・南海洋上に点々と浮かぶ奄美の島々。
あの緑の宝石のごとき島々。
一番大きい真ん中の宝石「大島」に一歩降り立って包まれるのは、
湿気の重さである。明るい陽光はむなしくけだるく、
肌を焼く陽の暑さと、目くらむ陽光、ぼってりと汐じめりした湿気。
人はそこで決して軽躁になることはない。
解放的になることはない。
人なつこく陽気になることもない。
声は高くなることもない。
高いのは潮騒と、アダン、芭蕉の葉ずれの音のみ。
夏は熱い湯のような雨が降り、
汐じめりした洗濯物をさらに湿らせる。
陽光は烈しいのになぜ乾かないのか?
関西育ちの私は厭わしくてならなかったが、
やがて馴れるにつれ、あの物狂おしい湿度に、
偏った嗜好を覚えるようになった。
山々の緑は濃いいが、それは松や雑木、アダンでおおわれ、
貧しい山とわかる。ガジュマルは涼し気な枝を垂らして、
日よけカーテンとなるが、建築用材になるものではない。
土は痩せ、烈しい日ざしは野菜を枯らし尽くす。
落花性やにんにくといったものだけがわずかに採れる。
人々は蘇鉄の実を入れた味噌を作り、
塩漬けのにんにくを食べ、肌の色の濃い魚を味噌で煮て食べる。
透明な強い焼酎が座をまわり、
男も女もそれを回し飲みする。
人々は小柄で、がっしりと肩や腰の張った体格、
濃い眉に日に焼けた肌、
南海の陽光は人々からぜい肉を奪い、哄笑を奪う。
彼らは口ごもり、目をそらせ、含み笑いをする。
その人々の向こうに青い海があり、
白く光る珊瑚の死骸が貝殻のように散らばっている。
海風はアダンの林を吹き抜けてゆく。
夏の台風は貧しい村からさらに何かをむしり取ってゆき、
いっそう貧しくする。
人は台風に備えて、大地にしがみつくような屋根の低い家を建て、
屋根には瓦の代わりにトタンを打ちつけてコールタールを塗る。
そうして凄絶な貧しさを血で飾るように、
ハイビスカスやブーゲンビリアの花がいっぱい咲き乱れる。
南西諸島への旅を誘う決まり文句に、
「明るい南の島・・・素朴な人情・・・陽気な蛇皮線と手踊り、
海の幸と南の果物・・・珊瑚礁に砕ける白い波」
とあるが、私の感じたのは限りない暗さである。
外来者に心開かぬ村人は、じりじりと陽光に焼かれて、
口をつぐんだまま背中を見せて歩く。
木かげの草むらをゆく時は、自棄的な恐怖で、
草を棒で突きつつ歩む。毒蛇は頭上にからみついて、
下を通る人間をねらうこともある。
ハブは珊瑚の化石の石垣の穴にとぐろを巻き、
夜になると庭を横切り、アダンの林に消える。
人は口少なに焼酎を飲む。
時によると、旅人が村人の身内であることもある。
その時、やっと安心して、心を開き歌う。
言葉はほとばしり、力強く説得力を持つ。
指笛(ハト)の鋭い響きが海にひびく。
人々は歌う。
風よ
物憂い湿気よ
無惨な陽光よ
母権の島
祝女(のろ)の島よ
(1977年 8月)