「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

15、絵合 ③

2023年10月27日 08時34分46秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・主上に献上すべく、
紫の君と絵を選んだ源氏。

あの須磨・明石の絵日記を取り出して、
よい機会なので紫の君に見せた。

あわれ深い絵のおもむきである。

源氏にとっても紫の君にとっても、
逢えなかったあの歳月の苦しみは、
生涯忘れられぬ悲しい記憶だった。

源氏が京を去る日の別れ、
嵐の日々の恐ろしさ・・・

須磨の絵日記を見ると、
紫の君は、あのころのことが思いだされて、

「どうして今までお見せ下さらなかったの」

と怨む。

「こんな絵を見れば、
よけいあなたは淋しくなると思ってね、
あなたには見せなかったのだ」

源氏の耳に、海の潮騒、雁の鳴く声が今も残る。

あのすさまじくも物悲しい海辺に、
とても可憐な人を住ませられなかった。

流浪の辛苦も一人で堪えて、
紫の君に、その辛さを味わわせたくなかった。

愛する紫の君は、
浮世の雨風に当てず、
ひたすら大事にして庇いたいのである。

しかし、継母・藤壺女院には、
わが越し方のさまざまを打ち明けたい。

女院にはぜひこの絵日記を差し上げたい、
と源氏は思う。

女院との長い、そして深い心の交流の歴史が、
そう思わせるのであろう。

須磨での蟄居中、
源氏は贖罪の精進生活に明け暮れた。

その罪悪感を共有するのは女院しか、
いられない。

あざやかに描かれた、絵日記の、
ことに出来のよいのを、
女院に献上すべく源氏は選びながら、
明石のひとはどう過ごしているかと、
ひそかに思う。

源氏が絵を集めていると聞いて、
権中納言も負けじと絵巻物の、
制作に夢中である。

三月十日ごろ、
空もうららかにたのしげな季節。

御所でも三月は行事のないときなので、
人々は暇をもてあまし、
絵の比べ合いなどに打ち込んで日を過ごしている。

「同じことなら、
帝がよりいっそう興深く、
思し召すようにしてさしあげよう」

と源氏は思いつき、
気を入れて絵巻物を集めた。

弘徽殿方、梅壺方、
どちらもさまざまな絵を集めていられる。

藤壺女院も御所にいられるころで、
あれこれ絵をご覧になって、
もともとお好きなこととて、
勤行も怠りがちになられるほどだった。

源氏は御所へ参内して、
絵についてのさわぎを面白く思った。

「同じことなら、
主上のおん前で勝ち負けを決めたらどうだ」

といったので、
ますますおおがかりなことになった。

源氏は、こんなこともあろうかと、
ことに立派な名作は手もとに残しておいたのだった。

今度の絵合わせには、
それらに加えて、
須磨・明石の絵日記二巻も入れた。

権中納言のほうも、負けてはいない。
いよいよ督励して、絵を集めさせた。

「今度の絵合わせのために、
新しく描くのはつまらないことだ。
手持ちの絵で勝負しましょう」

と源氏が言うのだが、
権中納言は、秘密の部屋を作らせ、
ひそかに描かせていた。

梅壺(斎宮の女御)が勝つか、
弘徽殿(権中納言の姫君)が勝つか、

それはやがてそのままに、
女御方の地位の象徴のように、
世間は見るであろう。

負けられない、と、
女御方の庇護者たちが挑みごころを持つのも、
むりからぬことなのであった。






          


(次回へ)

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