むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

15、大力の女  ②

2021年08月07日 08時32分10秒 | 「今昔物語」田辺聖子訳










・姫君の可憐な泣き声は、
気付くといつの間にか「ク、クク・・・フフフ・・・」
と含み笑いになっていられる。

おれは内心合点した。

(そうか、兄君がなるほど、動じられなかったはず。
竹の節を砕き折るなんて、さしもの力持ちの兄君の君でも、
金づちで砕かなんだら、できることではない。
それをこの姫君は指一本でひねりつぶされた。
この賊め、姫君がその気になられたら、
たちまち押しつぶされるだろう。
また、なんてたいした力持ちだ・・・」

おれがそう思うくらいだから、
賊の男もそう思ったに違いない。

こんな力持ちを相手にしては、
刀で突いても、その前に五体バラバラにされるのが、
落ちと急におじけづいたらしい。

やにわに姫君を捨てて外へ走り出した。
飛ぶように逃げたが追っ手は大勢。

どこまでも追いかけて捕まえ、
光遠のぬしのもとへ連れてきた。

光遠のぬしは、

「お前は何だって人質を放りだして逃げたのだ?」

「追われて逃げ場を失いましたゆえ、
普通の女人のように思うて、人質にいたしました。
こりゃうまくいった、この人質で逃げられると思いましたのに、
あのお方が篠竹を指先でへし折られるのを見ました。
この剛力では腕の一本も折られるかもしれぬと、
急におぞけをふるって逃げました」

光遠のぬしは大笑いされて、

「腕の一本ですむものか。
何ぞ危害を加えてみい。えらいことになるぞ」

「お助けを」

「あの妹はな、この光縁の二倍の力持ちなのだ」

賊の男は、今はものも言えず、わなわなと震えるばかり。

「あれは、あんな風になよなよとして見えるが、
おれがたわむれに腕でもつかむと、
たちまちおれの腕をつかむ。その力の強いこと、
おのずとおれは指が広がって放してしまう。
あたらあんな力持ちが女に生まれたことよ。
男に生まれていれば無双の相撲人になって、
おれのいい相手ができたろうに、惜しいものよ」

そう聞くと賊は生きた心地もなく、
さめざめと泣き出した。

「そんな恐ろしい力持ちのお方とは存じませず、
怖いことを致しました。命だけはお助けを」

「本来なら殺すところだが、妹に怪我がなかったことでもあり、
あべこべに貴様の方が殺される所をあやうく逃げたのだから、
この上強いて殺すには及ぶまい。
これからはおろかなことをするなよ」

「は、はい・・・」

「よく命があったものよ、貴様は」

そういって光遠のぬしはその男を逃がされた。


~~~


・その姫君のその後はって?

よき婿どのを迎えられたが、
その後はとんと力をお示しなさることはなかったそうな。

それだけ幸福で、平和な人生だったということだろうなあ。
仲睦まじく過ごされたというよ。

それはよく想像できる。
かの姫君が、賊に押さえられて泣き声を立てるふりをしながら、
荒い篠竹を折られる時に、たまらず忍び笑いをもらされた。

あのお茶目な可愛さ。

婿どのはきっと、
姫君の大力、剛力を愛されたのではあるまいさ。
あのお茶目な可愛さを愛されたのだろうだからな。

しかし兄者のぬしの言われる通り、女には惜しいもの、
これで見ても、女はわれら男にはうかがい知れぬものを、
秘めているかもしれぬなあ。

草むらの露が光ると思ったら蛍ではなくて、
夏の月が空にあるのであった。


巻二十三(二十四)






          



(了)

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