「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

15、大力の女  ①

2021年08月06日 08時31分54秒 | 「今昔物語」田辺聖子訳










・七月は相撲(すまい)の節のある月である。
都はその噂で湧きかえっている。

当麻蹴速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみすくね)以来、
相撲は人々の愛好し尊ぶ武技、宮中では天覧あって、

「勅すらく、相撲はただ娯遊のみにあらず、
武力を簡練すること最も此の中に在り」

全国から膂力ある士を召し集めて、
宮中で左右に分れてたたかわせられる。

今年はどこのだれが有力そうな、
いやそれもやや老いた、
今年はなにがしという者が強いそうな、
とかしがましい。


~~~


・さるお邸。

戸外に茂る楢の葉の下風も涼しく、夕立のあと、
露の光る玉笹に蛍が明減している。

闇の庭に水音がするのは、
草むらに埋もれた遣り水だろうか。

人々は相撲人の月旦に夢中で、
そのせせらぎも耳に入らぬかのようである。

それよ。
誰が力持ちというて、あの姫にはかなわぬわ。
いやいや、おれの言いまちがいではない。

おれの見た中での、一ばんの力持ちは、あの姫御よ。
優にやさしいおなごの身で、力の強いの、何の。

おれが昔、仕えていたのは、
大井の光遠(みつとお)のぬしという相撲人、
それそれ、その有名な「甲斐の光遠」よ。

短躰で太って足早うて力が強うて、
滅法、相撲が巧うて都で人気があった。

甲斐の国に在ったときのこと。
ある日、お邸にえらい騒ぎが起きた。

人に追われて逃げ込んできた男が、
逃げ場を失うて抜き身を引っ下げたまま、
邸の中を逃げまどい、ついに離れに押し入ってしもうた、

きゃっ!とあがる女の悲鳴。
女童や下女が泣き叫んでこけつまろびつ逃げ出す。

その離れは光遠の妹姫が住んでおられるところ。

「お姫さまが、あの男に人質にとられなさった・・・」

と女たちは泣き叫ぶ。
おれは走っていって光遠のぬしに告げた。

ぬしはあわてもせず、

「人質に?あれを男が?」

というなり、おかしさをこらえかねるように、
にやりと笑みをもらされるではないか。

おれは気が気でない。

「いかがいたしましょう、
賊は刀を抜いてあの離れに乱入しておりますぞ。
姫君に万一のことがありましては」

「騒ぐな、心配することはない」

「と、申しましても・・・」

「なあに、心配するな、
あいつはむざむざ人質に取られるような女ではない。
まあ、そうさな、あれを人質にするというなら、
薩摩の氏長ぐらいが出て来ずば、無理であろうよ」

氏長というのは、
ほれ、天下無双の強力と伝説に名高い昔の相撲人よ。

光遠どのが一向、心配なされる様子もないので、
おれはどういうことかと離れへ引き返し、
戸のすき間からのぞいて見た。


~~~


・初秋のころだったから、
その姫君は薄い綿入れの衣を着ていられる。

年のころは十七、八だが、髪長く色白く、
きわめて美しい方である。

男はというと大きな刀を逆手に持って、
それを姫君の腹に押し当て、
あぐらを組んで後ろから姫君を抱きかかえるように、
引き寄せていた。

姫君は、というと、
右手は男の刀を持った手にやわらかに添え、
左の手で袖ごと顔を隠しつつ、すすり泣いていられる様子。

無理もない。
かよわい女が、怖ろしげな刀を突き付けられ、
取り押さえられているのだから、
女の身としてはどんなに肝のつぶれる思いであろう、
とおれは同情しながらも、うかつに動けない。

昂奮しきった賊は、何をするか、知れない。
「踏み込むと、これこの通り、この女をずぶりといくぞ」

とわめきたてている。
おれはハラハラしながら見守っているばかり。

・・・と、姫君の細い指が、
膝の前の何かをまさぐっていられるのが見えた。

床の上に、矢を作る篠竹の粗削りしたばかりのが、
二、三十本、散っていたのを姫君は拾い上げていられる。

何をなさるのかと思えば・・・
片袖で顔をおおい、可憐な泣き声を立てつつも、
白い細い指は、荒竹棒を取りあつめ、
それを板敷に押し当てて、みしみし、ばりばりと、
へし折りなさる。

まるでやわな朽ち木を砕くように、
細い指で、竹の節を、もろくへし折り、
ひねりつぶされるではないか。

いや、おれも驚いたが、
賊の男も目を丸くして、見つめてしまった。






          


(次回へ)

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