・しかし考えてみると、
大変な時代だったから、
かえって生きのびられた、
ということもある。
闇市で焼け残りの着物を売ろうが、
ボロを着ていもの買い出しにいこうが、
誰も嗤うものはない。
みなそれぞれが、
生きのびるのに必死で、
互いに人目を気にするひまもなかった。
また女親だから、
きりつめて節倹できたということもある。
母と子の生活は、
どんなにしてでも食いつなげるものだった。
男なら家の外に息抜きもほしかったろうし、
酒、煙草などのささやかななぐさめも要ったろう。
しかし女は、子供とラジオ、
(テレビはまだない。
ラジオも壊れかかったもので聞き取りにくい)
でも聞いて笑っていれば、
たやすく充足できるのだった。
男はそんなわけにはいかない。
男というものは、お金のかかる種族なのである。
女の方がお金を食うと信じている男は多いが、
ギリギリのところへくれば、
女ほどお金のかからぬ種族はない。
そんなわけで無一物、
焼け出されの女所帯は、やりくりしつつ、
私たちはみな、お袋に学校を出してもらい、
次々勤めに出るようになった。
人生は綱渡りの連続であるが、
この時はよく渡り切ったとつくづく思う。
私のお袋だけではなく、
あの大戦で、夫を戦死させたり、
空襲で失ったりしたあの当時の妻たち、
何十万何百万の女たちが、
きっとそうやって生きのび、
子供を一人前にしてきたのだろう。
本当に母というのは強いものである。
これがあべこべに妻が死に、
夫たちが子供を育ててゆかねばならないとしたら、
それだけの底力を発揮して、
綱渡りが出来ただろうか。
私は大いに疑わしいと思わざるを得ない。
またそれだけにお袋はしっかりしていて、
強い個性を持ち、号令をかけて、
一糸乱れず統率するのが好きなようである。
私が結婚して家を出たので、
お袋は電話で指図してくる。
先日も言い合いをしたというのは、
次のようなわけである。
時々、仕事の電話がお袋の方へかかる。
もう十年も前にお袋のマンションを私の仕事場としていたが、
古い住所録にまだ載っているとみえて、
テレビ局がそちらへ電話してくる。
テレビ出演だ、講演だ、などという話である。
私はどちらもやらない。
お袋に、
「断ってくれたんでしょうね」といったら、
「タマには出たらええやないの、
着物はほら、あの去年つくったのを着て・・・」
よけいなお世話だ。
「出ないといったら出ないわよ!アタシ」
「せっかく頼んではるのに、
タマにはテレビに出て、老い先短いお母ちゃんに、
『今朝、ウチの娘、テレビに出てますので』
と友達にいわせてもええやないのっ!」
こういう時だけ「老い先短い」というのである。
「そんなこと別に言い広める必要ないやないの」
「そやけど、この頃、どないしてはります?
活躍してはりますか、という人もあるし」
私はなるべく目立たないように生きるのがいいと思うので、
人にそれぐらいに思われるのが丁度いいのだ。
「何でもいいけど、勝手に決めないでよ、
アタシ、テレビラジオは一切、出えへん、
と決めてるんやから!」
「ほんまに可愛げない子や、セイコは!」
お袋は憤然と叫ぶ。
(次回へ)