なおじい(HOBBY:カメラ・ビデオ撮影・DVDオーサリング/資格:ラジオ体操指導員・防災士・応急手当普及員)

身についている『ワザ 』でボランティア活動・地域社会とのコミュニケーション、楽しいシルバーライフ目標で有意義に過ごす 。

ボーッと生きている「ぼんやり日本人」の末路

2018年06月19日 15時32分49秒 | ブログ
 
 
2018/06/19 07:00
 

 毎週金曜日の夜、一週間の勤務を終えて帰宅したサラリーマンがぼんやりテレビを見ていると、お堅いイメージの強いNHKの番組から「ボーッと生きてんじゃねーよ!!」という怒鳴り声が飛び込んでくる。

 花金の夜を居酒屋で過ごして深夜に帰宅しても、土曜日の朝、ぼんやりまなこでテレビをつけると、いきなり画面から「ボーっと生きてんじゃねーよ!!」と突っ込まれる。

 2018年4月からレギュラー番組として始まったNHKの雑学クイズ番組「チコちゃんに叱られる」は毎週金曜日の夜と土曜日の朝(再放送)に、このボーッと生きている日本人に5歳のチコちゃんというキャラクターが活を入れるという構成で人気を博している。

 

「空気を読む」は形を変えて「忖度」に

 

 番組自体は、たとえば「バースデーケーキのろうそくの火はどうして吹き消すのか?」といった他愛のない問題に答えられなかったり、間違えた回答をするゲストに対してチコちゃんが件の決め台詞を吐くだけの単純なものだが、問題の内容はともかくこの番組の根底に流れているのが、街頭で同じ質問を受ける日本人たちの何とも言えぬ「のんびり」加減である。質問を受ける人々のほとんどが、「えーっ、わかんない」とか「知らなかったあ」と言って無邪気な顔を晒しているのだが、平和な国ニッポンの象徴的な光景だともいえる。

©iStock.com © 文春オンライン ©iStock.com

 数年前、世間では「空気を読む」という流行り言葉があった。この言葉は現在、形を変えて「忖度する」になっているが、こうした流行語の背景も全く同じだ。自分の意見は言わずにひたすら流れに身を任せるだけのボーっとした日本人像だ。これを日本人の特性だとみる向きもあるが、実は日本社会の歴史的な構造の変化がもたらしているものとみられる。

 

急速にサラリーマン化している日本社会

 

 江戸時代の日本は「士農工商」という階級社会があったが、現代に言い換えれば「サ農工商」の社会になっているのが日本だ。総務省の「労働力調査」によれば、2018年3月における就業者数は6694万人であるが、このうち雇用者の数は5933万人、就業者全体の88.6%がサラリーマンというのが現代の日本社会である。

 50年前の1968年3月でみると就業者数4965万人に対して雇用者数は3107万人でその割合は62.6%にすぎない。世の中で「働き手」としてカウントされる15歳から64歳の人口を意味する生産年齢人口は98年で8692万人だったが現在は7562万人と約13%も減少しているが、同じ期間で雇用者数は5389万人から5933万人へと約10%も増加している。つまり日本の社会が急速にサラリーマン化しているのだ。

 サラリーマンは会社に仕えて、給料という報酬をもらう身分だ。江戸時代の武士が藩に奉公して俸禄をもらうのと基本的には同じ構造にある。会社では上司に仕え、経営者が指し示す方針には逆らわず、忠誠心を持って空気を読み、忖度していれば基本的な生活は保証される。

 それでも企業社会の中では、かつては激しい競争があった。日本が著しい経済発展を遂げた時期、ライバルは無数にいて、企業戦士であるサラリーマンは身を粉にして会社のために戦った。今でいうところのパワハラなどは日常茶飯事。それでもその世界を勝ち抜いていくことにサラリーマンとしての価値があったのだ。

 

13行あった大手銀行はわずか4社に

 

 それに引き換え現代の日本の状況はどうであろうか。もちろん今でも苛烈な競争が一部では残っている。しかし、国内市場の成長余力がなくなり、企業としての成長に陰りが見えてくる中で、新たな収益機会は減り、多くの業界では企業同士のM&Aが繰り返されるようになっている。

 たとえば銀行業界では、私が大学を卒業した1983年頃は都市銀行というカテゴリーの大手銀行が13行もしのぎを削っていた。銀行志望の学生にとっての選択肢は広かったのである。それが現在では繰り返し行われたM&Aの結果、わずか4行に収斂している。同じ現象は鉄鋼、電機、機械、化学、製薬などあらゆる業界で生じている。世の中は少数の大企業だけが生き残る社会になっている。

 こうした業界ごとの合従連衡はマーケットにおいて互いが切磋琢磨して競争する環境を変え、互いの会社が相手の領域に侵食せずに、マーケットの利益を分け合うような「忖度社会」を作り上げている。

 

金融機関の対応の遅さにやきもき

 

 競争がなくなるということは、そこで働くサラリーマンが「物事を考えなくなる」ことにつながる。ぼんやりしていても、いきなりライバル会社に仕事を奪われるような危険がないからだ。

 最近でもある不動産開発の案件で金融機関に融資のアレンジメントを依頼した時にも、その対応の遅さにはやきもきさせられた。応対する行員に不動産開発に対する基本的知識がないのは仕方がないにしても、本部での審査はこちらが驚くほどに遅く、同じような質問を繰り返し受ける事態に辟易とさせられた。こちらから対応の遅さを指摘しても、組織内部の問題を評論家風に語るだけで、いっこうに事態を改善しようとする気構えを感じることはできなかった。

 競争がなく、企業内部の意思決定構造だけを気にするようになる姿は、江戸時代の藩に奉公するだけの武士の社会を彷彿とさせられる。戦国時代の武士は互いの国が激しく争い、侵攻を繰り返した。あらゆる権謀術数や裏切りが行われ、国の勢力図が刻々と変化した。国を出て他の大名に仕える「転職」も珍しいことではなかったのだ。

 

働き方改革と「ぼんやり日本人」

 

 ところが現代では競争がなくなって平和のように見えるいっぽうで、環境の変化に気づかずにただ今の瞬間だけ障りがなければそれでよし、多少の悪事に対しても「見て見ぬふりをする」風潮が世の中に蔓延している。

 こうした「ぼんやり社会」はいつまで続くのだろうか。競争が行われず、既得権益だけが守られ、それに唯々諾々と従うだけでは、人々はますますモノを考えずに、上に忖度するだけになってしまう。そんな社会では新しい発想は生まれないし、自分の勤める会社の価値観にすがって生きているだけでは、イノベーションなぞ決して起こりはしないのである。

 政治の世界でも、こうした「考えないサラリーマン」の問題意識のなさにずいぶん助けられている感もなくはない。だが、社会は確実に変化している。今審議が行われている「働き方改革」法案は、この「ぼんやり」生きているサラリーマンに対して、長時間労働の是正や非正規雇用の労働条件の改善、裁量労働制の拡大などを提言している。

 

ボーッと生きてんじゃねえよ、ニッポン人!

 

 サラリーマンを企業に縛り付けずに、自由な時間を持たせて豊かな消費社会を実現しようとの目論見であろうが、彼らに自由な時間を与えて副業なども認めるということは、江戸時代の武士に他藩との交流を許し、変わりゆく世界に気づかせるのと同様の効果があることに気づくべきだ。それは長きにわたって平和の世界に安穏としていた武士たちに危機感を植え付けるきっかけになるかもしれないのだ。この法案が施行された瞬間、日本人の多くが、日本だけがこのガラパゴスの世界で未来永劫生きることはできず、シェアリングエコノミーなど新しい産業分野で台頭する中国やアジア諸国から周回遅れとなっている日本の現状を認識することにつながるかもしれない。日本社会の持つ深刻な制度疲労に気づくチャンスが訪れるかもしれないのである。

 そう考えるとこの働き方改革は、平和ボケの日本人を「太平の夢」から目覚めさせる特効薬になるかもしれない。ボーッと生きてんじゃねえよ、ニッポン人!


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