豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2015年02月17日 23時10分48秒 | 日記
( Vol 1212 ) 宗教が公共の場までを 規制するのは問題である


宗教は 人生哲学である

人それぞれが 人生観を持っている

その人生観を 公共の場まで 持ち出すことは 個人の尊厳を犯すものである

最近 イスラム国の問題で 世間を混乱させているが

宗教論で 他人の存在を 否定してはならない

特に イスラム教は 個人のあり方について 公共の場においてまで 制約している

公共の場というものは 全ての人に 開かれたものであるはずである

それが イスラム教において 制約されることは 問題ではないか

公共の場には 様々な人々が集まる

人 一人一人を認める 必要がある

認めるというのは 宗教儀式を 強要するものではない

宗教儀式は 個人という私的なものの範囲内に とどめるべきものである

その意味からも イスラム教の個人生活に対する制約は 行き過ぎたものである

最近では レストランにまで イスラム教信者に対処したものが出現しているが 他の人から見ると 違和感を感じる 

イスラム教信者を 特別扱いにしているのは 問題だと考える

個人という場と 公共という場 を 分けた行動が 必要ではないか


国家という存在の中で 宗教が支配するということは 個人の尊重がなされないということにはなりはしないか


日本では 個人は尊重されている

それまでも 犯されるような 事態になってきているのは 問題である

仕事場 レストラン カラオケボックス の場に 礼拝場所を設けるとは とんでもないことである

イスラム教以外には そのような規制をかけている宗教は 存在しない


イスラム教は 他の宗教との共存を 認めない ということを意味しているように思う

それは あまりにも 身勝手である

だれもが 自分の存在を 認めてほしいと思っているのである

その意味からも 公共の場における 制約は 許されるものではない


イスラム教徒 公共の場での行動は 自粛すべきである

それが 他人への配慮というものではないだろうか

他人への配慮に欠けた 行動は 問題ではないか

人生観としても 受け入れることはできない








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豊前善三のつれづれ日記

2015年02月17日 12時52分26秒 | 日記
 ( Vol 1211 ) 原子力規制委員会に 全権を与えて 政府からの独立性を持った 規制判断ができるようにすべきではないか

福島原子力発電所の事故により 国民の意識は 変わってきた

この結果から あらゆる規制の基準は 見直されるべきである

しかし 再稼働に向けての基準変更は 政府の意向を受けて 小規模の変更になっている

原子力規制委員会の再稼働に向けての 審査許可説明を聞いていると 自治体への同意範囲が 旧態依然のままである

これは 政府の意向が見え隠れする

このような判断基準では 独立したものとはならない

なんのために 原子力規制委員会が あるのかわからない

原子力規制については 政府からの独立性を保つためにも 国民の安全性を重視した 基準を示せるような 決定権を持つべきである


いまの 原子力規制委員会は 政府のための規制委員会にしか 映らない

是非とも 独立したの原子力規制委員会の 姿になってもらいたいものである










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