豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2015年02月20日 19時42分19秒 | 日記
 ( Vol 1215 ) 山には 魔物はいない 魔物は自分の中にいる

山には 魔物がいる と恐れるが それは 間違い

山は ただ そこに存在するだけ

山を 魔物にするのは 人

山での 遭難の多くは 遭難した本人の判断が 招いている

せっかくここまで来たのだから 登頂したい

なんとしても 登りたい

欲望が 判断を誤らせる

このくらい平気と 自分を過信

判断を鈍らせる


山には 魔物はいない

魔物は 自分の中にいる

欲望という魔物である


山に魅せられるのも 自分の欲望

どう 自分の欲望を コントロールするか

そこが 問題

どんなベテランも 自分をコントロールは難しい


山での 遭難の多くは 自分の欲望が 引き起こす

山を登るときは 緊張して 自己管理をして 入ってほしい


誰にも 遭難の可能性はある

自分だけは 遭難しない

自分だけは けがをしない

と思わないでほしい


山には 魔物はいない

魔物は 自分の中にいる

くれぐれも 自分を過信しないで 気をつけて 山を登ってほしい








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豊前善三のつれづれ日記

2015年02月20日 07時30分16秒 | 日記
 ( Vol 1214 ) 宗教が 差別 争いを招いてはいないか

宗教は 本来 差別のない社会をと 臨み広まったはず

しかし 宗教が 差別を生んではないか

宗教は 人に何を教えようとしたのか

宗教は 人としての生き方を 教えようとしたのではなかったか

宗教をひもといてみると さまざまな形態があることが分かる

そのために 宗教の間で 比較が起き 優劣を決めようとすることが起きる


宗教は 本来 比較は起きないものなのであるが 布教しようとすると 比較を持ち出す

そのために 差別化を起こす

その要因は 宗教が 日常生活における 行いを 事細かに規定していることにほかならない

例えば イスラム教では 日常のお祈りを 時間で規定 食事の食材についても規定 男女の規定 とさまざまな規定を設けて 宗教を維持し 理想社会をつくろうとしている

それは 本当に人にとって良いのだろうか 

宗教が 起きた原因は 平等な扱いではなかったか

だが 宗教は 平等どころか 制限を設け 差別を生んでいる


宗教の教義に反すれば 非難

すべてが同じにならなければ 非難


人は 居心地の良いところを求める
極端なことを言えば 同じ考え 同じ行動をとる中に居れば 安心し 居心地はよい

しかし 絶対に 人は 完全に 同じにはならない 

そこには 差違がある のが当たり前

だが 宗教は 熱狂的になると その差違さえ 認めない

そこが 問題を生む原因


なぜ 同じ宗教の中に 宗派があるのだろうか

同じにはなれない ということではないか


宗教は もっと緩やかな規定に とどめるべきである

たぶん 宗教の始まりは とても緩やかなものだったろうと思う

それが 広まり巨大になってくると 宗教家達は まとめようとする

そのことが 細やかな規定を 生むことになったのではないか


仏教も 釈迦が説いたときより 教義の内容は増えている
後の宗教家によって 広めるため 確固たるものにするために 増やされた

現在 宗教は はじめの宗教の教義とは 違う

力を持った宗教の姿

すべてを同じ色にしようという 欲望にかられている

人 一人一人を 認める ということを 忘れてしまっている

理想社会をつくるには 同じにならなければならない と過激になっている
本来の 宗教の姿を 失っている


争いのない 差別のない 社会にするためには

もう一度 原点に戻ることが 必要ではないか


いま 宗教が 差別 争いを 生む 一要因になっていることを 自覚する必要がある


宗教家の人々は もう一度 自分たちのあり方を 見直してはどうか


すべての人を 認めるとは どういうことか 考えてほしい ものである
 








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