むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

8、宿木 ⑪

2024年06月08日 08時23分29秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・薫は、
嬉しさ悲しみ交々というところ。

中の君が子まで生したら、
いっそう自分の手の届かぬところへ、
いってしまうのではなかろうか、
宮のご愛情もいよいよ勝るであろうし、
嫉妬を覚えつつも、
また後見役としては、
中の君の幸福を喜ばずには、
いられない、
複雑な思いであった。

そのうち薫の婚儀の日が近づいた。

二月二十日過ぎ、
女二の宮の御裳着の式があり、
その翌日が薫との結婚式。

裳着は盛大に行われたが、
結婚式は内輪に控えめに行われた。

大事にかしずかれていられる姫宮に、
臣下の者が婿として連れ添う、
というのは姫宮側からみれば、
物足りなくもお気の毒に見える。

そういえば帝の御婿になる人は、
昔も今も多いが、
今度のように帝がご在位中の、
盛りの御代にまるで、
臣下の結婚と同じく、
婿取りを急がれた例は、
少ないのではあるまいか。

「薫は運の強い男だな」

と夕霧右大臣は、
夫人の落葉の宮(亡き柏木の夫人)に、
いうのである。

「亡き父の六條院(源氏)ですら、
女三の宮を迎えられたのは、
朱雀院ご晩年の、
ご出家のきわだった。
まして私など周囲の反対を押し切り、
あなたを強引に拾い上げた、
という次第だから、
えらい違いだ」

結婚三日目の夜は、
内々の披露宴がある。

女二の宮の母方の縁戚、大蔵卿、
帝が後見役とお決めになった人々や、
家の家司にご下命があって、
薫の供の者たちに、
お祝儀を賜った。

かくて薫は花婿として、
忍び忍びに宮中へ通う身となった。

帝の御婿とは、
いかにも晴れがましい名誉なのに、
薫はわが身の宿命に呆然とするばかり。

(ああ、この結婚が、
大君とのものであれば、
どんなに嬉しいだろう)

そう思うと、
昼間は物思いにふけり、
暮れれば進まぬ心を、
無理に引き立て気の張る宮中へ急ぐ。

ならわぬ心地が、
おっくうで苦しく、

(宮をこの邸へ、
お引き取りしよう)

という気になった。

母宮、女三の宮は、
薫が結婚したことを、
たいそう喜ばしく思っていられる。

今まで住んでいられた寝殿を、
女二の宮にお譲りしましょう、
といわれたが、
薫は、

「それは恐れ多いです、母上」

と寝殿の西に母宮の御殿を建てた。

自分と女二の宮の新居は、
寝殿の東に定めた。

こんな薫の心づもりを、
帝も聞かれて、

(もう引き取るつもりなのか。
二の宮を、もう少し、
わが手元に置きたいものを)

と親心は果てしなく、
薫の母宮にもお手紙で、
くれぐれもお頼みになる。

薫の母宮は、
帝の異母妹に当られる。

故朱雀院が帝に、
妹宮の庇護を托されたので、
帝は尼となられてからも、
大切に扱われてきた。

こんなふうに、
やんごとないお二方の後援によって、
手厚くもてなされる薫なのに、
一向に心は浮き立たないのである。

新婚の夫でありながら、
嬉しさも覚えず、
宇治の寺を造ることに、
あたまは占められていた。






          


(次回へ)

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