第二の人生を満喫!+愛犬ウィル(享年14歳)

還暦で娘・息子は結婚し孫がいます
様々な障害を抱え妻に支えられながら前向きに暮らしてます。

『幸せだと思える』こと。

2010-06-22 23:21:08 | 社会福祉

 

『幸せだと思える』ことについて書きます。

まず、
○ 俺と師匠との距離感とは、無視する事ではないと考える。
 その距離感とは、世の中が、どのように変わろうとも、無理
しないでいられ、自分と相手が保つ事が出来る距離である。

○ その上で、働くことにより、自分と相手が、少しでも幸せ
 だと感じられるのが、仕事だと考えている。
 要するに、自分が、幸せだと少しでも感じられない働き方は、
仕事とは言えないと思っている。

○ また、逆に、相手だけが幸せだと感じられたとしても、
 それもまた、仕事ではないと考えている。

○ 結果として、
   自他共に、少しでも幸せだと感じられる働き方が仕事であり、
 それには、距離感が必要だと感じる。


  現代社会は、お金、物、旅行など、一時的で、すぐ楽しめる
 ために仕事をしている人が多いと思う。
それは、自己中心になり、他人を傷付けても平気になるので
あろうと思う。

  目先の物だけを追い求める人生は、「つまらない」と感じる。

 

 


前に読んだ記事で、勇気を頂いたこと。

2010-06-22 15:26:27 | 社会福祉


以前、新聞で読んだ記事で、勇気を頂いたなあと記憶にあるので
書きます。

その記事は、
「澤田優美子」さんの記事でした。

澤田優美子さんは、女性です。
統合失調症であり、今年の春、日本社会事業大学の大学院に
合格され、入学された方です。

記憶に残っているのは、ここまでです。

精神障害を持っていても、「やれば出来る」という勇気を頂きました。
そして、
同時に、「諦めない」という事も教えて頂いた感じです。

自分に振り返ってみれば、
俺は、今、何が出来るのか、分からない。
その分からないに、自分なりの答えを見つけ、藻掻いています。

「諦めずに」自分自身の中で探し続ける事によって、何か俺にも、
社会に対して、出来る事があるのではないかと思っています。

自分自身の中の自分を、まだ問い続ける必要が俺には、
ありそうです。
自分自身が、まだ分からない俺が、社会に何が出来るかを、
性急に答えを見出す事なく、じっくりと取り組んでいきたい。

まだ、
師匠の『ウィルくん。』と一緒に、まずは、社会適応の修行をします。

 


今日の新聞記事から。

2010-06-11 13:24:31 | 社会福祉

今日、読んだ新聞記事から、なるほど。と思えた記事が載っていたので、書きます。

今回は、2つです。

まず、1つ目は、

やなせななさん がん体験を乗り越え歌う尼僧

 奈良県高取町、浄土真宗本願寺派教恩寺の若き住職。同時に、法話を交えてオリジナル曲を歌うコンサートを、全国の寺院で年40回以上開いている。「号泣する人もいて、さまざまな悲しみを抱えるみなさんに、歌が光となっているんだと実感します」

 寺に生まれ、読み書きを覚える前にお経をそらんじたという。宗門大学に進み、得度するのは自然の流れだった。しかし「自覚ゼロ、名ばかりでした」。バンド活動に熱中し、卒業後もシンガー・ソングライターの活動を続けた。

 転機は突然だった。06年、子宮体がんで、子宮、卵巣を摘出した。30歳で未婚。「体より心の傷が大きかった」。薬の副作用と更年期障害の症状に苦しみ、感情をコントロールできない状態が続いた。

 しかし08年、友人の寺で講演したことが流れを決めた。身近な者の死、戦争、震災。曲づくりの背景を説明し、がん体験も語った。「身じろぎせずに聞いてくれました。僧籍を得て10年。信じる私と歌う私が初めて重なりました」

 童謡も交え、柔らかく透明感のある声で歌うコンサートは懐かしさと温かさに包まれる。評判は口コミで広がり、宗派を超え、全国の寺院から依頼されるようになった。

 曽祖父の後、空席となっていた住職を継いだのは3月。「何もできない、ちっぽけな私でも大丈夫かなと思えるようになったんです」。たくましさを感じさせる笑顔で語った。【鈴木敬吾】

 毎日新聞 2010/06/11付 朝刊から引用  (注)色は、ブログ主が付けました。
 

 この記事を読んで、人間一人でも、多くの人間を感動させられるという事に気づかされます。俺もまだまだ、修行が足りないと、本当に、感じます。

 

次、2つめは、

今日(2010/06/11付) 毎日新聞 朝刊にあった

「経済成長で貧困は解消せず」との題で、湯浅 誠さんが社会保障論を述べていました。
この記事を読んで、なるほどと感じたのは、「低所得と貧困は完全にイコールではない。貧乏でも家族や友人、地域の人に囲まれ、幸せに暮らしている人はいる。貧困とは、そうした人間関係も失った状態を指す。<貧困=貧乏+孤立>だ。」と述べられているところが、なるほどと思ったところである。
太字は、湯浅さんが述べられたところです。

 

新聞を読んで、興味をひくところがあれば、今後も、ボチボチ書いてみたいと思います。

 


『自然に楽しめる喜びがある』という事

2010-06-10 08:47:17 | 社会福祉

 

健康なときも同じであったが、人は、「苦しさがあるから楽しみがある」と言う。
確かに、それは間違いでは無いと思う。
その考え方には、
楽しみは、何かした後に与えられるもの。又は、人為的に作り出されたもので楽しむ。と考えられる。

精神障害者になっても、一般的に言われるのは、同じで、みんなに感謝しろ。お前一人のために仕事をしているんじゃないとか。何が出来るのかとか。「苦しさがあるから楽しみがある」というのに似ている。
それは、
その人間の為というよりも、みんなという得たいの知れない言葉か組織のためと行った方がいいかも知れない。また、それらの言葉は、俺には精神論に聞こえる。

 

お前の健康管理が悪いから病気になったんだ。だから、お前がやる仕事まで、俺たちがやってやってるんだ。だから、お前は、言われた事だけすればいいんだ。と言われて居るようなものだと感じる。

 

未だに、精神論でしか捉えられない人、態勢だけの体裁を整えただけで、メンタルヘルスと公言している人は、いつまでも、無意識の中で行っている「偏見と差別」から逃れられない人たちであると考えている。そして、その逃れられない人たちは、人間を使い捨てにしても、何も感じないのである。

 

『自然に楽しめる喜びがある』のは、人為的に作られたものに従って楽しいと感じる事でも無く、楽しさという餌を目の前にぶら下げられて、苦しさに従わせようとするものでも無い。
それは、美しい風景やさり気なく咲いている花を見て、あ~美しいなあ、と、自分自身の中から、自然に湧き出るものであると感じるし、それに触発されて、何か生きる気力(希望)が湧いてきた。
そういうのが、『自然に楽しめる喜び』と俺は考えているのである。

 

現代社会には、そのような、自然に楽しめる喜びが急激に減少してきているのも事実であろう。

 

 


『主体的に生きる』とは。

2010-06-08 11:10:47 | 社会福祉

 


実体があるけど、実体がない俺。
毎日してる仕事だから、している俺。
みんなが、そうしているから、同じようにしている俺。
こんな事を病気が発症した8年前から、苦悶していた俺

俺は、主体的に生きてない事が、良く分かる。

主体的に生きるって???
もしかしたら、俺が誰なのか何ものなのかが分かっている事?
もしかしたら、俺が俺自身が好きな事が分かっている事?
もしかしたら、俺なりの、他とは違う生き方が分かっている事?

主体的に生きるって、難しいと本当に感じる。
それは、
自分自身に問題があるし、同じようにしなきゃレッテル貼りされるから。

レッテル貼りを怖がっている訳じゃないけど、
偏見や差別がやがては、
誹謗になり、
見て見ぬふりをし、
村八分になり、
精神的又は身体的攻撃になり、
ゆく果ては、
ジェノサイド

これが、人がやること。
人間がやっている事ではない。

その意識が、『主体的に生きる』ことを妨げ、社会の障害者にしているような気がしてならない。
それは、
障害者というレッテルを貼っているに、過ぎない。


 


『普通の人間』ってなんだよ?

2010-06-05 15:53:17 | 社会福祉

 

 病気が発症したときから、前の様に戻りたい、普通の人間の様になりたいと、藻掻き苦しんだ。

 今になって考えてみると、『普通の人間』って、何かな???普通も普通じゃないも無いじゃないか。と今は思う。犯罪を犯す事は別問題として、犯罪を犯さずに、どのように生きていても人間。
 そこに、普通、普通じゃないという区別を入れるのは、見下す。見下してる。そんな関係でしかないと考える。

 人間の生い立ちは、一概に一括りには、出来ない。それを一括りで、済ませようとしているかの様である。

 一括りで済まされた人間は、ある種のレッテルを貼られ、そこから抜け出せなくなり、諦め、そこに安住してしまうとすれば、それは、次世代にも受け継がれていき、同じく、抜け出せなくなる可能性が高くなっているのでは、ないだろうか。

 だから、人間は、どのようなものでもレッテル貼りされる事に不安を感じ、それが互いに牽制しあう様になっている感じがする。

 そんな家庭・社会は、窮屈で仕方が無いであろうと思う。


『生きる』事と『生かされている』事

2010-04-14 10:24:03 | 社会福祉

 

『生きている』ことと『生かされている』事は、俺の中では、本質的に違うものだと思っている。

現代の社会は、俺から見ると、
他人に厳しく、厳しくされた人は違う他人に厳しくするというような、悪循環に陥っているように見える。
その理由は、
大体が、「生活のため」である。

仕事などが典型であると思うが、「生活のため」だけで仕事が一生出来るのだろうかと疑問を感じる。
仕事などの要因によって、精神障害者になってしまった俺には、そう感じぜずにはいられない。

「生活のため」だけの仕事は、『生かされている』事ではないだろうか?
『生きている』事とは、主体的に生きている事であると考える。
主体的に生きている事は、自ら生きたいと思うことであるとも考える。
その為に、自らを生かす事が必要であると思う。

家族ともに、俺がある。
ウィルくん。とともに、俺がある。

自らを生かす道を見つけたい。


 


『無縁社会』

2010-04-08 02:17:00 | 社会福祉

 

2010年4月4日(日)にNHKスペシャルで『無縁社会』を放送していた。

無縁社会においても貧困ビジネスと似たものがある。
○有料で電話で話し相手をするビジネス
  2009年から増加しているそうだ。
○共同墓
  全国に800箇所あり、増加しているとのこと。
○保証人ビジネス
  保証人のいない人に保証料3万円でアパートを借りる。
  10万件/年のペース。

無縁社会は、
地縁・血縁(地域社会等)が崩壊し、親は親心として子供に心配を掛けたくないと話さず、子供は親に心配掛けたくないと話さない。
そして、
近所との付き合いが無く、無縁になっていく悪循環である。
この社会構造は、
自立を求められると同時に、孤独を求められている。

若年層は、
ツィッターで人間関係を求める。要するにネットでのバーチャルな人間関係である。

 

番組のコメンテーターが、
○看取りまでの持続ある伴走者(パーソナルアシスタント)の必要性
○「助けて」と言える社会になること。
○医療、福祉、家族、仕事までの横断的支援
等の必要性を説いていた。
しかし、
何もしないよりはましではあるが、根本的な解決までに至らないであろうと思う。

では、
安心出来る社会モデルとは、どんなものか?
「自己責任」と「助けてもらう」境界が曖昧であり、どちらが正しいとか正しくないとかの話では無いような気がする。
番組のコメンテーターが言っていたのは、必要であるとは考える。
しかし、
生活で目一杯になっている普通の人たちに、そんな余力が期待出来るだろうか?
期待出来ないのであれば、地方自治体や国がすべきことなのだろうか?

番組の終わりに、
昔のように地縁・血縁社会に戻してもというのがあった。
封建的な地縁・血縁社会に戻せば解決するのかも知れないが、たぶん、今更、戻れないであろうと思う。

『無縁社会』について、
俺には、答えが出ない。というより出せない。

今、
「生きるとは」何か?
「家族」って何?
「社会と人のかかわり」って?
が、問われているような気がしてならない。

 


NHKスペシャル『人体“製造” 再生医療の衝撃』を見て。

2010-03-30 16:26:44 | 社会福祉

 

NHKスペシャル『人体“製造” 再生医療の衝撃』を見て、俺の思いを述べてみたいと思います。

幹細胞の再生技術によって、
「死なない人間」OR「死なせない人間」の生産だと感じた。
これは、人間のエゴではないのか?
そして
人間の果てしない欲望ではないのか?

これによって、
「人間」というものの哲学を考える事が今、必要ではないかと思う。

人間の究極の欲望である「不老不死」が未来、手に入るかもしれない。

社会を見ると、
自殺者の増加と寿命の伸長という、矛盾を孕んでいる。
それと、「死なないOR死なせない人間の生産」で、
もしかしたら、
人間は自分で自らの首を締めているのかもしれない。

 


「日本らしさ」とは

2010-03-28 11:02:02 | 社会福祉

社会福祉には、あんまり関係ないのかもしれないけど、
MRJを紹介します。
くれぐれも三菱を擁護ではありませんので、あしからず・・・

 

MRJ(ミツビシ リージョナル ジェット)は、日本らしさを追求した旅客機である。

三菱は、第二次世界大戦で、零戦を作り、戦後GHQにより飛行機製造を7年間禁止され、禁止が解けたあと、YS-11を作った。
しかし、
YS-11は、アフターが不足し生産打ち切りになった。その後、日本においては、旅客機の製造はないと思われていた。

だが、
今回のMRJは、まさに目から鱗である。

調べたら、戦後の三菱は、ジェラルミンの弁当箱とレンゲを作って歩き、いつの日か飛行機を作る事を夢見ていたと言われている。
その時からの情熱とエネルギーが結実したのがMRJである。

軍事に転用は、反対である。ここは、しっかり言います。

ここで、言いたいのは、「日本らしさ」である。
MRJだけでなく、欧米輸入型の福祉ではなく、「日本らしさ」の福祉を情熱とエネルギーを傾け、世界のどこにもない福祉を追求が必要だと強く感じる。

 


NHKスペシャル『命をめぐる対話』を見て

2010-03-22 19:07:13 | 社会福祉

 

『命をめぐる対話
“暗闇の世界”で生きられますか』を見ました。

番組の解説に、次のように書かれています。(抜粋)
「もし、あなたが意識ははっきりしているのに、しゃべることも体を動かすことも出来ず、自分の意思を他人に伝えることが困難になったらどうしますか?

ある種の難病や脳損傷の患者の中に、こうした「閉じ込め症候群」や「閉じ込め状態」と呼ばれる究極のいのちの状態に陥る人が増えている。全身の筋肉が動かなくなる難病を患う照川貞喜さんは、頬のわずかな動きをセンサーに感知させることで意思を伝えている。しかし、照川さんが頬でパソコンを操作して綴った要望書が、今、大きな波紋をよんでいる。「完全な“閉じ込め状態”になったら死なせてほしい。闇夜の世界では生きられない。人生を終わらせることは“栄光ある撤退”であると確信している」。

照川さんの要望に我々はどう答えればいいのか。人間が生きるとはどういうことか。

照川さんの訴えに深い関心を抱いたノンフィクション作家の柳田邦男さんが、照川さんを訪ね、「いのちとは何か」を巡って半年にわたって対話を行った。」
(抜粋終わり)

 

『生きるために生きたくない』と考えていた俺であるが、
この番組を見て、深く考えさせられた。

『生きるために生きたくない』と考えていた俺は、『生きる事が目的化』し、役割ややりがいが無い、「生き方」を否定していた。しかし、コミュニケーションが出来なくなり、相手に意志が伝えられないのは、生きていると認識できないと、患者の方が言われていた時、確かにそういう考えもあると思えた。

「生きること」「死ぬこと」の意味は、深いと思うし、今の俺では考えも付かない。
ノンフィクション作家の柳田邦男さんが、「生きること」「死ぬこと」について、正面から向かい合っていた姿は、すごいと感じました。

少しづつ、「暗闇の世界」で生きる意味について、考え続けていきます。


『生きる術』と『生きる力』

2010-02-28 17:02:24 | 社会福祉

 

自分自身の思いを書いてみます。

生きる術を教えられてなった俺は、病気になってから、生きる意味を見いだせず、精神病になり社会から脱落し、引きこもり、社会に参加出来ていない状況である。
それは、
『生きる術』を知らない為に『生きる力』が無いのである。

だからと言って、何をしないのではなく、誰から何を言われようとも、社会的に排除を受けようとも、生き続け、1mmでも前に進むことだと思っている。
その為、
飾る必要が無く、等身大の俺がいて、『生きる術』が必要だと感じる。

『生きる術』とは、懸命にやりたいと思うことがある事だと思っています。

焦り、不安がる俺のアホ頭だけれども、自らの引きこもり、病気の経験を活かして、家族に、社会に貢献したい。

俺が今まで、経験した事は、無駄ではないと信じて生きています。


 

 

 


勝間和代さん。

2010-01-29 10:19:28 | 社会福祉

 

いつの番組だったか、忘れてしまったが、『仕事のチーム力』という題で話していたのを思い出しながら、書いてみます。

『仕事のチーム力』
○苦手なものは、人に押しつけない、得意なものは引き受ける。
○ノウハウの共有
○無駄な競争はしない。
○相手の得意なところと、自分の得意なところを見極める。
○部下の能力が伸びない限り、自分は楽にならない。
○オーバーワークは身体を壊す。
○愚痴らない、怒らない、妬まない(三毒追放)
○三毒は、問題の先延ばし。
○中間管理職においては、上司の無理な仕事は引き受けない。
○落ち葉拾いは、マネージャーの仕事
○認め合うバランス感覚
○素直になるのが重要

と、思い出しながら書いてみました。

勝間さんならではの考えだと感じた。
俺には、無理だなあ。。。

 


『変わらないもの』と『変わってはいけないもの』があるように思う。

2010-01-15 16:30:16 | 社会福祉

 

 年、月、日の単位で、急速に変化している社会。
その社会の中で、『変わっては、いけないもの』があるんじゃないか?と思う。

 移ろいやすい世の中にあり、変化、変化と変わる事に、こだわっているようにも
見える。目先の事に、とらわれる世の中のように感じる。

 『変わらないもの』
それは、人間が生きているということ。生身の人間である。
そして、
 『変わってはいけないもの』
それは、自分自身に対する思いやりとともに、他に対する思いやりであると思う。
他とは、他人であり、動物であり、自然でありたい。


自分自身の『個』の確立に向けた、自分自身の可能性

2010-01-14 11:56:06 | 社会福祉

 

 俺自身も含め、お金を必要以上に得たいと考えている人が増えているんじゃないか?それは、他人よりもお金を優先している考えではないか?

 病気になってから、俺自身が何か分からなくなっている現実。
それは、病気でいっぱい、いっぱいで他人の事を考える事が出来なく、自分は自分、他人は他人という考えになっている。

 総じて、病気だから、という理由で自分自身に対する理解が、月日とともに、薄くなっているような感じがする。

 ここで、いったん立ち止まって考えてみると、
お金を必要以上に得るよりも、『今の現実を見る眼』が必要なんじゃないかと思う。
それは、自分自身の価値観が病気によって、ダメだと教えられ崩壊した状態。
そして、
病気になってから、同じ様な病気の人間を救いたいという思いが出てくるが、人を救うというより、まず、自らが自らを救えるのか。ということだと思う。

 今、俺にとって大切なのか?
目の前の現実の中で、隠されているものを、どうすれば良いのかを導き出せること。それは、自分自身の『個』の確立に向けた、自分自身の可能性なのかもしれない。