・「灯を
灯を
灯をもて」
と帥の大臣(兄君、伊周の君)は、
声を震わせられる
「宮
どうなされました
お心をたしかに」
弟君、隆家中納言も、
動転していられた
灯を
灯を
中宮が意識を失われたまま、
回復なさらない
もっと明るく
もっとこちらへ
明るい灯を
中宮に灯を
足がよろけ、手がまどう
心も目もくれ、
口中は乾きに乾く
中宮がお目を開けられない
お誕生になった新姫宮の、
お産声がかえってまがまがしい
「読経を怠るな
物の怪のせいで、
ひととき心神くれまどうて、
いられるのだ
たゆまず誦経し奉れ!」
隆家中納言は帳の外の僧たちに、
叫ばれる
しかしそのお声は、
悲鳴のようにもきかれる
「若宮をまずおそばから、
お離し申せ!」
「まだ、
まだそのままで・・・」
狼狽なされた帥の大臣のお声、
「まさか、
このままということは・・・」
喜びはつかのまに、
悲しみに変った
御張台の中は、
昼をあざむく明るさ、
灯が近くひきよせられ、
帥の大臣のお腕の中で、
中宮は顔をやや横向けに、
お目を閉じ、
もはやすべてを、
大いなるものに委ね返された、
ようにみえる
黒くゆたかなお髪は、
お産のために一つに結わえられ、
ひとすじの乱れもなく、
枕元に流れているが、
お顔色はお召し物と同じ雪白で、
おん眼窩のくまは、
深くなってゆく
「宮、
お気をたしかに・・・」
といいさして、
帥の大臣は突如、
号泣された
それを待っていたかのように、
室内に嗚咽と号泣の声が満ち、
外の僧たちの読経の声を圧した
若宮が人々の手から手へ、
母君のそばからあわただしく、
もぎとるように拉っし去られる
お誕生のときが、
母君との別れともご存じなく、
お元気に泣いていられる
その声が遠くなる
はや夜半すぎて、
もう寅の刻(午前四時ごろ)
帥どのは声も惜しまず泣かれて、
宮のおそばに体を横たえられた
私は涙が出てこない
あまりの悲しみに、
目は二つの洞窟のようになり、
涙はその奥に凍り付いてしまった
氷柱ごときものが、
目にも心にも刺さり、
光っているだけ、
ふところから懐紙を出して、
目にあてるけれども、
涙は出てこない
中宮を、
帥どのと中納言どのが、
ひしと双方から抱きかかえ、
男泣きに泣いていられる
大姫(長女)の中宮は、
帥どのにとっては、
妹君でいられるけれど、
ご兄弟には光とも宝の君とも、
拠り所になっていらした
私はもう中宮のおそばへも、
近づくこともできない
お身内の方が取り囲まれて、
その間も絶えず、
津波のような読経が、
あたりの闇の中から沸き起こる
女房たちは身をもんで泣く
夢だ・・・夢、
すべては夢
長保二年十二月十五日の夜の、
長い夢
私はあゆむ、
袴に足をとられ、
泳ぐようにあゆむ
泣き叫んでいられた帥どのが、
私をごらんになり、
中宮に向かって、
「宮、
少納言が参りましたぞ
宮、どうか、もう一度、
お声をお聞かせください
少納言
宮にお願いせぬか・・・」
帥どのは伏しまろんで、
お泣きになる
中宮のお顔は、
いまはむしろ安らかに、
おねむりのように見える
お産に全精力を使い果たして、
しまわれたのであろうか、
穢土を出離して彼岸の浄土へ、
み仏の手に抱き取られなすった、
安心であろうか、
あるかなきかの微笑みを、
浮べていらっしゃる
ご臨終とは、
予期せぬ私どもであったが、
中宮ご自身には、
かすかな予感がおありだったのかも、
しれない
お心は最後まで、
いとけない宮たちのことが、
おありだったろうけれど、
何より主上にお目にかかれるたび、
これが最後とお心こめて、
いらしたのではなかろうか
魂が天界へ還られた中宮は、
(面白かった
楽しい人生だったわ)
といわれているような、
まよいのない曇りないお顔だった
そうおっしゃるときのお声が、
いまあざやかに私に聞こえた
(少納言
わたくしはいろんな面白さを、
知ったわ・・・
それを書きなさい
『春はあけぼの草子』に・・・)
私の目に涙が噴き上がる
氷柱が音を立てて溶け、
雪解け水のように、
私の全身を押し流す
しかし私は懐紙を口に含んで、
声を殺して泣く
女房たちはみな、
「お供にお召し下さいませ」
と口々に叫んで、
身も世もなく泣き崩れている
私まで性根を、
取り乱してはならない
隆家中納言は、
母君との最後のお別れをなさった、
姫宮や若宮をそれぞれ乳母に托して、
別室へお移しになる
内裏へ悲しみのお使者が立つ
生昌も泣いている
中納言どのが指図なさるたび、
嗚咽をこらえ、
平手で涙を拭って、
「ハイ、シーッ」
とかしこまりつつ、
板の間に涙をぽたぽた落とす
「宮さま方が、
お誕生あそばされたこの邸を、
私めは一世一代の誇りにして、
おりましたのに、
こういう悲しいことに、
なってしまうとは」
といいつつ涙を拭く
東三条女院(主上の母君)からは、
新若宮のお世話に、
中将の命婦をさしむけられたが、
その接待に私たち女房は、
泣いてばかりいられないのだった
冷静でいなくては
内裏の主上は、
中宮がおかくれになったことを聞かれ、
ご悲慟のあまり、
御張台に籠ってしまわれたきり、
だという
主上のお身分では、
中宮とのお別れのご対面も、
叶わない
でも中宮と主上の魂は、
夜空をかけり、
しっかりとお手をとりあって、
いられるのではなかろうか
中宮の御張台の柱には、
これこそ主上へのお別れの、
お言葉であろう、
お歌がしるされてあった
それを発見されたのは、
帥どのである
(次回へ)