう一つ観光名所として青函トンネルの記念館がすぐ近くにあったが、岬で時間をかけ過ぎたため、校内見学用のケーブルカーの発車時間に間に合わず断念することになった。(時刻表で見ると30分間隔の運行となっていたが、閑散期は1時間間隔とのことで、次の行程に影響が出ることから断念)
(青函トンネル記念館)
竜飛岬はこれまで旅行してきた東日本の折り返し地点となる。
親父は、ここから、また新たな出発が始まると心に決めて、気を引き締めて旅することを誓った。
龍飛岬を後にして、太宰修記念館「斜陽館」へと向かう。
ここは、太宰治の生家だったところで、米蔵にいたるまでヒバを使用した豪邸であった。昭和25年から旅館「斜陽館」として多くのファンが訪れていたようだが、平成8年に旧金本町が買い取り、46年の歴史に幕を閉じた場所であった。
斜陽館3の写真は、2階和室にある襖だが、この1枚に斜陽という文字が書かれている。幼いころから見てきたこの文字から、太宰治の小説「斜陽」が生まれたのではないかと説明された。
(斜陽館1)
(斜陽館2)
(斜陽館3)
斜陽館の見学が終わったところで、そこを出ようとしたとき津軽三味線の生演奏をしていると聞いた。生演奏が聞ける機会はこれからもう無いかもしれないので、親父たちは行くことに決めた。
今日、最後の演奏が既に始まっているという。急いでその場所に向かおうと斜陽館を後にしたが、親父たちが思っていた場所ではなかった。時間もかなり経っていたので終わってしまうのではないかと焦った。
斜陽館に引き返して場所を聞き、急いで演奏会場に向かった。そこは、斜陽館の真向いで100m位離れた駐車場の右奥にあった。
途中から入場(¥900/人)したため、生演奏は最後の1曲しか聞くことができなかったが、ビデオで津軽三味線の歴史に触れることができた。
(津軽三味線の生演奏)
秋田のビジネスホテルに向かう途中、弘前に寄った。弘前ねぶたを展示している場所は、弘前城の近くにあったが、すでに時間外で閉館していた。お城にも寄りたかったが、ホテル到着の時間が遅くなるため、仕方なくホテルへと向かった。
明日は、男鹿半島から角館へと向かう。