ごん太ジイジの旅日記

リタイヤしたのを機に何か記憶に残るものにしたいと思い、ここに忘備録として愛犬ゴン太目線で旅の記録を残すことにしました。

世界遺産の毛越寺と中尊寺(岩手県)

2015年06月18日 | 旅行
【14日目】5月23日(土)

天候 晴れ

早いもので、家を出てから2週間が経った。車のメーターを見ると2985.3kmを指している。出発前は、東日本方面の天気は荒れ模様が多く、心配していたが、天候にも恵まれてきたといえる。運転の疲れも要所要所で温泉に入っているためか、次の日に持ち越さないようだ。

今日は、世界遺産の平泉へ出発だ。高速道路を走らせながら、毛越寺(もうつうじ)と中尊寺はどちらに先に行った方が効率よく行けるか母ちゃんに高速道路地図で調べてもらった。昼食の関係から先に毛越寺に行くことにした。

毛越寺の駐車場(¥300)に車を止め拝観料(¥500/人)を払い境内へ進む。

(毛越寺境内)
毛越寺は、浄土庭園と呼ばれる池を中心とした広大な境内を有しており、かつては、金堂円隆寺、嘉祥寺、講堂、常行堂、経楼、南大門などの堂舎が並んでいたとされる。
明日、5月24日(日)に遣水(やりみず)で「曲水の宴」が行われるらしく、その準備に追われていた。そのためか、池には龍の舳をした船が2艘浮かんでいた。


(経楼跡から大泉ケ池を望む)

(州浜に向けて大泉ケ池を望む)

(大泉ケ池の向こうに本堂)

(遣水:曲水の宴の場所)

毛越寺を後にして昼食に向かう。情報誌を基に平泉駅の近くの蕎麦屋に入る。母ちゃん、どうしても、わんこそばが食べたいらしくそれを注文する。テレビでおなじみのように、後ろからお店の人が入れてくれるのかと思いきや24杯のお椀に入れたそばを置いて立ち去ったではないか。この蕎麦屋では自分で勝手に食べなければならなかった。仕方がないので、親父が前から入れてまねごとをしてあげた。
母ちゃんは、期待したわんこそばではなかったので、すっきりしない状態で中尊寺へと向ったが、中尊寺の駐車場近くのお店でも同じような仕組みの蕎麦屋だったので、納得したようだ。
情報誌には食べ放題のメニューがあったので、お店の人が入れてくれるのは、食べ放題をやっているお店だけなのかもしれない。

中尊寺の駐車場(¥300→¥200)に車を止めて境内へ。(毛越寺拝観の際、100円割引券をもらったので、少し安く駐車できた。ちょっとした気遣いが嬉しい)
参道を歩いていくと、色々なお堂が左右にあり、しばらく行くと中尊寺本堂が右手にあった。

(参道)

(弁慶堂)

(薬師堂)

(本堂入口)

(本堂内部)

(松尾芭蕉の句を記した石碑:五月雨の降り残してや光堂)

金色堂は本堂を起点に、右のお堂を数えて5つ目の先の左側にあった。
ここでは、拝観料(¥800/人)を払って入館。金色堂の中には、その名のとおり金箔で覆われた阿弥陀如来が本尊として鎮座しており、その周りに菩薩などの仏像で取り囲むようにしていた。また、仏像を収めている部屋も豪華絢爛な造りとなっていた。

(金色堂)

明日は、奥入瀬から十和田湖へ向かう。

長い階段の山寺、大正浪漫の銀山温泉(山形県)

2015年06月17日 | 旅行
【13日目】5月22日(金)

天候 晴れ

山寺(立石寺:りっしゃくじ)を拝観する前に山寺芭蕉記念館(¥400/人)に立ち寄り、松尾芭蕉の直筆の俳句や「奥の細道」関係資料を見学した。芭蕉は達筆だと親父は感心していた。母ちゃんも昔の人は字が上手だねぇと言っていた。
隣接している芭蕉堂のお抹茶券(¥500→¥450)を記念館の入館券と同時購入したため50円安く購入できた。山寺拝観後にお抹茶を頂くことにして、ここから歩いて約1,000段近い階段を登りながら拝観することに。

山寺は比叡山延暦寺の別院として慈攪大師円仁により創建されたようで、かなり古い寺院だ。
拝観料(¥300/人)を払って階段を登り始める。

(山寺登山口)
松尾芭蕉の「閑けさや岩にしみ入蝉の声」の句が書かれた石碑や、芭蕉の銅像などが置かれていた。また、岩の中腹にお堂があり、どうやって建てたのだろうか・・・人の力は凄いとしか言いようがない。
約1,000段の階段を上り詰めた所に奥の院があり、そこで手を合わせた後、下山した。


(「閑けさや岩にしみ入蝉の声」芭蕉の句が掘られた石碑)

(松尾 芭蕉の銅像)

(「せみ塚」芭蕉の句をしたためた短冊を納めた記念碑)

(仁王門1)

(仁王門2)

(開山堂(右)と納経堂(左))

(胎内堂?)

(釈迦堂?)

山寺の拝観は、階段登りと日差しの強さが重なって、かなりハードであった。下山後ようやく芭蕉堂で抹茶を頂き、親父たちは生き返ったようだった。

(抹茶に付いていた和菓子)

少し落ち着いたところで、母ちゃんが草津温泉の次に行きたいと言っていた、銀山温泉へ向かうことにした。

銀山温泉では、宿の名前の駐車場に駐車したが、温泉宿らしい建物がない。どうしたものかと宿に連絡しようとした時、近づいて来たワゴン車から担当者が降りてきて、宿の者だと紹介された。
ここは、宿専用のワゴン車が送迎するようになっていた。担当者の話では、この先、宿の方に車で向かっても行き止まりで駐車スペースがないため、送迎しているとのことだった。

銀山温泉のキャッチフレーズは、大正浪漫の温泉だが、その名のとおり異次元を漂わせる建物で造られており、親父たちは、来てよかったと思ったようだ。

(銀山温泉1)

(銀山温泉2)

(銀山温泉3)

(夜の銀山温泉)

宿泊した宿は、木造3階建の趣のある旅館で、部屋は最上階だったが、眺めはもう一つだった。
旅の楽しみである食事は、上品な味で品数も多く美味しく頂くことができた。
食事で出された食前酒は、飲み干すまでハートの形を保っており、お客を和ませる趣向の器が面白かった。

(食前酒)

明日は、世界遺産の毛越寺と中尊寺に向かう

フリー乗車券で会津若松の街を探索(福島県)

2015年06月16日 | 旅行
【12日目】5月21日(木)

天候 晴れ

今日は、車を昨夜泊まったビジネスホテルに駐車(¥300)したまま、バスの一日乗車券(¥500)を買って、会津若松の街を観光することにした。
この乗車券は、「あかべえ」と「ハイカラさん」のバスが利用できる。
あかべえは、赤いマイクロバスでハイカラさんは、エンジン部分が犬の鼻のようになったボンネットバスであった。時計回りと、反時計周りで運行しているようだ。

親父たちは、早速あかべえに乗り込み、最初に白虎隊自刃の場所に足を運ぶため、飯盛山下でバスを降りた。

(あかべえ)

飯盛山の自刃の場所に向かう途中、桜の木の下を通った際、「まいまい蛾」の幼虫がぶらさっがっていた。今年は、「まいまい蛾」が異常繁殖しているらしい。触れると大変なことになる。母ちゃんは、既に何処かで「まいまい蛾」にやられていたらしく、首のあたりが十数箇所赤く腫れて痒いといっている。
桜の木の下を用心しながら、その場所へと向かった。そこは、お墓や慰霊碑が建った場所で、そんなに広い場所ではなかった。
慰霊碑に手を合わせ、鶴ヶ城方面に目を向けると、鶴ヶ城方面が一望できる場所であった。

(飯盛山入口:右手に有料のエスカレータがある)

(自刃の場所からみた鶴ヶ城方面)

飯盛山を後にして、今度は会津の家老西郷頼母が住んで居たといわれる会津武家屋敷へ。
入館料(¥720/人)を払って中へ。
ところどころに人形を配して当時の様子を復元している作りになっていた。

(武家屋敷入口)

(武家屋敷)

(玄関)
途中、西郷四朗が山嵐の技をかけている銅像があったが、その方は、姿三四郎のモデルになったと言われている。

(西郷 四朗の銅像)

その後、ハイカラさんに乗りたかったが、あかべえが来たので、それに乗り七日町でバスを降りた。ここは、大正浪漫調の町作りに取り組んでいる街だった。

(七日町駅)
リーフレットを手に町を探索することにした。
会津は漆器が有名らしく会津塗を求めて漆器店へ入り、取っ手付お椀をお婆ちゃんのお土産に購入した。
その漆器店を出て、野口英世青春通りに出た。そこを右折し、しばらく歩くと野口英世青春館があった。野口英世は有名な人なので親父も母ちゃんもよく知っている。幼いころ、手に火傷を負ったが、それを直すため、この地で手術を行ったようだ。このことが、医師を目指すきっかけとなったらしい。今回、予定にない場所との出会いに喜んでいた。

(旧会陽医院)

(案内板)

(野口英世青春館)

バスの時間を見ると右回りも左回りも時間待ちとなるため、野口英世青春通りを駅に向かって歩いてホテルに向かうことにした。
お昼は、喜多方で喜多方ラーメンを食べる予定だったが、小さなパン屋があったので、親父はカレーパンと母ちゃんはウグイスパンを購入して小腹を満たした。

会津若松を後にして、喜多方ラーメンを食べに向かった。
喜多方ラーメンを最初に始めた店があるということを漆器店の店員から聞いていたので、そこへ行くことにした。
そこのお店の喜多方ラーメンを食したが、期待した程ではなかったようだ。親父が現役の頃、東京出張で行った有楽町ガード下の喜多方ラーメンが美味しく感じたと言っている。ラーメンは、人それぞれ好みがあるため、万人が美味しいとは言えないのかもしれない。

その後、宿泊予定地である山形のビジネスホテルへ向かって車を走らせた。

明日は、立石寺(山寺)から銀山温泉へと向かう

女の子の鬼!?、大内宿、鶴ヶ城へ(栃木県、福島県)

2015年06月14日 | 旅行
【11日目】5月20日(水)

天候 曇り

朝、鬼怒川温泉のホテル付近を散歩するとホテルの近くに橋がかかっており、そこに可愛い仕草の金色の鬼がいた。説明文を読むとどうやら女の子らしい。LINEで子供達に写真を送ったところ、仕草が似ていると思った孫のいる娘から、この仕草似ているとの返事があり、似ている写真を送ってきた。狙いは的中・・以心伝心だ。親父と母ちゃんは顔を見合わせてニッコリとした。(断っておくが決して顔は似ていない)

(女の子の鬼の像)

(鬼怒川温泉1)

(鬼怒川温泉2)

ホテルの車庫から車を玄関まで出してもらったところ、母ちゃんの乗る助手席側のドアの所に鳥の糞がベッタリ着いていたので、ホテルの人に掃除してもらった。車庫には屋根が付いていたのに不思議だ。今日は運がついているかも・・・と思いながら東照宮へ出発した。

東照宮で拝観料(¥1,300)を払い中へ。陽明門は工事中で見ることができなかったが、門内部に書かれてあった桐油蒔絵が見れるようにしてあった。これは、今回の修復で判明したらしく、新聞の記事には217年振りと書いてあった。

(修復中の陽明門)

(壁の中に鶴の絵)

(唐門)
また、鳴龍で有名な建物では、神職さんが拍子木を打ち鳴らすと、場所により鳴るところと鳴らないところを実演していたが、不思議なものだ。確かに拍子木の音がリンリンと鳴り響いている場所があるのがわかった。

(鳴龍の建物)

東照宮の奥には家康公の神棺がおさめられている宝塔が建っており、この場所は特別に公開されているらしい。親父は、この塔は記憶にないと言っていたので、この時期特別に公開されているのだろう。

(奥宮御宝塔)
東照宮を後にする頃、野生の鹿に出くわした。

(参道に鹿)

次に向かったのは、幾度となくテレビで見ていた大内宿だ。
ここは、長野の奈良井宿とは違い、道幅がやたら広い。両脇には溝が掘られており、水が流れていた。

(大内宿家並み1)

(大内宿家並み2)

(大内宿家並み3)
母ちゃんは事前に調べていたらしく、ここでネギ蕎麦が食べたいと言い出したので、リクエストに応えることにした。ちなみに親父は、小ねぎは食べるが、白ネギは苦手なようだ。このネギ蕎麦は、箸がネギになっており、ネギを箸代わりにしてネギをかじりながら蕎麦を食べるらしい。親父は、普通の箸をもらい食べることにした。蕎麦についてきたネギは母ちゃんに処分してもらった。
母ちゃん曰く、生ネギを食べすぎたので口の中がネギ臭く、しばらく気持ち悪かったそうだ。

(正式名称:高遠(たかとう)そば)
ここ大内宿は、かやぶき屋根の家並を保存しようと取り組んでおり、丁度屋根の吹き替えを行っている家があった。

(かやぶき屋根の張替作業中)
また、町並み展示館(\250/人)に入り大内宿の歴史に触れた。

(町並み展示館)

(展示館の一部)

今日最後の場所は、会津若松の鶴ヶ城だ。時間も18時頃だっただろうか、少し薄暗くなったため、城の写真に不満が残ったようだ。

(鶴ヶ城)

明日は、会津若松市内観光から喜多方、山形ビジネスホテルまで

こんな場所が地下にあるなんて・・!!(栃木県)

2015年06月14日 | 旅行
【10日目】5月19日(火)

天候 曇りのち晴れ

草津温泉を後にして、親父が高校生の時、修学旅行に行った華厳の滝と東照宮に向けて車を走らせた。
途中に長女から連絡があり、日光の方に行くなら「大谷石(おおやいし)の資料館に行ってみたらどう、そこは、地下採掘場があり、神殿のような空間だよ」ってことで急遽大谷資料館へ向かうことにした。このため、東照宮は翌日に変更することになった。

カーナビを大谷資料館へ変更して出発。
大谷資料館に到着後、すぐに入場券(\700/人)を買って地下空間へ、今日は気温9度で上着を着ないと寒いらしい。最初は、薄めの長そでシャツを着て向かおうとしたが、地下からの冷気を感じたので、母ちゃん慌てて立山で着た服を重ね着するため車へ引き返した。
中に入ると石を切り取った後の空間が広がっており、地上では味わえない景色だった。ここでは、映画の撮影も行われたらしく「リアル鬼ごっこ」「暗殺教室」「るろうに剣心京都大火編」他多数のロケ地として使われたと紹介していた。

(大谷資料館入口)

(採掘場内部)
場所によっては、外気温との関係で靄がかかっていたり、赤や青の光効果狙った場所など工夫をこらした展示方法を行っていた。また、仮屋崎省吾さんの作品やワインの1998年ドンペリニョンも展示されていた。

(靄のかかった場所)

(仮屋崎省吾さんの作品)

(ワインの1998年ドンペリニョンを展示)

ここは人が作った空間だが、地下にこれだけの空間を作れる石が存在するとは思いもしなかった。また、年中同じような気温で、自然にできた鍾乳洞とは違った雰囲気の場所でもあった。
親父は、このタイミングでこの場所を教えてくれた娘に感謝している。

大谷資料館を後にして、中禅寺湖と華厳の滝へ行った。そこは、親父が高校生の修学旅行で行った場所で48年振りの再会だった。滝そのものは、記憶にあったが、滝を見るための施設が違うなぁと言っていた。(昔はエレベータで降りる場所はなかったと思うが・・・)

(華厳の滝)
時間も16時30分を過ぎていたので、ホテルのチェックイン時間と照らし合わせて早々に切り上げて鬼怒川温泉へと向かった。

明日は、東照宮、大内宿、会津若松へと向かう。

富岡製糸場から伊香保、草津温泉へ(群馬県)

2015年06月13日 | 旅行
【9日目】5月18日(月)

天候 曇りのち夜雨

今日は母ちゃんが絶対行きたい場所、草津温泉に行く日だ。母ちゃんは朝からソワソワしている。最初に世界遺産に登録された富岡製糸場を見学して、伊香保温泉、草津温泉へと車を走らせる。

富岡に着いて駐車場を探す。無料駐車場の案内があったので、親父はすかさずその案内に従って車を進めるも駐車場が見つからない。同じ場所をグルグル回ってやっと見つけた。そこは、上州富岡駅の北東に当たる場所で、案内板はあったが、初めての人には判りにくく感じた。
富岡製糸場に近いところにも有料の駐車場が3か所点在していた。

車を止めて駅舎を右手に見ながら進んでいくと、レンガ作りの昔風の味わいのある倉庫が左手にあった。親父たちは三脚を据えて二人で写真に収まった。あとで分かったことだが、ここは富岡倉庫という場所だった。

そこから30分弱歩いただろうか、富岡製糸場の正門にたどり着いた。入場料(\1,000/人)を払い中へ。
最初の建物(東繭倉庫)から奥へと進み、親父と母ちゃんはテレビで見た機械が並んでないねぇ。あれは、テレビ用に紹介していたのだろうか。と言いながら入口へと戻ってきたとき、係りの方が機械のある建物を案内してくれた。そこは、繰糸場といって、中には沢山の機械が整然と並んでいた。ここで工女さんたちが働いていたのだと思うと感慨深いものがあった。

(正門を通ってすぐの東繭倉庫)

(案内板)

(西繭倉庫)

(繰糸場)
富岡製糸場近くで、焼饅頭をオヤツに食べたが、上州名物らしい。これは、小ぶりで餡子のない酒まんじゅうを3個串にさしたものに、みそだれを付けて焼いたもので、なんとも微妙な味がした。

伊香保温泉では、よくテレビで紹介される階段の場所を探して車を走らせたが、運の良いことにすぐに見つけることができた。

(案内板)

(伊香保温泉を代表する階段?)

(与謝野晶子の名が)
階段は、365段あり、ところどころに段数の名盤が打ってあった。

(最後の名盤、この先に伊香保神社がある)
伊香保温泉を後にして、草津温泉へと向かう。

夜の草津温泉を堪能しようと湯畑に向かったが、あいにくの雨模様で傘をさしての写真撮影となった。湯もみショーは、いつでも見れると思っていたが終了しており、その場所で落語が行われていた。
帰りは暗いこともあり、旅館までの帰り道がわからなくなって、もう少しで迷子になるところだった。
朝になると雨もすっかり上がったので、再度湯畑に出かけ、湯もみショー(\600/人)を見学することができた。

(湯畑)

(湯滝)

(湯もみショー会場)

(圧巻の湯もみショー)
草津良いと~こ一度は~おいで~の節で始まる湯もみショーが始まり、その後、一般客参加の湯もみ体験のコーナーで、10名ほど参加できたが、母ちゃんが一番に手を挙げ参加した。その証として下写真のような賞状をもらった。
その後、上写真のような湯を板で跳ね上げる圧巻の湯もみショーの後、更に10名の募集があったので、親父も参加して2枚の賞状をもらい、草津温泉のいい思い出となった。

(賞状)

明日は、日光東照宮から鬼怒川温泉へ

待望の富士山に会えたの・・・?!(静岡県、山梨県、神奈川県)

2015年06月11日 | 旅行
【8日目】5月17日(日)

天候 曇りのち晴れ

昨日は、夕食の関係から18時頃までにチェックインをするため、諏訪大社を参拝して早々に230kmの距離を一気に伊豆へと下ってきた。道中は、高速まではよかったが、伊豆半島の山の上(修善寺道路?)を通ってきたため、山の上は霧が発生したりクネクネしているのでもう沢山・・と母ちゃんが弱音を吐く。

今日は、朝は曇っているが、回復傾向にあるとのことで、山中湖の近くの忍野八海で富士山を見る予定にしてホテルを出発。
母ちゃんから、山は長野で一杯通ってきたから、海を見ながら行きたいとリクエストされた。
伊豆半島の西側に沿って北上していると、富士山が見えるかもしれないと考え、親父は母ちゃんのリクエストに応える。
しばらく走っていると道の駅ならぬ「海の駅」があったので、そこでトイレ休憩に。この「海に駅」はできたばかりで、建物すべてが真新しかった。
駐車するため、場内を移動しているとレーシングタイプのクラッシクカーを発見。車の好きな孫のために写真を撮ってLINEで送ってあげた。

(色違いが2台)
天気は良くなったが、富士山が見えるであろう西の方向を気にしながら走ってきたが、靄がかかりまったく見えない。忍野八海でも見えないかもしれないねぇ・・と親父は母ちゃんと話しながら車を走らせた。
高速道路を降りて忍野八海に行く途中、昼食をすることになり、山中湖の湖畔に車を止めて反対側を見るとなんとそこには、あこがれの富士山が!!! 来てよかったねぇー親父と母ちゃんはガッツポーズで喜んだ。

(山中湖から望む富士山)

昼食後、忍野八海に行き、そこから見る富士山と名水百選に選ばれた場所も写真に収めた。

(忍野八海1)

(忍野八海2)

(忍野八海3)

(忍野八海4)

(山中湖)

富士山を後にして、箱根で黒タマゴをと思っていたが、規制で叶わなかったため、厚木で待ってくれている母ちゃんの弟家族のもとへと車を走らせる。
厚木のビジネスホテルへチェックインし、弟家族のもとへ。
弟夫婦とは8年くらいになるだろうか、次女の結婚式の時に会ったきりだ。弟夫婦の娘とは20歳の頃に会ったきりで、久しぶりに会ったが、途中で会っても分からないほど綺麗になっているのを見てビックリした。息子も立派に成長しており、弟夫婦も安心だろう。
夕食は、娘の働いているところでディナーをご馳走になり、その後、居酒屋へ連れて行ってもらい楽しいひと時を過ごした。
弟家族よありがとうございました。また会う日を楽しみにしています。

今日までの走行距離は、メータが示すとおり2,028.7kmを示している。それにしても親父は、短期間でよく走ってきたものだ。


明日は、富岡製糸場から伊香保温泉、草津温泉への旅が待っているが、これからも無事に旅が続けられるように、ゴン太は親父たちを見守っていたい。

松本城から奈良井宿、諏訪大社へ(長野県)

2015年06月10日 | 旅行
【7日目】5月16日(土)

天候:雨のち曇り

昨夜、親父たちは松本市内の旅館に宿泊し、温泉で疲れを取ったようだ。
今日は、松本を出発して伊豆半島の中間に位置する西伊豆にあるホテルまで行くため、一番長い行程になると親父が母ちゃんに話している。
西伊豆までの間に、富士山の景観を期待しているが、空模様が・・・。

旅館を出て、最初に松本城に行ったところ、入口で出迎えてくれたのが二羽の白鳥だった。雨模様だったが、嬉しい出来事だった。

(松本城の白鳥)

(松本城1)

(松本城2)
松本城では、何枚かの写真を撮ってすぐさま奈良井宿へと向かう。本当は妻恋宿や馬籠宿にも足を延ばして、中山道を満喫したかったようだが、そこを通ると愛知県の方に向かうため、奈良井宿で我慢することになった。

奈良井宿は、昔の宿場町らしく町並みも整備されており、タイムスリップするような場所だった。
お土産に清酒を考えたが、これからのスケジュールをお店の人に話したら、丁寧に断られた。

(奈良井宿1)

(奈良井宿2)
母ちゃんが、信州名物の「おやき」が食べたいなぁ・・と言いだしたので、ここ奈良井宿にて食することにした。母ちゃんは名物には目がない。
(信州名物のおやき)

奈良井宿を出て、諏訪大社へ向かう。少し後戻りするような感じだが、高速道路を下るので諏訪大社を見学しておくことにしたようだ。

(諏訪大社1)

(諏訪大社2)

(平成22年御柱大祭 本宮一之柱 木落しで使われた柱 拡大)

(平成22年御柱大祭 本宮一之柱 木落しで使われた柱)

諏訪大社を参拝し、高速道路をひたすら230km南下することに。
雨は、奈良井宿で上がっていたため、天気次第では、山中湖で途中寄り道をするように考えていたが、晴れ間は出ず明日に持ち越すことになった。

明日は、母ちゃんの弟のいる厚木で会う約束をしているため、西伊豆で1泊し、翌朝富士山が拝めることを期待しながらホテルへと急いだ。


黒部ダムから戸隠神社、善光寺へ(長野県)

2015年06月09日 | 旅行
【6日目】5月15日(金)

天候 晴のち曇り

昨夜泊まった白馬村のホテルは、リフトの近くでスキーヤーに利用されるホテルだったが、シーズンオフということもあって親父たち1組が宿泊客だった。
夕食会場は、通常浴衣姿はタブーとなっていたが、親父たちだけだったので、浴衣OKをホテルのほうから言ってくれた。(融通の利く良いホテルだと親父は言っている)
また、このホテルは、親父の息子が学生時代にスノボーをするために泊まったことのあるホテルだそうで、奇遇としかいいようがない。ここは、みそ樽で作った風呂があると聞いていたが、残念なことに修理中であったため入ることができなかった。

善光寺から松本の宿までの行程に時間が掛かるため、朝食後直ぐに黒部ダムへ向かって車を走らせた。
50分弱で扇沢駅に着いたが、駅の手前は少し坂になっており、その坂の登り口左側に無料駐車場があった。
扇沢駅に近いところには、有料駐車場があったが、親父は躊躇なく無料駐車場へと車を移動させた。無料駐車場は砂利を引いただけの広場という感じの場所であった。

(有料駐車場入り口、バスの奥に見えるのが扇沢駅)


(無料駐車場:道路の下の広場)

駐車場からは、近道と書いてある看板が奥のほうにあり、それを見つけたので近道を利用して駅まで登ることができた。

乗車するバスは、花と「くろにょん」のキャラクターの絵のついたトロリーバスでトンネルの中を16分くらいかけて走る。

(トロリーバス)

トロリーバスを降りて階段を下って右に曲がると黒部ダム入口へ、左手に登って行くと黒部ダムを上から眺める展望台に行くことができるが、間違って下におりたため直接黒部ダムへ到着した。


(展望台の 案内を見逃した)







ダムの上を渡り戻ってきた時にマスコットキャラクターに遭遇した。

(くろにょん)

黒部ダムの中心には、標高1,454m、高さ186m、長さ492mとダムの位置と大きさが記されていた。

黒部ダムを後にして、戸隠神社へ向かった。戸隠神社はかなり山奥に位置しており、駐車場が少ないため、参拝者は駐車に困っているようだった。親父たちもどうしてよいかわからず、不在中の出店の横のスペースが空いていたのでそこへ駐車させてもらった。駐車スペースの片隅には「参拝される方はどうぞご利用ください、事故の責任は負いません」と書いてあった。

戸隠神社は、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社と神社のホムページに記されており、観光情報にも載っている神社なので、親父は言ってみたくなったようだ。

(戸隠神社の登り口)


(階段の中ほどから社殿に向かって)


(戸隠神社の上から下を見る)

戸隠神社を後にして善光寺へ向かった。
善光寺は、七年に一度の盛儀 善光寺御開帳ということもあって大勢の参拝客で賑わっていた。


善光寺御開帳のため、本尊(阿弥陀如来)と外に置いてある善の綱で結ばれた回向柱(前立本尊)が立てられていた。
この回向柱を触ることで、阿弥陀如来に触るのと同じ功徳があるとされるため、列をなして大勢の参拝客が並んでいたが、「回向柱の後ろを触れても同じご利益があります」から、後ろに回ってくださいという関係者の案内があったため、親父たちはそれに従うとすぐに触ることができた。

(仲見世通りの手前)


(仲見世通り1)


(仲見世通り2)

明日は、西伊豆へ移動することになるため、松本へ宿泊

待望の雪の大谷だが 母ちゃんと親父の体調が・・!!(富山県)

2015年06月08日 | 旅行
【5日目】5月14日(木)

天候 晴

今日は、待ちに待った立山アルペンルートに行けるぞー(ゴン太も楽しみです)
富山駅の近くにあるビジネスホテルから立山駅にむけて出発。
立山にあるホテルが満室で取れなかったため、親父が会員になっている朝食付きのビジネスホテルからの出発となった。
車を走らせること40分、着いた立山駅は、標高475mの場所にあり、有難いことに無料駐車場があった。そこに駐車してキップ売り場で乗車券を購入。
(立山駅)

ケーブルカーに乗り込み標高977mの美女平まで登り、そのあと、立山高原バスで標高2,450mの室堂まで一気に登った
(美女平までのケーブルカー)
(室堂までのバス)
登るに連れてその景色は素晴らしくやはり来てよかったと思わせてくれた。

(少しずつ雪景色に1)

(少しづつ雪景色に2)
(雪の壁1)
(雪の壁2)

室堂のバス停で下車し、雪の大谷へ徒歩で向かうことになるが、母ちゃんの様子がおかしい、親父と何やら会話をしているようだが・・・
母ちゃんが親父に「なんだかフラフラして頭が痛い」と言っているではないか。もしかして軽い高山病? 親父もそれに応えて自分もなんだかフワフワして息苦しいといっている。
母ちゃんは自分だけでなかったので少し安心したようだ。

475mから一気に2,450mの高さに登ったためだろう。空気が薄いことや気圧の変動など2,000メートルの高低差に体調がついていけないようだ。

走り回っている人もいれば、元気に歩いている人が大半だったが、親父たちみたいに気分の悪くなる人もいるらしい。

今年の雪の壁の高さは当初19mだったそうだが、今日は、6m縮んで13mの高さになっていた。それでも13mの雪の壁は素晴らしい景観だった。
親父たちは、ゆっくり歩きながら息を大きく吸って、雪の壁を見上げながら写真を撮って喜んでいた。

(最高地点13mの雪の壁)
雪の大谷を見学した後、このままロープーウェイやトンネルを通るトロリーバスなどを利用して黒部ダムに行く予定だったが、昨日の和倉温泉のホテルの支配人の勧めもあって黒部ダムへは、長野県側から行くことにした。
支配人曰く、「トンネルから出て、直ぐに眼下に広がる黒部ダムは格別だよ」・・・らしい(支配人は信州の人だからそういうのかなぁ?!)

明日は黒部ダムから戸隠、善光寺方面へ行くため白馬のホテルへ宿泊