むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

2、ああせいこうせい ②

2022年06月19日 08時20分41秒 | 田辺聖子・エッセー集










・しかし考えてみると、
大変な時代だったから、
かえって生きのびられた、
ということもある。

闇市で焼け残りの着物を売ろうが、
ボロを着ていもの買い出しにいこうが、
誰も嗤うものはない。

みなそれぞれが、
生きのびるのに必死で、
互いに人目を気にするひまもなかった。

また女親だから、
きりつめて節倹できたということもある。

母と子の生活は、
どんなにしてでも食いつなげるものだった。

男なら家の外に息抜きもほしかったろうし、
酒、煙草などのささやかななぐさめも要ったろう。

しかし女は、子供とラジオ、
(テレビはまだない。
ラジオも壊れかかったもので聞き取りにくい)
でも聞いて笑っていれば、
たやすく充足できるのだった。

男はそんなわけにはいかない。
男というものは、お金のかかる種族なのである。

女の方がお金を食うと信じている男は多いが、
ギリギリのところへくれば、
女ほどお金のかからぬ種族はない。

そんなわけで無一物、
焼け出されの女所帯は、やりくりしつつ、
私たちはみな、お袋に学校を出してもらい、
次々勤めに出るようになった。

人生は綱渡りの連続であるが、
この時はよく渡り切ったとつくづく思う。

私のお袋だけではなく、
あの大戦で、夫を戦死させたり、
空襲で失ったりしたあの当時の妻たち、
何十万何百万の女たちが、
きっとそうやって生きのび、
子供を一人前にしてきたのだろう。

本当に母というのは強いものである。

これがあべこべに妻が死に、
夫たちが子供を育ててゆかねばならないとしたら、
それだけの底力を発揮して、
綱渡りが出来ただろうか。

私は大いに疑わしいと思わざるを得ない。

またそれだけにお袋はしっかりしていて、
強い個性を持ち、号令をかけて、
一糸乱れず統率するのが好きなようである。

私が結婚して家を出たので、
お袋は電話で指図してくる。

先日も言い合いをしたというのは、
次のようなわけである。

時々、仕事の電話がお袋の方へかかる。

もう十年も前にお袋のマンションを私の仕事場としていたが、
古い住所録にまだ載っているとみえて、
テレビ局がそちらへ電話してくる。

テレビ出演だ、講演だ、などという話である。
私はどちらもやらない。

お袋に、

「断ってくれたんでしょうね」といったら、

「タマには出たらええやないの、
着物はほら、あの去年つくったのを着て・・・」

よけいなお世話だ。

「出ないといったら出ないわよ!アタシ」

「せっかく頼んではるのに、
タマにはテレビに出て、老い先短いお母ちゃんに、
『今朝、ウチの娘、テレビに出てますので』
と友達にいわせてもええやないのっ!」

こういう時だけ「老い先短い」というのである。

「そんなこと別に言い広める必要ないやないの」

「そやけど、この頃、どないしてはります?
活躍してはりますか、という人もあるし」

私はなるべく目立たないように生きるのがいいと思うので、
人にそれぐらいに思われるのが丁度いいのだ。

「何でもいいけど、勝手に決めないでよ、
アタシ、テレビラジオは一切、出えへん、
と決めてるんやから!」

「ほんまに可愛げない子や、セイコは!」

お袋は憤然と叫ぶ。






          


(次回へ)

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