・「カルメン」~~昔からたくさんある恋物語の中でも、
この小説はとくに人々に愛され、読まれ続けている。
決してすたらず、次から次へと若い人に手渡されてゆく。
純朴な若い兵士がカルメンという妖婦のために、
破滅してゆく物語。
どんな筋書きにもそう書いてある。
ハッピーエンドではなく、
兵士は山賊となり、愛するカルメンを殺し、
自分は死刑に処せられる。
筋書きからいえばこんな悲惨な話はないのに、
私たちが青春の日、一度は「カルメン」を読み、
そして終生カルメンを忘れられないのは、
あそこに愛の一つの原型が書いてある、
そう思われるからだ。
兵士、ホセがカルメンの心変わりから受ける苦しみ、
それが人々の心を捉えるからではないだろうか。
互いに愛し合ったり信じ合ったりして、
育ててゆく恋の話と違って、
ここは裏切り、嫉妬、嘘、心変わりと、
あらゆる恋の苦しみが描かれる。
いったい「愛」というものの素顔、仮面を取った顔は、
「苦しみ」ではないかしら。
人は人を愛したい、人に愛されたい、
ということを思うより、
心の底では人を苦しめたい、苦しめられたい、
と願っているのではないかしら。
「カルメン」を読むとき、
女はカルメンのような苦しめ方を男に与えたいと思い、
男はホセのように苦しめられたら、
どんなだろうと思う。
その永遠の愛の願望が「カルメン」を、
不滅の恋物語にしているのではないか、
と私は思う。
苦しみの伴わない愛は、
ほんものの愛であり得ない気がする。
けれども人は、
そんな苦しみに長く堪えられるわけではない。
誰もがホセのように純粋にはげしく、
劇的な短い生活を生き切れるものではない。
我々は長く、平坦に、安穏に人生を送りたいと願う。
そうして「苦しめられる愛」よりは、
いこいと安らぎを与えてくれる愛に身をゆだねる。
やがて「カルメン」の小説は棚に置き忘れられ、
時がたち・・・そしてあるときふと、それが目にふれて、
埃を払って取り出してみる。
パラパラとページを繰りながら、
そこに自分自身の分もこめられている青春の日の、
過ぎた愛をなつかしむ。
それが「カルメン」と多くの人々の関係だろうと思う。
人を愛する、ということと、
その人のために泣いた、ということは別である。
愛させることはできても、
泣かせるほどのことはできない。
苦しい恋を、人々は怖れて近寄らない。
苦しみを与え合い、傷つけ合う恋に、
恋の陰惨な喜びと幸福があることを漠然と感じながら、
人々はホセがカルメンを土に埋めたように、
恋の願望を埋めてしまう。
そしてホセがカルメンをどこに埋めたか、
誰にも言わなかったように、
人は恋の願望を心の中ふかく埋めたことを、
自分だけの秘密にする。
カルメンとホセは、
遠い国、はるかな昔の恋物語になる。
でも、それは人々の心に眠っている。
苦しみへのあこがれをかきたてる、
ドン・ホセの苦しみは、
永遠に人の心に、
熱く燃える。