・私の思い上りを打ち砕く要素の二つめは、
私には、女流作家の自我を必要とするような、
崇高、高邁なる仕事はあまりまわってこぬ、
ということも考えられる。
たとえば、この間、
私は温泉めぐりの取材をたのまれた。
私は温泉好きであるから、
二つ返事で引き受けた。
しかもどなたでもよい、
お二人でいらして下さい、というのだ。
ただ、旅の見聞記を私はあとで書くことになっている。
打ち合わせに東京からやってきた熊谷青年は、
「もし、何やったら、
僕も世話係として随行いたしますが、
しかし、せっかくのことではあり、
ご主人とお二人でいらしたら、いかがでしょう」
といってくれた。
行き先も大阪近郊で便利がいい。
近畿には温泉の湧くところが多い。
神戸市内に有馬温泉があるのは知られているが、
私の家から1キロ足らずのところにも、
天王谷温泉という温泉があり、
いうなら、神戸市兵庫区の自宅から下駄ばきで、
温泉に入れるのである。
これは本物の温泉で銭湯ではない。
尤も、取材を頼まれたのは、
神戸市の温泉ではない。南紀のほうである。
「じゃ、お二人でいらっしゃいますね?
僕は行かなくていいですね?」
と熊谷青年は念を押し、
そうすると私は、
何だか熊谷青年が行きたがっていたのを、
邪魔したような気がしてくる。
「いやいや、そういうことはないです。
たまにはご主人とお二人で旧婚旅行でもされたほうが、
明日への活力になります。ハッハハハ」
と熊谷青年はひやかした。
この頃の青年に、目上、年上といった人々に、
物怖じがないのは特徴である。
「ただですね、
この温泉の売り物の一つは、
風呂が宙に浮いてるんです」
「空中展望台というような温泉が、ありますね」
私は最上階の四方ガラス窓の温泉を想像した。
「いや、何といいますか、
足が地についていない温泉です。
つまりロープウェイというのがありますね」
「あります、あります」
「それに湯が入っているのです。
ケーブル風呂といいますか」
「お湯はどうやって入れるんでしょ」
「さあ、僕も行ったことがないので、
よく判らんのですが」
と熊谷青年は頭をかいた。
「そこを一つ、取材して頂いたら、と思います。
ケーブル風呂に漬かって
太平洋の日の出を見て頂いたらと思います」
「ふ~ん」
と私はいったが、
ロープウェイの中に湯を入れたら、
こぼれてしまいはせぬか、
ハダカで乗るとする、着いた地点へ下りたとき、
服はどうなるのであろう、
着地点はヌーディストのたまり場となっているのであろうか、
と疑問は雲のごとく湧き上がる。
そうして、そういう珍しい取材へ、
夫と同行できるのを喜んだ。
日が決まると熊谷青年から、
切符やパンフレットなど送ってくる。
夫の分と二枚ある。
今までは、取材に夫がついてくるときもあったが、
そういうときは、仕事のあるのは私であるから、
自然、夫はお付き武官風、
あるいはボディガード風になる。
それに戦中派男の夫として、
面白からぬことであるに違いない。
かつまた、私に来る手紙には、
「末筆ながらご主人によろしく」とあり、
共通の友人たちも、それで片づけることが多い。
夫は自分のことを「ミスター末筆」と呼び、
いい気はせぬようである。
しかし、こんどの旅行は、取材旅行といっても、
二人きりであるので、人に気がねせず、
夫を立ててやれるであろう。
夫を立てて大切にするかのごとく見せかけておくと、
自分が生きやすいからである。
何でも自分が目立って支配しよう、画策しよう、
とすると面白いかもしれないが、
疲れるであろう。
私は自分の三畳の仕事場で、
自我の定期券を出して仕事をしているときは、
いやでも応でも自分でしないといけないので、
あとの部分は、欲はないわけである。
当日は快晴であった。
土曜の午後から出かけて、
すでに四時すぎには、南紀の温泉に着いた。
駅には広告があった。
「驚異の宇宙風呂!世界初の快温泉!」
この驚異の宇宙風呂というのは、
そのホテルのうたい文句らしくて、
駅には私を出迎える旅館の人がいたが、
その手にもった旗にもそう染め抜いてあった。
その人は、ごま塩あたまのおじさんであったが、
法被を着ていた。
法被の襟にも、その文句が染めてある。
そうしておじさんは、胸元に、
「浜辺先生おむかい」と書いた紙を持って立っていたが、
法被の襟がそこへかぶさって、
ちょうど「驚異の浜辺先生」と読める。
私は「驚異の浜辺先生おむかい」
のおじさんの所へ行って挨拶した。
(次回へ)