「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

11、明石 ⑥

2023年09月30日 08時22分28秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・その一方で、
京に残してきた可憐な人も、
気になってならないとは、
なんという男ごころの不思議であろう。

須磨の浦を越えて明石まで流れてくると、
いっそう紫の君のことが心もとなく、

(どうすればいいのだろう。
いっそ、ここへ迎えようか)

と気弱く思う折もあるが、

(まさか、
いつまでもここにいることもあるまい。
外聞の悪いことはしないでおこう)

と源氏は自制した。

そのころ、都では変事が続いて、
物さわがしく、
人心は動揺していた。

かの嵐の日、
故桐壺院のお姿は、
帝のおん夢にも立たれた。

帝は父院から源氏のことで、
お叱りを受けられた夢をご覧になった。

そのとき院に射るような視線をあてられて、
そのまま、お目をわずらわれた。

太政大臣がこうじられた。

弘徽殿大后が病にたおれられた。

もしや源氏の君を罪なくして、
流浪させたむくいではないかと、
帝はお心弱く考えられた。

明石に秋風が吹くようになると、
源氏はつくづく一人寝がわびしくなってきた。

入道の娘という対象ができると、
無関心でいることはできなかった。

何とか人目につかぬよう、
姫に逢わせてもらえないかと、
入道にいってみた。

実は今になって、
北の方が迷って躊躇している。

いや、内心、入道自身、

(娘をめとってもらって頂けたとしても、
すぐに捨てられるようなことになれば、
可哀そうだし、それならいっそ、
はじめから縁づかない方が・・・)

と、親心は果てしない迷いを重ねている。

しかし、入道は、
ついに決心して、吉日を調べた。

迷っている北の方を無視して、
召使いにも知らせず、
結婚の用意をととのえた。

娘はとんでもないことだと思ったが、
準備は娘の思惑におかまいなく、
すすめられてゆく。

十三夜の月の美しい夜、
入道は源氏を迎えた。

月もよし、
花はまさにわが娘、
せっかくのこの人生の美を、
あなたさまに賞でていただきたいもの。

源氏は、この機会をはずして、
またの折もあろうと思われない。

身づくろいをして夜更けてから出かけた。

車は目立つので、
馬で、惟光だけを連れて出かけた。

周辺の家は、木深く繁って、
浜の邸よりも物さび、
おもむき深かった。

娘のいる一棟のあたりは、
ことさら美しく飾られ、
清らかに掃除ももゆきとどき、
戸口が少し開けられてある。

源氏はそこから静かに入って、
娘の部屋とおぼしいところからかなり離れて、
座を占めた。

「あなたは宿命的なめぐりあい、
ということを信じられますか?
私が須磨に来ず、
あなたが明石に住んでいられなければ、
めぐりあうことはなかった。
大いなるもののおん手が、
あなたと私をたぐり寄せ、
結ばれたのです」

源氏は娘に語りかけるが、
娘はうちとけず、返事もしない。

娘は、自分の気持ちも熟していないのに、
からだだけはこんでいかれるような、
ことのなりゆきを悔しく、
恥ずかしく思っているのだった。

男の言葉にほだされ、
無教養な田舎娘が、
都の男というだけで、
やすやすと身を任せるような、
あさはかなことはするまい、
とかたく思っていた。

源氏は、たくさんの女たちを蕩らした、
やさしい口ぶりで、
言葉を重ね、かきくどくが、
娘はつんとしたままだった。

源氏は不快になってきた。

さりとて、
親の入道が許しているのだからと、
力づくで娘をわがものにするのは、
本意ではない。

田舎紳士ならそうもあろう。

しかし、源氏はそんなやりかたは嫌いである。

もっと若い頃なら、
末摘花の姫君にしたように、
無理に花を手折ることも面白かった。

だが、長い孤独に耐え、
年齢を重ねてきた源氏は、
女の心に興味があった。

女の精神、女の愛を感じ取りたかった。






          


(次回へ)

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