・ここ二、三年、私は正月を海外で過ごすことにしている。
所帯を持って十数年、毎年、正月におせち料理をしたり、
雑煮を作ったり、来客を迎えたりしていた。
娘たちに晴れ着を着せてやるのも楽しみであり、
彼女らにおせちや雑煮の仕方を覚えさせるのも楽しみであった。
しかし、今思うとあれは若さの最期の輝き、
つまり、まだ健康がそこばくはあったせいなのだ。
五十近くになって、くたびれてしまった。
平生が全力疾走の生活なので、正月も別の形で疾走し続けていると、
疲れがはげしい。
そのうち、子供たちも正月には家に居つかなくなって、
正月はタダの休暇になってしまった。
その頃から健康に自信がなくなり、
一年の疲れが年末にどっと来るようになった。
平素の運動不足がたたって、健康は落ちるばかり。
この運動不足も私の側に言い分はあって、
あまりお日さんに当たったり運動すると、
いい加減断ち切れそうな細い創作意欲の糸が、
よけい断ち切られてしまいそうな気がする。
青空の下、ジョギングやゴルフをやると、もういけない。
書く気なんか失せ果てる。
不健康な生活で、もぞもぞしている、
そうすると一年の終りに疲れ果ててしまう。
・年末年始の休暇に、ハワイと台湾を選び、
一昨年、昨年と行った。ハワイはパックであったが、
台湾は古い友人がいるからという理由。
ハワイはいつ行っても休暇ムードの島で、
開放感あることは日本で味わえない楽しさであろう。
空や海の自然もいいが、ハワイで働く人がまたいい。
抑え手のないまま、ぬ~っと大きくなったという、
野放図もない感じがまたいい。
更にいうと、風のよく吹き抜けるムームーという、
南海の楽園風な衣服もいい。貝のネックレス、
徹底的にナマケモノになるのを許される気分があり、
あたまのネジはゆるみっぱなしになるのもいい。
それとは別に、台湾の休暇も楽しい。
台北と新竹で遊んだが、町は戦前の大阪風で楽しかった。
正月は龍山寺にお参りして、故宮博物館へ行ったら、
正月で入館料はタダだった。
この町では高級ホテルではなく、
町なかのホテルに普通に泊りたい。
ちょっと出て、おいしいラーメン屋台で食べるとか、
道ばたで「かきたま」と私は名づけているが、
カキに卵をぶっかけ、香菜を散らした熱々のものを食べるのがよい。
「百貨行何処?」と紙に書いて道行く人に見せると、
人々は英語交じりで教えてくれる。
台北は騒々しくなっていて、
むしろ台中が私には京都のようにみやびやかないい町に思える。
台北を汽車で郊外へ出ると、美しい田園風景が広がり、
日本とは違う。これこそ夢の島、蓬莱の島なのか。
台湾の東海岸からは勾玉が出土するのも不思議である。
台湾玉の勾玉で、あきらかにこの島で制作され用いられたもの。
「魏志倭人伝」の、あの数ある国のどれか一つがこの島に、
当たるに違いない。
私は新竹の大きな食べ物屋台の喧騒の中に身をおいて、
古代の南海諸島の港の賑わいを思いやる。
私にとって休暇の地は台湾がしっくり身に合う。
好きな土地のようだ。
こういう少しごみごみした、もぞもぞした、もやもやした土地の方が、
「顔を洗うて書く」小説家でない私にぴったりする。
(1980年・1月)