50オヤジの独り言

50歳既婚、子供なし、犬2匹と金沢市内に住むオヤジの独り言です。

久しぶりにバッティングセンター行ったら・・

2005-02-27 20:35:39 | 野球
2ヶ月ばかりスキーモードで全然野球をやっていないとはいえ
3ゲームほど全然バットにボールがあたりませんでした。
バッティングセンターで数十球空振りするのは生まれて初めての経験です。
正直かなりへこみました。
あとから徐々に元に戻ったとはいえ・・
これが衰えるということか・・・
スキーやってても感じることですが微妙な調整能力の衰えは最近とみに感じます。
個人的なこれまでの落ち方を整理すると
①瞬発力→②筋力→③疲労回復力→④調整力
という順番でしょうか?
瞬発力は20歳代後半にはっきりと自覚しはじめまして、具体的には
スキーでこぶ斜面でのリカバリー能力が落ちました。
このころ一時的にこぶ斜面が滑れなくなっています。
(その後雪面コンタクトして滑る技術を習得してからまた滑れるようになりましたが・・)
筋力はトレーニングを継続的にやれていないのでずっと下り坂です。
疲労回復力は特に35歳くらいから感じ始めていまして、日曜日に運動すると
月曜日にものすごく持ち越してしまうようになってしまっています。
調整力は40歳くらいから感じ始めていまして、スキーにしろ、野球にしろ
状況に対応する能力の衰えとして自覚するようになっています。
調整能力は経験がないとなかなか有効に機能しない能力ですので
スキーについて言うと32-35歳くらいのときが一番発揮できていたような気がします。
具体的にはインスペクションをきっちりやって作戦を組み立ててずばり決まると
結果につながるという感じですね。

まあいずれにせよスポーツを趣味として生きてゆくにはこうしたことを
受け入れて続けてゆくしかないのでしょうね・・・・

白樺国際技術選顛末記

2005-02-21 22:07:12 | スキー
2月20日に白樺国際で行われたノルディカカップアマチュア技術選に参加してきました。
家を出るときにコンタクトを忘れたり、結構ぼけていたのですが、今回は大会中も
おおぼけをかましてしまいました。1日たった今も自己嫌悪からまだ立ち直っていない状況です。
結果は40歳以上で6位だったのですが、1種目(小回り不整地)でやっちゃたのでした。
で、何をやったかというのを今からざんげしますと・・・・

最初の種目がこの小回り不整地だったのですが、非常に細かいこぶで選手が下(ゴール)まで
滑り降りるのに時間がかかってしまうためか、前の選手がゴールする前に次の選手がスタート
するという進行になっていました。それをスタート地点で見ていた私は「これはきっと最後まで
みずに点数を出しているからに違いない・・」と思ったのでした。
さて私のスタート順になりましたがやはり前の選手はまだゴールまで到達しておりません。
一応スタート審判に「出ていいですか?」と一言かけてからスタートしたのでした。・・
さて滑ってみると非常に細かいこぶでそんなに難しくはないのですがやはりなかなか下まで
いけません。最初の種目ということもありそれなりにスキーを回しこんで滑ってゆくと
なかなかゴールに着きません。さらにゴール近くは斜度もゆるく難易度も低いので
なんだかどうでも良い気分になってしまい、ゴール前20Mくらいはまっすぐにすべり降り、ゴールで
きれいに止まってみせたのでした。
止まってふと前を見るとそこにはあっけにとられた顔で点数を出している審判がいました。
そうです。審判は上のほうを見ないで中盤からゴール付近までをみて点数をつけていたんですね・・・
そしてゴール付近をターンせずにまっすぐに滑り降りた私は思い切り大減点されてしまったのでした・・

今考えるとどうしてこのような行動を取ったのか自分でも不思議なのですが
はっきり言って「バカ」ですよね。

情けない・・・・

キャリアデザインって・・

2005-02-03 22:25:40 | 仕事
仕事柄キャリアデザインってナンだろうと考えることが多い。
2年目の社員といま面談をしているのであるが「自分の3年後どうなっていたい?」
という質問に具体的なビジョンを持ってこたえられる人は殆どいない。
じゃあ自分の場合はどうかというといくつかの選択肢のいずれかという内容であれば
かなり具体的にこたえることが出来る。
これは要するに「先が見えている」という意味でもあるので
だから自分がえらいとかいうわけではないのであるが
自分の場合は割合と「こうしていたい」というものが明確でその延長線上で
将来を思い浮かべることが出来ているようである。
キャリアデザインというのはまず「自分がどうなっていたいか」という思いがあって
それを具体化するためにどのようにしてキャリアをつんでゆけばよいかということを考える
行為であると考えている。
やっぱり「どうなっていたい」というものがないと設計のしようがないんじゃないかな・・・
私の場合、学生時代はいろいろあって親からの援助がなかったので
脱ビンボーみたいな憧れはあったかな?
でも逆に実はバイトで結構食えていたので金のために就職するという思いは弱かった
ように思う。だから仕事選びにはこだわったというかやりたいことしかしない、
それがやれないなら就職しない(働かないわけではないです。食えませんから・・)、
という矜持は持っていましたね。
でも実際にいまやっている仕事は学生時代にやりたかった仕事と全然違うんですけどね・・
まあ実際のところ就職するときに自分がよもやこんなところで仕事をしているとは夢にも
思わなかったことだけは確かです。