こんな病気の俺が、こんな事を言うのも、どうかと思ったが、
自らの考えであるので、まあいいかという感じで書きました。
現在の世の中、社会をみていると、日本だけでなく、世界の価値観が、
「経済的豊かさ」に走り、機械的な労働が一層求められているんじゃないか?
と感じる。
労働と仕事は違うものだと思うけど、今では、同一のようである。
同一のものとして考えたら「労働=喜び」ではなく、「労働=キツイもの」となっているんじゃないか?
こんな風にも感じる。
この「キツイもの」中からは、経済的文化は生み出されても、人間としての文化は生まれないんじゃないか?
かえって、『心の病』を大量生産しているようにも見えてしまう。
経済的文化に批判的になれば「経済的豊かさ」を享受出来る人の権利を奪うのかと反論が来そうであるが、少なくとも、「経済的豊かさ」を追い求めた結果、経済格差が生まれ、富めるものと貧しいものの格差は拡がり、「貧困者層」が大量に出てしまったのは現実であると思う。
そして、こういう分け方は、したくはないけど、精神的に病んでいる人と病んでない人、その潜在的な予備軍がいるのであろう。
「経済的豊かさ」の欲望は、際限なく続くと思われる。どこかの時点で、豊かさという頭上のものから、貧困という足下に目を向け、向き合い、生きるという事を問いなおす時期がきているんじゃないか。と思える。
動的な「生きる」ではない静的に「生きている」、要するに、人間の生きている本質に迫る問い直しが必要ではないかと思う。
こんな事を書いてると、お前は世の中に逆らうのかと言われそうだが、 世の中の流れに逆らうつもりは毛頭ないです。単純に、障害を抱えながら生きている人と健康と言われている人、社会の共生が実現できないか?
図で言うと、こんな感じになる。
言葉や形だけではない、「共生」、理想で実現不可能かも知れないけど、
初めから、諦めるよりもいいかなと思ってます。半歩でも進む事が出来るようになればいいと思うし、1個人では、その思いをブログで書くことしか出来ないかもしれないですね。