『命をめぐる対話
“暗闇の世界”で生きられますか』を見ました。
番組の解説に、次のように書かれています。(抜粋)
「もし、あなたが意識ははっきりしているのに、しゃべることも体を動かすことも出来ず、自分の意思を他人に伝えることが困難になったらどうしますか?
ある種の難病や脳損傷の患者の中に、こうした「閉じ込め症候群」や「閉じ込め状態」と呼ばれる究極のいのちの状態に陥る人が増えている。全身の筋肉が動かなくなる難病を患う照川貞喜さんは、頬のわずかな動きをセンサーに感知させることで意思を伝えている。しかし、照川さんが頬でパソコンを操作して綴った要望書が、今、大きな波紋をよんでいる。「完全な“閉じ込め状態”になったら死なせてほしい。闇夜の世界では生きられない。人生を終わらせることは“栄光ある撤退”であると確信している」。
照川さんの要望に我々はどう答えればいいのか。人間が生きるとはどういうことか。
照川さんの訴えに深い関心を抱いたノンフィクション作家の柳田邦男さんが、照川さんを訪ね、「いのちとは何か」を巡って半年にわたって対話を行った。」
(抜粋終わり)
『生きるために生きたくない』と考えていた俺であるが、
この番組を見て、深く考えさせられた。
『生きるために生きたくない』と考えていた俺は、『生きる事が目的化』し、役割ややりがいが無い、「生き方」を否定していた。しかし、コミュニケーションが出来なくなり、相手に意志が伝えられないのは、生きていると認識できないと、患者の方が言われていた時、確かにそういう考えもあると思えた。
「生きること」「死ぬこと」の意味は、深いと思うし、今の俺では考えも付かない。
ノンフィクション作家の柳田邦男さんが、「生きること」「死ぬこと」について、正面から向かい合っていた姿は、すごいと感じました。
少しづつ、「暗闇の世界」で生きる意味について、考え続けていきます。