むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

4、黄金の湿気

2022年01月21日 09時22分16秒 | 田辺聖子・エッセー集










・南海洋上に点々と浮かぶ奄美の島々。
あの緑の宝石のごとき島々。

一番大きい真ん中の宝石「大島」に一歩降り立って包まれるのは、
湿気の重さである。明るい陽光はむなしくけだるく、
肌を焼く陽の暑さと、目くらむ陽光、ぼってりと汐じめりした湿気。

人はそこで決して軽躁になることはない。
解放的になることはない。
人なつこく陽気になることもない。
声は高くなることもない。

高いのは潮騒と、アダン、芭蕉の葉ずれの音のみ。
夏は熱い湯のような雨が降り、
汐じめりした洗濯物をさらに湿らせる。

陽光は烈しいのになぜ乾かないのか?
関西育ちの私は厭わしくてならなかったが、
やがて馴れるにつれ、あの物狂おしい湿度に、
偏った嗜好を覚えるようになった。

山々の緑は濃いいが、それは松や雑木、アダンでおおわれ、
貧しい山とわかる。ガジュマルは涼し気な枝を垂らして、
日よけカーテンとなるが、建築用材になるものではない。

土は痩せ、烈しい日ざしは野菜を枯らし尽くす。
落花性やにんにくといったものだけがわずかに採れる。

人々は蘇鉄の実を入れた味噌を作り、
塩漬けのにんにくを食べ、肌の色の濃い魚を味噌で煮て食べる。

透明な強い焼酎が座をまわり、
男も女もそれを回し飲みする。

人々は小柄で、がっしりと肩や腰の張った体格、
濃い眉に日に焼けた肌、
南海の陽光は人々からぜい肉を奪い、哄笑を奪う。

彼らは口ごもり、目をそらせ、含み笑いをする。
その人々の向こうに青い海があり、
白く光る珊瑚の死骸が貝殻のように散らばっている。

海風はアダンの林を吹き抜けてゆく。
夏の台風は貧しい村からさらに何かをむしり取ってゆき、
いっそう貧しくする。

人は台風に備えて、大地にしがみつくような屋根の低い家を建て、
屋根には瓦の代わりにトタンを打ちつけてコールタールを塗る。

そうして凄絶な貧しさを血で飾るように、
ハイビスカスやブーゲンビリアの花がいっぱい咲き乱れる。

南西諸島への旅を誘う決まり文句に、

「明るい南の島・・・素朴な人情・・・陽気な蛇皮線と手踊り、
海の幸と南の果物・・・珊瑚礁に砕ける白い波」

とあるが、私の感じたのは限りない暗さである。
外来者に心開かぬ村人は、じりじりと陽光に焼かれて、
口をつぐんだまま背中を見せて歩く。

木かげの草むらをゆく時は、自棄的な恐怖で、
草を棒で突きつつ歩む。毒蛇は頭上にからみついて、
下を通る人間をねらうこともある。

ハブは珊瑚の化石の石垣の穴にとぐろを巻き、
夜になると庭を横切り、アダンの林に消える。

人は口少なに焼酎を飲む。
時によると、旅人が村人の身内であることもある。

その時、やっと安心して、心を開き歌う。
言葉はほとばしり、力強く説得力を持つ。

指笛(ハト)の鋭い響きが海にひびく。
人々は歌う。

風よ
物憂い湿気よ
無惨な陽光よ
母権の島
祝女(のろ)の島よ


(1977年 8月)






          


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