「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

11、明石 ③

2023年09月27日 08時23分21秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・明石の浦の風趣は、
なるほどかねて聞いていたように、
美しかった。

ただ、人の往来の多いのが、
源氏の本意にそむいたが、
入道の領地は海辺にも山手にもあって、
よく手入れされ、
いかにも富裕な土地の長者のたたずまいである。

風流な波打ち際の苫屋が作ってあり、
荘厳な念仏堂もあり、
更には倉もあって、
不自由ない暮らしを入道はしている。

源氏が舟を下りるころ、
日がようやく昇った。

入道は源氏をほのかに見て、

(なんと美しいお方だろう。
こんな高貴な美しい方を、
わが家へお迎えできたとは)

と心をこめて世話をする。

高潮を怖れて、この頃、
娘や北の方は山手の家に移っていたので、
源氏はこの浜辺の邸で、
ゆっくり暮らせるのだった。

この住居は都の貴族のそれに劣らなかった。
明石は須磨より明るく、
住みやすかった。

源氏は少し心落ち着いてから、
京へ手紙を書いた。

源氏がまず書くのは、
藤壺入道の宮にあててである。

九死に一生を得て、
亡き父院に助けられたことなど、
語り続ける相手は、
まず入道の宮であった。

大雷雨のすさまじさ、
つい近くで落雷を見た恐ろしさ、
それらを書きつづって宮に甘えたかった。

紫の君への手紙には、
彼女を心配させるようなことは、
書かなかった。

こんな恐ろしい目にあうのだから、
やはり伴わなくてよかった、
と思うものの、
明石へ移ってから更に遠ざかった、
と思うと恋しさは堪えがたい。

惟光たちもまた、
それぞれの家族にあてて、
便りを托した。

空は今はすっかり晴れて、
漁師たちも漁に出かけてゆく。

明石の入道も、
源氏から見ると、
気持ちのよい人柄だった。

仏道修行に専念している、
さっぱりとした気性の上品な老人だった。

六十くらいで、
清らかに痩せている。

生まれがよいのか、
態度も心ざまも高雅にゆかしかった。

ただ、この入道、
清らかな仏弟子の生活を送りながら、
こと娘に関するかぎり、
俗世の執着をむきだしにするのを、
源氏はおかしく思った。

入道は源氏に娘のことを、
しきりにほのめかす。

源氏はかねて美女だと聞く入道の娘に、
ふと心動くことはあるものの、
いまの境遇では考えられないことだった。

それに都では紫の君が、
源氏の帰りを待ちわびている。

あの可憐な君のことを思うと、
とうてい裏切ることは出来なかった。

それで源氏は、
かりにも入道の話に乗るさまは、
見せなかった。






          


(次回へ)

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