・このあいだ、私は母と電話で言い合いをした。
母は七十六で、いまだにマンションでひとり住み、
いろんな習い事をし、交際好きで旅行好き、
(ヨーロッパは三べん、アメリカ、ハワイにも出かける)
目も見え、耳も聞こえ、足も達者、口も達者、という、
かくしゃくたる意気さかんな老マダムである。
そうしていまだに私に、
「ああせいこうせい」と命令を下す。
私の仕事のことにまで口を入れる。
私は昔はともかく、
こちらも中年過ぎているのだから、
とりあわない。
私が「女の長風呂」というエッセーを書いたのは、
もう十年も前であったが、
その時もお袋は人から、
こういうことが書いてありました、
と聞いたとみえ、さっそく、
「恰好わるい、もう町を歩けない、
ヘンなものを書かないでほしい」
と電話で怒鳴りこんできた。
出版社は私の本の広告に、
「エロチック・エッセー」なんて書いていたから。
なに、そういう仰々しいものとちがう。
私のはそんなお色気なんか、
ありはしない。
ほんのちょっとやわらかめ、
というだけである。
しかしお袋にそんなことをいっても通じない。
新聞に私の笑ってる写真が載った。
「口の開け方がわるい」と怒ってきた。
「もっとましな写真あれへんのかいな」
私はタレントではないのだから、
写真なんかどう写されようといい、
と言い返す。
(本当はきれいにとられた写真の方がいいのであるが、
その本音をいうのはいさぎよしとしない。
見栄ががある)
また新聞の写真は、
ことにぞんざいにとられた写真が載るような気がする。
自分で見ても女詐欺師みたいに写っている、
と内心クヨクヨしているのであるが、
お袋にいわれると腹が立つわけである。
お袋は私が、
「文車日記」など書くと、ご機嫌がいい。
「ああいう本なら品もよくて、
ひと様にもおつかいものに出来る」
お中元の石鹸なみにいう。
私がお袋の権威に服していたのは、
せいぜい結婚までであった。
それでも結婚が遅かったから、
かなり長いことお袋といた勘定になる。
結婚相手に係累が多い、というので、
お袋は結婚に大反対であった。
私はまだ芥川賞をもらったばかりで、
仕事が忙しくなり、
どうでも結婚したいというのではなかったが、
お袋に反対されると、してもよい、
という気になった。
そのころ美空ひばりが小林旭と結婚して、
たしか二年くらいで離婚したが、
小林旭がくやし泣きに泣いているニュース写真があり、
事情はわからぬながら、
美空ひばりはどうやら夫より母親をとったようである。
人それぞれとはいうものの、
私ならお袋より夫をとるなあ、
と思ったりした。
そう思うのは、
それだけお袋と私のつながりが強固だったので、
その反動かもしれない。
弟も妹も結婚して家を出ていたから、
私はお袋と二人暮らし、
物を書く女にとって、
これほど最適の環境はないわけである。
男性作家が、
奥さんに家事を任せて仕事に専念されるように、
独身の女の物書きはお袋に家の雑用を任せて、
奥さんがわりに使うのが一番便利なのだ。
しかし私は、
そういう生活より夫をとった。
夫との生活の方が「展望」がきくし、
面白そうだったからで、
その辺からお袋コンプレックスを脱しはじめた。
なんでそう密着したかというと、
私の家は昭和二十年以来母子家庭で、
終戦の年の十二月に父が死んで以来、
あの敗戦後の混乱時代を、
四十になるやならずのお袋が三人の子供を、
育ててくれたのだ。
六月の空襲で家は焼けて身一つであった。
焼け跡で戦災者母子が生きのびるだけでも、
たいへんな時代だったのだ。
(次回へ)