彼は一浪して札幌の大学に入った。
彼はその夏の日、オホーツクの海に消えた。
しかし、その後も彼はずっと私を支えてくれているのを感じていた。
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吉田君に最初に会ったのは、私が中学三年生のとき、卯原内から網走市内に引越して、一中に転校したときである。彼とは同じクラスだった。家も近所であったこともあり、すぐに親友になった。
高校も同じで、三年間同じクラスだった。彼の成績はいつも上位であったので、大学受験に失敗したときは信じられなかった。特に地理と生物が得意で、世界地図などは細かいところまで、何も見ずに書き上げていた。
そんな彼が一浪して翌年、札幌の大学に入学した。
その夏休みに彼は帰省し、オホーツク海で泳いでいたらしい。
夏といえども、オホーツクの海は冷たいし、潮の流れも強い。5分間も海に入っていると唇が紫色になり、体は震えてくる。
「吉田が水泳中にいなくなった。」との知らせを聞いて、すぐに浜に駆けつけた。
遠くで船と潜水服を着た人たちが彼を捜していたが、その日は見つからなかった。
私は毎日、浜に座り、彼を待っていた。捜索一週間目の日、今日、見つからなければ、捜索は打ち切ると聞いていた。
この日、彼は捜索の人たちによって発見された。
彼の葬儀に出席した。式の終わり頃、一人のお坊さんがシンバルのようなものをジャーンと鳴らした。それはとても大きな音だったので、その音で彼が目を覚ましてくれるのを願った。
それ以後は、夏休みに網走に帰省するたびに彼の実家を訪れお参りしていたが、私が行くたびに彼のお母さんが彼を思い出し、悲しくさせているような気がして15年ほどで行くのをやめた。
このシンバルのようなものは鐃鈸(にょうはち)と呼ばれるもので禅寺で用いられるものである。おそらく彼の家は曹洞宗だったのであろう。
最近、私が座禅をするようになったのは、吉田君がそうさせたのではないかと思うようになった。彼が私を平等寺へ行かせたのだと。
そうして、彼はいつも私を見守ってくれているのを感じている。
彼はその夏の日、オホーツクの海に消えた。
しかし、その後も彼はずっと私を支えてくれているのを感じていた。
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吉田君に最初に会ったのは、私が中学三年生のとき、卯原内から網走市内に引越して、一中に転校したときである。彼とは同じクラスだった。家も近所であったこともあり、すぐに親友になった。
高校も同じで、三年間同じクラスだった。彼の成績はいつも上位であったので、大学受験に失敗したときは信じられなかった。特に地理と生物が得意で、世界地図などは細かいところまで、何も見ずに書き上げていた。
そんな彼が一浪して翌年、札幌の大学に入学した。
その夏休みに彼は帰省し、オホーツク海で泳いでいたらしい。
夏といえども、オホーツクの海は冷たいし、潮の流れも強い。5分間も海に入っていると唇が紫色になり、体は震えてくる。
「吉田が水泳中にいなくなった。」との知らせを聞いて、すぐに浜に駆けつけた。
遠くで船と潜水服を着た人たちが彼を捜していたが、その日は見つからなかった。
私は毎日、浜に座り、彼を待っていた。捜索一週間目の日、今日、見つからなければ、捜索は打ち切ると聞いていた。
この日、彼は捜索の人たちによって発見された。
彼の葬儀に出席した。式の終わり頃、一人のお坊さんがシンバルのようなものをジャーンと鳴らした。それはとても大きな音だったので、その音で彼が目を覚ましてくれるのを願った。
それ以後は、夏休みに網走に帰省するたびに彼の実家を訪れお参りしていたが、私が行くたびに彼のお母さんが彼を思い出し、悲しくさせているような気がして15年ほどで行くのをやめた。
このシンバルのようなものは鐃鈸(にょうはち)と呼ばれるもので禅寺で用いられるものである。おそらく彼の家は曹洞宗だったのであろう。
最近、私が座禅をするようになったのは、吉田君がそうさせたのではないかと思うようになった。彼が私を平等寺へ行かせたのだと。
そうして、彼はいつも私を見守ってくれているのを感じている。