・その一方で、
京に残してきた可憐な人も、
気になってならないとは、
なんという男ごころの不思議であろう。
須磨の浦を越えて明石まで流れてくると、
いっそう紫の君のことが心もとなく、
(どうすればいいのだろう。
いっそ、ここへ迎えようか)
と気弱く思う折もあるが、
(まさか、
いつまでもここにいることもあるまい。
外聞の悪いことはしないでおこう)
と源氏は自制した。
そのころ、都では変事が続いて、
物さわがしく、
人心は動揺していた。
かの嵐の日、
故桐壺院のお姿は、
帝のおん夢にも立たれた。
帝は父院から源氏のことで、
お叱りを受けられた夢をご覧になった。
そのとき院に射るような視線をあてられて、
そのまま、お目をわずらわれた。
太政大臣がこうじられた。
弘徽殿大后が病にたおれられた。
もしや源氏の君を罪なくして、
流浪させたむくいではないかと、
帝はお心弱く考えられた。
明石に秋風が吹くようになると、
源氏はつくづく一人寝がわびしくなってきた。
入道の娘という対象ができると、
無関心でいることはできなかった。
何とか人目につかぬよう、
姫に逢わせてもらえないかと、
入道にいってみた。
実は今になって、
北の方が迷って躊躇している。
いや、内心、入道自身、
(娘をめとってもらって頂けたとしても、
すぐに捨てられるようなことになれば、
可哀そうだし、それならいっそ、
はじめから縁づかない方が・・・)
と、親心は果てしない迷いを重ねている。
しかし、入道は、
ついに決心して、吉日を調べた。
迷っている北の方を無視して、
召使いにも知らせず、
結婚の用意をととのえた。
娘はとんでもないことだと思ったが、
準備は娘の思惑におかまいなく、
すすめられてゆく。
十三夜の月の美しい夜、
入道は源氏を迎えた。
月もよし、
花はまさにわが娘、
せっかくのこの人生の美を、
あなたさまに賞でていただきたいもの。
源氏は、この機会をはずして、
またの折もあろうと思われない。
身づくろいをして夜更けてから出かけた。
車は目立つので、
馬で、惟光だけを連れて出かけた。
周辺の家は、木深く繁って、
浜の邸よりも物さび、
おもむき深かった。
娘のいる一棟のあたりは、
ことさら美しく飾られ、
清らかに掃除ももゆきとどき、
戸口が少し開けられてある。
源氏はそこから静かに入って、
娘の部屋とおぼしいところからかなり離れて、
座を占めた。
「あなたは宿命的なめぐりあい、
ということを信じられますか?
私が須磨に来ず、
あなたが明石に住んでいられなければ、
めぐりあうことはなかった。
大いなるもののおん手が、
あなたと私をたぐり寄せ、
結ばれたのです」
源氏は娘に語りかけるが、
娘はうちとけず、返事もしない。
娘は、自分の気持ちも熟していないのに、
からだだけはこんでいかれるような、
ことのなりゆきを悔しく、
恥ずかしく思っているのだった。
男の言葉にほだされ、
無教養な田舎娘が、
都の男というだけで、
やすやすと身を任せるような、
あさはかなことはするまい、
とかたく思っていた。
源氏は、たくさんの女たちを蕩らした、
やさしい口ぶりで、
言葉を重ね、かきくどくが、
娘はつんとしたままだった。
源氏は不快になってきた。
さりとて、
親の入道が許しているのだからと、
力づくで娘をわがものにするのは、
本意ではない。
田舎紳士ならそうもあろう。
しかし、源氏はそんなやりかたは嫌いである。
もっと若い頃なら、
末摘花の姫君にしたように、
無理に花を手折ることも面白かった。
だが、長い孤独に耐え、
年齢を重ねてきた源氏は、
女の心に興味があった。
女の精神、女の愛を感じ取りたかった。
(次回へ)