2008.10 パークコンサートにて
2010年8月24日、当アンサンブル創設者であり、
創設以来指揮者として指導して下さっていた山本繁先生が亡くなられました。享年69歳でした。
26年もの長きにわたり、クラリネットを楽しく吹ける場をつくりたいという思いで、
ほとんど休むことなく指導して下さいました。
2009年春に肺がんの告知をうけ、余命2カ月と宣告されましたが、驚異的な回復力で8月に指導を再開。
亡くなられる2日前にも、合同演奏の指導をして下さり、タクトを振って下さいました。
2010.8.22 ヤマハ目黒吹奏楽団との合同練習にて
最期まで現役として、音楽に捧げられた人生でした。
団員一同、これまでの温かいご指導とご厚情に感謝し、心よりご冥福をお祈りいたします。
なお、先般お知らせしました、来たる10月17日(日)の「山本繁 古希記念コンサート」は、
追悼コンサートの形に変更して、予定どおり開催いたします。
山本繁先生
1940年島根県に生まれる。18歳でクラリネットを手にして以来、音楽の魅力の虜となり、高校卒業後、クラリネット専攻として国立音楽大学器楽科に入学。大橋幸夫氏に師事した。
若き時代の印象的な仕事にタクト・レコードでのレコード製作があり、渡辺貞夫氏、日野皓正氏ら日本のジャズ界を代表するビッグネームのプロデュースを行った。
また、吹奏楽ではNSB(ニュー・サウンズ・イン・ブラス)の出版に携わり、音楽普及に活躍した。
ヤマハ株式会社では、長きにわたり音楽講師の育成に努め、音楽教育の普及に尽力。
多忙な仕事の合間をぬって、アマチュア音楽団体の育成にも注力し、ヤマハ目黒吹奏楽団では1977年の創立以来の常任指揮者として、
クラリネット・アンサンブルGrowでは前身である1984の銀座クラリネットアンサンブル設立以来、長年にわたり指導を続けた。
逝去までヤマハ株式会社普及企画部大人の音楽企画室顧問として、音楽講師を育成する業務に従事。その厳しくも温かな音楽指導は多くの人々を魅了した。