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気分転換で久しぶりに阪急オアシス(スーパー)に行ってみたら、会計の際『ポイントの期限切れ予定日=3/31』などと出てきたので「何だ、もう切れてるじゃないか・・」と思ったら、切れるのは来年の3/31の話だった。気が早い人達だ。あそこへ通い始めると「明日もあさっても・・」となって、それでは他店に行ってられなくなるから、いろんな店に行きたい . . . 本文を読む
パチンコ好きである。しなければしないでどうということはないが、街を歩いていてふとした心の緩みが生じたときなどに「じゃあ2~3千円遊んで見ようか♪」となるのだが、ついつい深追いして金額が一桁違って来る。これは一種のビョーキなのだろう。 . . . 本文を読む
今日は¥340の朝食セットである。大分安い。アッソ♪
しかしバーガーは袋の中にグチャグチャに積んであるだけだったので、取り出すとき危うく全部ひっくり返すところだった。これはメニューが悪いのか作った店員が不慣れだったのか知らないが、食べにくいし良くなかった。安いだけのセットだ。アッソ😫😱😡 . . . 本文を読む
随分昔の政治・経済用語にマクナマラ元米国国防長官が使った《費用対効果率》という言葉があった。これは謂わば《金の計算の特化》であり、「あんた、そんなに金使って効果はあるのかい?充分ペイするのかい!?」という政治判断・価値判断を政府なり世論なりに要請していたものである。当時はアメリカ国策の中心課題だったあの《ベトナム戦争》でも、米兵の死者数に《より一層の効率化》を求めてこの論法が駆使されたわけであ . . . 本文を読む
復路は住之江公園脇を通り中加賀谷~北加賀谷~住吉市民病院前からあとは主に西成区を通って難なく自宅迄辿り着いた。以前はこの話をすると周囲から「車でも遠いで!」とよく言われたものだが、自分としては全然平気だった。今回は「よくこんな行程を連日のようにこなしたものだなぁ」と自分自身に驚いた。金は無くても時間は割合自由度が高かったのである。それにしても「人間何が有難いと言って健康に勝るものはない」とは屢々言われることだが、それを身をもって実感出来るのは健康状態が悪化してからのことなのだ。そうしてみんな年老いて行く。 . . . 本文を読む
《出目》の話は現在の私の筆力では正確に記述出来ないので、話はまだ半分も済んでいないが一旦中止して、今日はまた私の競輪の師匠の話に戻すことにする。
彼とは勤務がバラバラで、そうしょっちゅう一緒に出掛けていたわけではないが、それでも多いときには一ヶ月に1~2回は同行した。彼が儲けたときには奢って貰うこともあったが、彼は酒飲みだったが私は下戸だったため、お付き合いでおでんや焼き鳥を摘まむ程度だっ . . . 本文を読む
阪神尼崎駅前公園高架下のマクドナルドである。HCsと百円ハンバーガーで二百円というのはいつもと一緒だ。結局今日の競艇も負けたが、金額は諸経費込みでも4,000円前後だった。買ったのは10R11R12Rの三つだけで、「たられば」を言っても仕方ないが、もし11Rが入っていたら私はプラスで帰ることが出来た。それも最終2マークまでは私の舟券通りに3艇が走っていたのである。ところが《好事魔多し》で、結 . . . 本文を読む
写真はアベノハルカスの昨夜7時頃の夜景である。
昨日出戸バスターミナルから行きたかったのは長居公園方面か若しくはあべの橋方面だったが、来たのは住之江公園行きのバスだったのでそのまま乗った。現地到着は夕刻だったが着くまでそこが競艇場のある場所だということを忘れていた。今朝になってから調べてみたら、昨日は丁度優勝戦のあった日だった。それにしては人影が疎らだったが、もう大半の人は帰ってしまった後 . . . 本文を読む
一日一失。というのは私の咄嗟の思いつきの造語である。意味は「毎日一つずつ何かを無くしている」と言った程度のもので深い意味はない。今朝はボールペンの2本目が無事出て来てくれたが、今度は阪急オアシスのカードが何処かへ行ってしまった。一応部屋中探したが出て来なかった。何処かにひょいと置いたのだろうが、私のカード様はそのままお隠れになってしまったのだ。ポイントは300円程度しか溜まっていないから、そんなも . . . 本文を読む
生野区大池橋近くのNew Whiteという喫茶店である。ここはモーニングかランチで来ることはあるが、夕方のこの時間、3時過ぎにコーヒーを飲みに来たことはなかった。実はパチンコを少しだけやったその帰途に寄ったわけである。今日でパチンコは4連勝だが、金額が小さいのでまだ負けた分の半分も取り戻していない。この「負けを取り戻す」という感覚がギャンブルでは一番いけないのだそうで、深みにはまるのはみん . . . 本文を読む
健忘症である。重症なのか軽症なのか自分では判定出来ない。
数年前と比べれば軽くなったと思うが、不便なことには違いない。
まず多いのが「モノの置き忘れ」である。日常品の細々としたものを、普段からあちこちに置き忘れる。自分ではお気楽にモノをひょいとそのへんに置くのだが、どこに置いたかなど全く配慮していないので、後になって「アレは一体どこに置いたのだろうか?」と必死に探しても出てこない。
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10:20にあべののドトールを出たら道路の反対側に「大阪行き」の市バスが停まっていたので、私は「渡りに舟」ではないが吸い込まれるように乗り込んでしまった。本当は歩いて新世界方面に向かうつもりでいたのだが、意味もなく予定変更した。いつものことだが、深い意味など私にはない。バスは一旦大阪とは違う方向へハンドルを切り、大きく迂回して上町筋を巡り、大阪城を右手に見て通り過ぎてから、また谷町筋へ戻って . . . 本文を読む
さっき《ボケないうちに》という短文を他のブログに投稿したばかりだが、既に私はボケていた。日数の感覚が一日ズレていたのである。つい先程まで、私はまだ3/10火曜日のつもりでいたのだが、実際はもう3/11水曜日になっているではないか!
脳が疲労し過ぎているのか、まる一日寝ていたことになる。これはこのタブレットの日付を見て判ったことだ。道理で時間の進み方がやや変調だったと今思う。アチャ。
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同じ性能・同じ品質で2種類の商品があった場合、お金持ちは迷わず高い方を選ぶのだそうだが、私は逆に迷わず安い方を選ぶ。お金持ちは《価格》というものをまず信頼してかかるのだが、実は高いからより良い商品だとは限らないのである。流通の都合その他の理由で、たまたま値段に格差が生じているだけのことかも知れないのだ。
尤も私が安い方を選ぶのは、買った品物が自分に合わなかった場合、《安いんだから仕方ない》と自 . . . 本文を読む