むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

35、夕霧 ⑦

2024年03月26日 07時58分12秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳





(雨に洗われた竹林)







・母君、御息所の病気平癒のため、
比叡のふもとの小野に、
転居された亡き柏木の正妻、
女二の宮のお留守の邸、
一條邸はいよいよ荒れて、
人影もない様子。

母君、御息所の喪中に、
小野を訪れた帰りに夕霧が見た風景。

朝帰りをした夕霧を見て、
正妻、雲井雁は情けなく辛かった。

夕霧の父、源氏も、
このことは聞いていた。

夕霧は老成した人柄で、
思慮深く、
人の非難を受けたことないのを、
親として誇らしく思っていた。

自分は若いころ、
恋の狩人として浮名を流したが、
その不名誉を挽回してくれるように、
嬉しく思っていた。

しかし、
女二の宮との事件が起きると、
夕霧があわれであった。

正妻、雲井雁やその父大臣は、
どう思うであろうか、
そのあたりのことも、
わからぬ夕霧ではあるまいに。

(自分は口をはさむことでもない)

と源氏は口をつぐんでいた。

こんな堅い男が、
いったん思いつめると、
周囲がいくら意見しても、
耳に入るはずはないと思う。

ただ、女のあわれさだけが、
思われる。

源氏は夕霧の恋愛沙汰に、
心を痛めるにつけても、
紫の上のことが心配である。

「もし、
私が亡くなったら、
あなたも女二の宮のように、
いろいろ苦労するのではないか、
と思うと気がかりでならない。
いろんな男が言い寄って、
あなたを悩ますのだろうね」

という。

紫の上は、

「まあ、
わたくしをあとへ、
生き残らせるおつもり?」

といった。

紫の上も、
夕霧と女二の宮の恋について、
さまざま思っていた。

(女ほど生きにくいものはない。
女は自我を出してはいけない、
といわれ、
自分を殺すように、
しつけられてしまっている。
そんな人生に、
ほんとうの楽しさや生きがいは、
見つからない・・・
人のいうままに自我を殺して、
生きていると物の道理もわからず、
無感動な女になってしまう。
言いたいことも言えず、
判断力もありながら、
自分を抑えているなんて、
なんと辛い苦しいことでしょう。
女二の宮もきっと、
さまざまなことを考えて、
いらっしゃるはずだけれど、
じっと辛抱していらっしゃる。
女ほど生きにくいものはない。
自分を抑えて、
女らしい女になっても、
個性を損なっては何もならない・・・)

と思うのは、
いまわが手元でお育てしている、
明石の女御のお生みになった、
女一の宮のことに、
おのずと思いがゆくからだった。

夕霧が源氏のもとへ来たとき、
源氏は息子がどう思っているか、
知りたかった。

しかし面と向かうと、
むきつけには言えなくて、

「御息所の四十九日は済んだのか。
残された宮もどんなにお悲しみだろう。
あの宮は朱雀院が、
こちらの三の宮の次に、
お可愛がりになっていた方でね」

とそれとなく探りを入れた。

夕霧は宮のことは、
決して口にしない。

源氏は、

(こんなに思いつめているものを、
忠告しても無駄だ)

と思った。

かくて御息所の四十九日は、
夕霧大将がすべて引き受けてした。

このことは、
亡き柏木の父大臣の耳にも入った。

(あの夕霧が。
では女二の宮はもう、
再婚なさるおつもりか。
そうか、
そんな軽々しい方だったのか)

そういう解釈は、
宮にとってお気の毒だった。

宮はこのまま、
小野の山荘で埋もれたい、
と望んでいられる。

それを、
父君の山の院がお聞きになって、

「出家は思いとどまった方がよい。
女三の宮が尼になったばかり。
私の姫たちがみな、
世を捨てるのはさびしい。
皇女が再婚するというのも、
世の聞こえはよくないが、
しかし庇護者もなく出家するのも、
まあ、よく考えて」

といわれた。






          


(次回へ)

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