・五月の連休に私はバリ島へ行ってきた。
この旅は一機チャーターして団体でくりこむので、
百八十人という総勢である。
一泊はマニラ。
バリ島は二泊である。
マニラの気候はむし暑く湿気が多かった。
バリ島のデンパサール空港に下り立ったとき、
私はよみがえったような気がした。
見わたす地平線に森や林の黒い影があり、
夕焼けは空半分を染めている。
高い建物がないので、のんびりと広がった空である。
バスは走り出した。
この田舎の空港から島いちばんの大きい町、
デンパサールまで三十分ばかりの道のり。
ホテルのある海岸のサヌールは町からさらに二キロある。
空は明るみを残して暮れてゆく。
田んぼが続き、
小さな集落に入るとあちこちにオレンジ色の灯が家々についている。
バリはデンパサールとサヌールだけ電気があって、
あとは石油ランプ。道ばたの暗い小川で、
男や女がアヒルと共に水浴していた。
ぼってりと夜目にも白い花をつけた木々が村々を囲み、
ジャスミンに似た芳香が涼やかな夜風にのって流れてくる。
・この景色はいつかどこかで見た。
十年前に旅したカンボジアだと気づいた。
私はカンボジアこそ、地上の楽園だと十年前思ったが、
今のカンボジアは荒廃し、閉ざされた国になってしまった。
カンボジアを訪れたのは一月。
雨季明けで空は澄み、日差しは暑かった。
バリ島も暑いが、マニラの湿気はなく肌に心地よい。
ヒンズー教の島なので、
お寺にも町にも怪異な石の守護神があふれていて、
花が捧げられている。そんなところもカンボジアに似ている。
私は偶像崇拝が好きであるが、
神々に朝な夕な花と水を献する人間の暮らしが好きである。
このバリ島には二百五十万人が住むというが、
青い穂波が続いているいかにも肥沃な土地であったが、
米は豊富に得られそうであった。
人々は町でも農村でもよく働いていた。
マニラでは何をするということなく、ズボンのポケットに、
両手を突っ込んでブラブラしている若者をたくさん見た。
犬と子供がどこにも満ちあふれ、
神々の像はブーゲンビリアとハイビスカスの花々に包まれ、
馬車が鈴の音を鳴らしながら走る。
この馬車は、
市場へ買い出しに行った人のタクシー代わりのようだった。
人々の表情にあるのは無心のあどけなさである。
食べるときも働くときも一生懸命である。
女たちは頭上にものを戴いて歩く。
私たちとすれちがう時、頭は動かさないが視線だけ横へ流す。
私はこの島のすべてが気に入った。
・カンボジアでは政変で五十万人が虐殺されたという。
人間はすべて暗愚であり、救い難く魯鈍である。
神はカンボジアといいバリといい、楽園を作られたが、
そこに住む資格はまだ人間にはない。
しかし、ヒンズー教の像を見ながら考える。
ヒンズーの悪神、ランダは楽園に善意の人々が、
無心のあどけなさで素朴に暮らしているとき、
言い難い悪意をかきたて、
加虐的な欲望をそそられるのではあるまいか。
カンボジアの悲劇は神々の鍾愛あまり深かったため、
悪神が魅入ったというようなものかもしれない。
(1976年、6月)