むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

35、夕霧 ⑥

2024年03月25日 08時08分56秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・御息所からのお文を、
翌朝見つけた夕霧は、
胸さわいだ。

かの一夜のことを、
御息所はお気にしていられる。

咎め、恨む口調のお文。

とすれば、
昨夜行かなかったのを、
どんなに辛くお思いだろうと、
心苦しい。

かくも乱れたお手をみると、
ご容態の悪いのを、
押して書かれたとおぼしく、
それほど気にしていられたのに、
何ということ、
夕霧は反省して泣きたいくらい。

そのまま、
すぐ出かけようとしたが、
行っても宮はお会い下さるまい。

小野では御息所が、
心痛していられた。

夕霧は姿を見せず、
出されたお手紙に、
返事もしてこない。

やはり、
一時のたわむれ心、
であったのだろうか、
と思われると宮が、
おいたわしくて。

「夕霧大将どのに、
やさしいお気持ちがおありなら、
世間並みのご夫婦のように、
幸福になられたかもしれない、
けれど一夜限りで、
文のお返事もなさらないなんて、
薄情なお心でいらっしゃるとは」

そうおっしゃるうちに、
にわかにお苦しみになり、
意識を失われお体は冷えてゆく。

この騒ぎのうちに、
夕霧大将のお手紙が来たことを、
お聞きになって、
今夜もお越しでないのだ、
何と情けないと、
思い乱れていられるうち、
そのまま息絶えられた。

宮は母のなきがらに、
とりすがっていられる。

御息所が亡くなられた、
と聞き、夕霧は急いで出かけた。

心せかれる道のりは、
遠かった。

やっと着いた小野の山荘では、
葬儀の用意が始まっていた。

亡き御息所の甥の大和の守が、
泣く泣く挨拶した。

この人が万事采配を、
ふるっていた。

夕霧は馴染みの女房を呼んで、
宮にお悔やみを言うが、
宮は、

(この方のため、
お母さまはご心労で、
亡くなられた)

と思われて、
お返事もなさらない。

夕霧はかの女房から、
宮が悲嘆にくれて、
半ば死んだようになって、
と聞いた。

女房たちは、
夕霧の問うままに、
御息所の亡くなられた、
夜のことを話す。

夕霧は、
自分の返事が遅れたことで、
御息所を心痛させたと知って、
いっそう気持ちも沈む。

宮のお声を聞きたい、
と思ったが、
ひとまず帰ることにした。

葬儀は、
夕霧が心を配ったので、
立派に行われ大和の守も、
喜んだ。

宮は葬儀が済んでも、
都へ帰ろうとなさらない。

(お母さまを煙にした、
この地で一生を終わりたい)

と思っていられる。

夕霧からは毎日、
お見舞いの使者が来、
念仏の僧へは慰問の品々が、
贈られてくる。

まして宮へは、
夕霧から心をこめた、
手紙が届けられるが、
宮はご覧になろうとも、
なさらない。

夕霧は一行のお返事さえ、
下さらない宮のお心を、
はかりかねている。

が、宮のことが、
思い切れない。

せめて四十九日の御忌中を、
過ごして訪れようと、
心を鎮めてみるが、
待ちきれなくなり、
小野の山荘へ出かけた。

どうせ一度立った浮名だ、
包み隠したとて仕方ない。

雲井雁が、
宮の所へ出かけるのだろう、
と推察しても打ち消したりしない。

それは九月十日過ぎのころ。

山荘は読経の声が聞こえ、
人の気配も少なく、
木枯らしが吹き渡る。

夕霧は几帳の向こうの、
女房にかきくどく。

「宮のお嘆きは尤もだけれど、
あまりにもつれない、
お仕打ちではないか」

「宮さまは、
ご自分でも死にたいと、
お悲しみにくれていらっしゃる。
お返事などお出来になる、
状態ではないのでございます」

「そんなに頼りなくいらして、
これからどう過ごされる、
おつもりだ。
誰を頼ろうとなさるのか。
お父帝(朱雀院)も世を捨て、
山へこもってしまわれている。
今は頼られるのは、
私しかいないではないか」

しかし取り次ぎを介しての、
宮のご返事は、
取りつく島のないような、
冷淡なものだった。

夕霧は失望して帰ってきた。




          


(次回へ)

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