( Vol 1202 ) 現代社会は 思いやりということを 軽視していないか
道徳教育として 思いやりが大切だ ということを説く
しかし 現実社会は どうか
今日 格差社会とまで言われ 貧富の差は 広がるばかりである
もし 思いやりの心があるのなら 今日のように 貧富の格差は広がらない
富むためには がむしゃらに 我を忘れて 獲得
それが 現代社会
その象徴的なものが 金融であろう
かつて マルクスは 経済社会の不均衡について 嘆き 資本論を発表した
今現在 マルクスの意図は 大きく歪められ 富を得る 道具となっている
私たちは 金融市場の動向に 一喜一憂する毎日
今日は いくら儲けた いくら損をした と
こつこつと働く まじめな人たちを 上から見下ろし 優越感に慕っている
富がもたらす 優越感
世界の富の 90%近くが 世界人口の約2%の人によって 握られている
この現実を知らされたとき 富の分配の 不公平さに憤りを 感じる
富を得た人たちは それなりに努力をしてきた と自負
しかし こつこつと働いてきた人も 同じように努力してきている
富は なにをもたらしたのか と問いたくなる
富は 貧富の差だけではなく 人間的な格差さえも 生み出したのではないか
世に 勝ち組 負け組という 言葉さえ 出回っている ことからみても 察しがつく
いま 過激派組織イスラム国の非情とも思える 行動の根底にも この格差への不満が存在しているからではないか
思いやりがあれば 大きな格差も生じない
思いやりがあれば 人種差別も生じない
思いやりがあれば 性による差別も生じない
思いやりがあれば 貧富の差も大きくならない
すべてが 分かち合う気持ちになれるはず
だが 現実は 思いやりに あまりにも欠けている
思いやりに欠けた 社会になっている
このことが 大きな問題を 起こしている
自分だけ良ければ 満足できればいい
そんな社会になっていないだろうか
どこかが 狂ってしまっている
個人 国家 企業 すべてが狂ってきている
お金 お金 ということを 毎日のように お経のように唱えているようにさえ感じる
現代社会は 物々交換の社会ではない お金というものを通して 経済が成り立っている
そのこと自体は とても便利である
しかし そこには 欠点も存在する
その欠点が 今日突出した状態になっているのではないか
世界が 争わない社会にするためにも
もう一度 思いやる ということを 考えてみてはどうか
富めるものは特に 考える必要がある
どの国の政府も 財政政策において 富のある者に対して 優遇した政策をとっている
なぜ このような政策をしなければならないのか
そこには 富める者の力が働いているからではないか
富める者が より富めるように 仕組まれている
この仕組みは おかしい
おかしい仕組みを いま 見直す時期ではないのだろうか
いつも犠牲になるのは 貧困層といわれる市民たちである
思いやりの心を 一番必要なのは 富める者たちではないだろうか
勝ち組 負け組 などと言わずに
住みやすい社会にするためにも
まず 富める者が 思いやりの心を持って 社会貢献することではないだろうか
道徳教育として 思いやりが大切だ ということを説く
しかし 現実社会は どうか
今日 格差社会とまで言われ 貧富の差は 広がるばかりである
もし 思いやりの心があるのなら 今日のように 貧富の格差は広がらない
富むためには がむしゃらに 我を忘れて 獲得
それが 現代社会
その象徴的なものが 金融であろう
かつて マルクスは 経済社会の不均衡について 嘆き 資本論を発表した
今現在 マルクスの意図は 大きく歪められ 富を得る 道具となっている
私たちは 金融市場の動向に 一喜一憂する毎日
今日は いくら儲けた いくら損をした と
こつこつと働く まじめな人たちを 上から見下ろし 優越感に慕っている
富がもたらす 優越感
世界の富の 90%近くが 世界人口の約2%の人によって 握られている
この現実を知らされたとき 富の分配の 不公平さに憤りを 感じる
富を得た人たちは それなりに努力をしてきた と自負
しかし こつこつと働いてきた人も 同じように努力してきている
富は なにをもたらしたのか と問いたくなる
富は 貧富の差だけではなく 人間的な格差さえも 生み出したのではないか
世に 勝ち組 負け組という 言葉さえ 出回っている ことからみても 察しがつく
いま 過激派組織イスラム国の非情とも思える 行動の根底にも この格差への不満が存在しているからではないか
思いやりがあれば 大きな格差も生じない
思いやりがあれば 人種差別も生じない
思いやりがあれば 性による差別も生じない
思いやりがあれば 貧富の差も大きくならない
すべてが 分かち合う気持ちになれるはず
だが 現実は 思いやりに あまりにも欠けている
思いやりに欠けた 社会になっている
このことが 大きな問題を 起こしている
自分だけ良ければ 満足できればいい
そんな社会になっていないだろうか
どこかが 狂ってしまっている
個人 国家 企業 すべてが狂ってきている
お金 お金 ということを 毎日のように お経のように唱えているようにさえ感じる
現代社会は 物々交換の社会ではない お金というものを通して 経済が成り立っている
そのこと自体は とても便利である
しかし そこには 欠点も存在する
その欠点が 今日突出した状態になっているのではないか
世界が 争わない社会にするためにも
もう一度 思いやる ということを 考えてみてはどうか
富めるものは特に 考える必要がある
どの国の政府も 財政政策において 富のある者に対して 優遇した政策をとっている
なぜ このような政策をしなければならないのか
そこには 富める者の力が働いているからではないか
富める者が より富めるように 仕組まれている
この仕組みは おかしい
おかしい仕組みを いま 見直す時期ではないのだろうか
いつも犠牲になるのは 貧困層といわれる市民たちである
思いやりの心を 一番必要なのは 富める者たちではないだろうか
勝ち組 負け組 などと言わずに
住みやすい社会にするためにも
まず 富める者が 思いやりの心を持って 社会貢献することではないだろうか