[夫婦間移植]僕のをあげる、と夫は言った…移植した腎臓から流れ出る尿にホロリ
12/27(木) 12:15配信 読売新聞(ヨミドクター)
もろずみはるか「夫と腎臓とわたし」
目が覚めると、そこはHCU(高度治療室)だった。HCUならではのピリついた雰囲気と、経験したことのない痛みに怯(おび)えながら、真っ先に浮かんだのは夫の顔だった。夫はどこ? 無事なの? 早く会いたい……。けれど、絶対安静で体が動かせない。眼球をキョロキョロさせていると、父と義理の両親が視界に飛び込んできた。「大丈夫、あの子は元気だよ」――。
2018年3月23日、夫(39)と私(38)は「夫婦間腎臓移植」(以下、腎移植)を受けた。結婚11年目の出来事だった。
[夫婦間移植]僕のをあげる、と夫は言った…移植した腎臓から流れ出る尿にホロリ
手術直前の夫と私。夫は終始、笑顔だったが…
じゃんじゃん流れる尿に夫を感じ
夫の姿を探した私だったが、その存在は、意外なもので感じることができた。尿だ。尿道カテーテルからじゃんじゃん流れ出す尿は、移植した夫の腎臓から作られたものだという。「しっかり出てますね。経過は順調ですよ」。看護師さんの言葉に、思わずホロリとさせられた。
翌日、HCUから一般病棟に戻され、夫に再会することができた。「おーい、元気かい?」。夫は、私の病室まで歩いてきてくれた。穏やかな笑顔だったが、冷静に、腎臓を一つ失った自分の体を受け入れようとしているのがわかった。ドナーの手術は腹腔鏡(ふくくうきょう)で行われたが、医師によると「若いと筋肉量が多く、痛みを感じやすい」そうで、術後1週間はつらそうにしていた。それでも泣きごとひとつ言わず、移植後3日で夫は退院。さらに1週間後に職場復帰を果たした。
中1で発症 自分に「不良品」のレッテルを…
私は中学1年生の時に慢性腎臓病を発症した。病名は「IgA腎症」。「(悪化すれば)いつかは透析」と言う町医師の表情は険しかった。私はいつしか自分に「不良品」のレッテルを貼るようになった。
22歳の時に夫と出会い、その6年後に私たちは結婚した。プロポーズは私から。子どもを授かれないかもしれない、だけど結婚してくれる? というロマンティックではないプロポーズだったが、夫は飄々(ひょうひょう)としてこう言った。
「子どもがいたら楽しそうだね。でも優先順位は低いかな。夫婦で長生きして、老後に温泉旅行にでも出かけられたらいいね」
結婚9年目、私は末期腎不全になった。「あなたの腎臓は東京オリンピックまではもたないでしょう」と医師に言われたのだ。できれば争いたかった。しかし、医師の見立てというものはそうそう間違わない。読みは見事に的中し、腎機能の数値は低下していった。私はひどく落ち込んだ。
そんな時、「僕の腎臓をあげる」と申し出てくれたのは夫だった。最初は、「愛する人の体にメスを入れるなど、到底できっこない」と考えた。けれど医師は、慢性腎臓病の根本的治療に近いのは腎移植だと教えてくれた。それを聞いて、気持ちが高ぶった。25年間、私の持病である慢性腎臓病は「完治するのが難しい」と聞かされてきたからだ。
夫と私は家族を巻き込み、時間をかけて話し合った。ようやく、一つの答えにたどり着く。「夫婦は運命共同体。幸せも苦しみも全部シェアしよう」。
手術前、実は夫も恐怖で震えていた
「これは今だから言えることだけど……」
手術から数か月がたったころ、夫が手術日の心境を語ってくれた。
「実は、手術室に向かう道中、恐怖で足が震えてたんだよね」
ええ、まさかと思った。私が記憶する限り、あの日の夫は終始、笑顔だったからだ。だまされた!
でもね、実は、私も夫に言ってないことがある。夫が「ドナーになりたくない」と一言でも発すれば、手術当日であろうが、夫の意思を尊重しようと思っていた。健康な人が体にメスを入れるんだもの。当然怖いし、逃げ出したくもなるだろう。
こんな“だまし合い”が、これからどのくらい続くのだろうか。この先、10年20年と夫の腎臓を長生きさせて、決着は二人で温泉につかりながら……なんてのも楽しそう。
[夫婦間移植]僕のをあげる、と夫は言った…移植した腎臓から流れ出る尿にホロリ
もろずみ・はるか
もろずみ・はるか
医療コラムニスト
1980年、福岡県生まれ。広告制作会社を経て2010年に独立。ブックライターとしても活動し、編集協力した書籍に『成約率98%の秘訣』(かんき出版)、『バカ力』(ポプラ社)など。中学1年生の時に慢性腎臓病を発症。18年3月、夫の腎臓を移植する手術を受けた。
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